Interview
Izumi Miyazaki

宮崎いず美インタヴュー
自分のことを世界に知らしめたい、ミレニアル世代の写真表現とアイロニー

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宮崎いず美 02
宮崎いず美 03

自分のことを世界に知らしめたい。そう話した宮崎いず美の顔には一抹の野心もない。そこにはただ、深く沈み込むような自問があり、世界を淡白に見つめる落ち着いた佇まいがあった。ほんの少しの皮肉とともに——。「シュール」「キュート」「ユーモラスでポップ」。Tumblrで発表した写真が国内外で大反響を呼び、一躍アートフォトシーンの第一線に躍り出た宮崎。しかしそんなシーンの評価とは打って変わって、彼女は別の地平を見つめていた。ミレニアル世代の新鋭が模索する写真表現とは?作品の「本当の意味」について彼女自身が語った。

インタヴュー・構成=若山満大

―宮崎さんが写真を始めたきっかけについて教えてください。

写真を始めたきっかけは高校の部活でした。その後武蔵野美術大学の映像学科に進んで、映像と写真を学びました。

―映像と写真の両方を学ばれた中で、写真を選んだのは?

映像は集団制作が基本で、一人で作るには限界があります。映像制作のいろはを学ぶなかで、大勢でひとつのものを作るという制作スタイルが自分には向いていないということもわかってきました。それで個人で制作できる写真に良さを感じるようになりました。

―在学中にTumblrに投稿した写真が主に海外で大きな反響を呼んだわけですが、どういう経緯があったんでしょうか?

Tumblrを使うきっかけになったのは、大学1年生のときに受けた写真の授業でした。その授業では「自由なテーマで写真を10枚撮って提出する」という課題が出されました。誰かのポートレイトを撮ろうと思っていたのですが、被写体になってくれそうな人が身近にいなかったこともあり、セルフポートレイトを撮りました。課題を提出し終わったあと、授業の担当だった坂口トモユキさんの薦めで、同様のセルフポートレイトを定期的にTumblrへ投稿し始めたんです。すると投稿から半年くらい経ってからTumblr上で徐々に反応が増えてきました。とはいえ、画面上の「いいね!」の数が淡々と増えていくだけで「自分の作品をたくさんの人が見てくれている」という実感はあまりなかったですね。

―その後『TIME』や『Libération』など、海外の有名メディアから多数取材がありましたね。国内外の多くのメディアが宮崎さんの作品を「シュール」や「キュート」と形容しますが、それについてはどう感じましたか?

「シュール」ってどういうことだろうとあらためて考えましたね(笑)。自分で自分の作品をシュール、キュートだとは思っていないので。

―宮崎さん自身は、自分の作品をどのようなものだと考えていますか?

私にとって作品はすべて「自分自身のために作っているもの」です。だから、いまこれだけ多くの人を巻き込んでいることに対して申し訳なく思うことがあります。

―それはメディアだったり、展覧会を一緒に作ってくれる人たちだったりということですか?

いや、協力者というよりはむしろ、私の作品を観てくれる人たちに対してですね。特に私の作品を楽しんだり、「かわいい」といってくれたりする場合はなおのこと。私自身はそういうものを作っている意識がまったくないので。



―「自分自身のために作っているもの」を他者との共有を目的としたSNS上で公開していくということは、一見すると矛盾した行為にも思えます。つまり、なぜあえて「共有されにくいもの」を不特定多数の他者に向けて発信するのでしょうか?

難しいところですが。先ほど自分自身のためとは言いましたが、私にとっての制作は「人に見てもらう段階」に至って初めて完結するものなんだと思います。というと、なんだか自分の充足のために他人を利用しているようにも受け取られそうですが(笑)

―それはつまり「承認欲求を充たすため」ということなんでしょうか?作品を見てもらって、何らかの評価を得たいというような。

いえ、そうではありません。評価されたいとか、評価されることで自分の行為や存在の意義を確認したいとか、そういう考えはないですね。ただ至ってシンプルに、作品が「他者に見られるということ」それ自体が大事なんだと思っています。

―なぜ「見られる」ということが大事なんでしょうか?

私はずっと自分自身にコンプレックスを持ってきました。それは未だに変わりません。外見、頭の良さ、その他自分のスペックすべてに劣等感があります。しかし、これはもう克服できることでもないし、克服すべきものとも思っていません。人より劣っていたとしても、世界に存在することができる。自分のことを世界に知らしめたい。セルフポートレイトが「見られる」ことを大事に思う理由があるとすれば、見られることによってはっきりと自分が世界に存在していることがわかるからだと思います。

―セルフポートレイトによってコンプレックスが昇華されている一方で、コンプレックスの根拠である自分自身を直視するということは、ある意味とても苦しいことだと思うのですが?

