マックは、これまで壁に飾られるのでも、iPadの光る画面に映し出されるのでもなく、紙にインクで印刷された出版物として初めてその真価を発揮するようなシリーズの作品に好んで賞を与えてきた。デジタル出版に数年をかけて多大なリソース、時間、資金をつぎ込みながらも、紙の写真集の出版という自身のコアにある戦略に回帰することになったマックにとって、これは本質的な問題だ。しかし、彼は闇雲に近代化に抵抗したラッダイト(産業革命にともなう機械化で職を失うことを恐れた手工業者、労働者が起こした機会破壊運動)ではなかった。世界最高峰のアート出版社と謳われるドイツ・Steidl社のゲルハルト・シュタイデル本人からある日突然予期せぬ電話を受け、エディトリアル・ディレクターへと華麗なる転身を遂げた元弁護士のマックは、ビジネスマンとしても超一流である。
最先端のものはすべてオンラインにあると信じることは安易な考え方だ。マックのような人物が、リアルな形を持たないデジタル出版の領域よりも、紙とインクの創り出す不変の価値を支持するというのなら、耳を傾けるべきだろう。マックのビジネスの根底には、新人作家が自分の表現の境界を問い直す上で、最もよい方法が「作品を本にしてみること」という前提がある。この考え方は、ロンドンの写真界に次々と出てきたインディペンデント出版社の新しい波とも一致するものだ。マックは「プラクティカルな出版のモデルではなくても、若手の出版社の仕事には非常にインスパイアされます」という。「確かにオンライン出版のプラットフォームも興味深いですが、逆にデジタルメディアが出てきたことによって、実際に手に取ることのできる書物というモノができることの重要性と可能性が浮き彫りになった。いまもなお出版の世界には、はっきりとした物理的な空間が存在しているのです」。
マックが写真集に対するこうした考え方に着地するまでには、ずいぶん遠回りをした。大学卒業後は弁護士を目指し、実務研修を終えたにもかかわらず“わりとすぐに”自分がその道に向いていないことに気付いたという。ヨーロッパの法律関係の企業の例にもれず、マックの勤務していた事務所もたくさんの写真作品を購入していたことから、著名な写真のディーラー、ゼルダ・チートルとの出会いが訪れた。
「私は彼女に、何かほかのことをやりたいという思いを打ち明けました。そこから週に一日のペースで彼女のもとで働き始めたのです。彼女は私が新しい道に踏み出す一歩を与えてくれました。彼女の所蔵しているオリジナルプリントを一枚一枚見ていき、そこにあるイメージがどこから来たのか理解しようとして幾晩も過ごしました」
写真を選んでからも、自分が向いていることを見つけるのにはかなりの時間がかかったという。「プリントを売るのは全く向いていませんでした(笑)。プリントに投資してもらうよう、説得することもそれほど上手ではなく。でも、写真とそれが印刷されているページとの関係性に引きつけられていることは自覚していました。写真というもののほとんどは、オークのフレームの中に鎮座している状態ではなく、印刷された本の1ページに収まることが自然の姿なのではないかという確信が、自分の中で徐々に固まってきたのです」
これが転機となって、マックの新しいキャリアが始まった。「基本的には運に恵まれていたんだと思います」。まずは、アンドレアス・グルスキー、ニック・ナイト、ポール・グラハムなど総勢72人からなる名だたる現代写真作家の主要作品を編んだ写真集『Surface』(Booth-Clibborn Editions)を1996年に出版する。その後、ドイツ・ボーズ写真賞(Deutsche Börse Photography Prize)に審査員として招待されたり、アーツカウンシルから助成を受けて、ドイツの歴史に見る写真と建築についての展覧会の開催と写真集の出版を手掛けたりと飛躍を続けた。また時を同じくして、グルスキーやトーマス・シュトゥルートなどデュセルドルフ美術アカデミー出身の作家が国際的に認められるようになる。
「そのおかげで道が開けたんです」。さらに、このドイツとの関わりが、もうひとつの転機を招き入れる。「それから、いかにもあの人らしいことですが、ゲルハルトからいきなり電話が来て」。かのSteidl社の創始者についてこう語る。「ひどいドイツ語なまりの男から電話がかかってきて、私に会いに来たいと言うので、自分の家に招待してランチをともにしました。そして気付けば、その後17年間彼の元で働いてたんです」。
この世界で最も有名な出版社のために、流通ネットワークとマーケティング戦略を構築した後、マックはエディトリアル・ディレクターに就任する。しかし2011年、彼は古巣を旅立ち、自らの会社を設立する。苦渋の決断だったという。「印刷、出版、ビジネスの何もかもを、ゲルハルトに文字通り、手取り足取り教えてもらいました。彼はいつも、真の意味で私の師でした」。
しかし、自分が面白いと感じる写真を見つけ出す鋭い感性に突き動かされて、Steidl社からの別離を決断したそうだ。「Steidl社のような大出版社では、年間120冊の写真集を刊行します。ということは、一週間に2冊以上。そんな状況では、自分が面白いと思う本が正当な評価を受けていない気がして。そのような中で、ある一冊の本だけが他を抜きん出て注目を集めるようなことは、ほぼありえません。自分の感覚が、Steidl社が手掛けるよりメインストリームに近い作品とはマッチしていないことを思い知らされたのです」。
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マックが独り歩きを決断したさらなる理由
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。