でも、作品の中の自分ってすごくいいんですよね。あまり自分という感じがしないというか、たまに自分だと思えないときもあります。自分じゃない自分ができあがることを、おもしろがっているところもあるんだと思います。


―宮崎さんのセルフポートレイトはどれも無表情で、感情の起伏が読み取れません。こういう演出をされる理由について教えてください。

被写体に表情があると、それを見た人は「嬉しいんだな」とか「悲しいんだな」とか考えると思います。でも、当然ですが、無表情な人の顔からはそういう感情は読み取れないですよね。だから考えるし、それでもわからないと不安になる。私はそういう不安定な心情にこそ意味があると思っています。作品を見ている人にそうなってほしいので、あえて表情は消しています。

―「わかる」ことの良さを人は持ち上げがちですが、「わからない」ことの良さもありますよね。「嬉しいんだな」は他者の気持ちを想像しているようで、独りよがりな断定でしかない。他者に対する想像力を養うのは「不安定な心情」に耐える時間なのかもしれません。しかし、そういう意図ほど共有されにくい。

そうですね。かといって、諸々を「共有したい」と思ってやっているわけではないのですが。そもそも「共有したい」といえる人は、人間のことが好きなんだなと思いますね。家族や友人と共有したいという感覚はわからなくもないんですが、それ以外の他人ととなると自分には難しいです。アーティストでも「〜をみんなと共有したいから」という動機で作品を作っている人がいるじゃないですか。そういう人は根が優しいんだろうなと思います。見知らぬ誰かと自分の感覚を共有しようということ自体、とても難しくて苦労をともなうことだと思います。それをあえてしようとする人は優しいな人だなと。こんなことをいうせいで、このところ何人もの人に「シニカルだね」といわれます(笑)

―SNSには「共有」という言葉がつきものですよね。共有ではないとなると、宮崎さんがSNSを使い続ける動機は何なのでしょうか?

共有したいとか共感したいという考えはありませんが、強いて言えば「分散させたい」とは思っています。自分ひとりでは抱えきれないネガティブな感情が、制作の動機になっていることがあります。例えば、海外ドラマなんかで人間があっさりと惨殺されるグロテスクなシーンを見たとき、人間ってこんなに簡単に死んじゃうんだなと思って怖くなりました。そういう気持ちは早く「分散」させたいというか、自分ひとりだけで抱えていたくないので、写真にしてSNSで発信します。そうするといくぶん楽になりますね。

―今後もSNSを通じた発表は続けていこうと思いますか?

そうですね。やはり自分の作品は「発表して他者に見てもらうこと」まで行ってはじめて完結するので、その点SNSは都合がいいです。手っ取り早いというか。展覧会や写真集を作るとなると、どうしても膨大な時間やコストがかかってきますから。SNSに変わる便利な手段が出てこない限りは、これを使い続けると思いますね。


© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2018 KYOTOGRAPHIE 2018 宮崎いず美「UP to ME」ASPHODEL

© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2018 KYOTOGRAPHIE 2018 宮崎いず美「UP to ME」ASPHODEL

―SNSで作品を発表する一方で、宮崎さんは展覧会でも発表されています。両者のいちばんの違いは何だと思いますか?

展覧会をすると、全部が「本当のこと」になっちゃうという感じがしますよね(笑)。SNSだとリアクションをもらっても現実味がないですが、展覧会をすると「本当にこんなにたくさんの人が来てくれているんだ」と実感せざるを得ない。

―今春の「KYOTOGRAPHIE 2018」では「ASPHODEL」ビルを一棟使った大規模な展示をされていましたね。特に3階のワンフロアを使ったインタラクティブなインスタレーションが印象的でした。

今回はあらかじめキュレトリアルチームから「作品の中に入っていくような展示」にしてはどうかという提案がありました。この構想を具体化していく過程で、鑑賞者が気づいたら鑑賞される対象になっていたという転倒が起こったらおもしろいだろうなというアイデアが生まれました。

―確かに。フォトジェニックな空間というか、「インスタ映え」しそうな空間だったので、来場者はこぞって写真を撮っていました。僕もその風景を眺めていたわけですが、それがまさに宮崎さんのいう「鑑賞者が鑑賞されている」という逆転現象ですよね。

額装した写真を展示して、それを鑑賞してもらうという展覧会もいいんですが、自分の場合それではあまりやる気が起きなくて。展覧会のおもしろいところは、自分の作品の見せ方を工夫できるところですよね。見せ方について意識したり、考えたりすることは、SNSではまずありません。SNSの写真はユーザーインターフェイスの規格に沿って決まったかたちで表示されます。展覧会で実際に展示される写真のほうが見せ方の自由度は高いです。ブラウザ上ではデータでしかない写真が、さまざまなディティールを伴って3次元空間に出力されることで、それはまた違った意味や魅力を持つと思います。それを試したり、考えたりするのは楽しいですね。


―「KYOTOGRAPHIE 2018」と同時に新刊の写真もリリースされましたね。これも写真の異なる魅力を引き出す「見せ方」のひとつなんでしょうか?

写真集は「現物」が手に取れるという点ではSNSと違いますし、家に持って帰ることができるという点では展覧会とも違います。「所有できる」というのが写真集のいいところだと思いますね。写真集のタイトルは『私と私』です。これは、撮影する私と撮られる私を指しています。写真集のちょうど真ん中に当たるページに、鏡写しになった自分の写真があります。この写真が象徴的なのですが、「撮影する私/撮られる私」「写真の外の自分/中の自分」あるいは「写真集の前半/後半」の関係を、現実と鏡像のような対象関係として捉えています。

―写真集のほかにも最近のお仕事は新しい展開をしているように思います。例えばセルフポートレイト以外にも、別の人をモチーフにしたポートレイトを撮影されていますね。

はい、コミッションワークとして撮影しました。あらためて人を撮るのって難しいなと思いましたね(笑)。被写体から引き出したい情報があったりするとなおのこと難しいです。自己完結できない。でも、自分以外の人と写真を作るのは思いのほか楽しかったので、ご縁があれば今後も挑戦していきたいです。

―一周回って集団制作にたどり着いた感じがありますね。映像の集団制作が肌に合わなくて写真を始めたはずが、いまとなっては共同で作ることが楽しくなっているという。

そうですね(笑)。一人で制作することの良さと、集団制作のそれは全く別物だと思います。他者と協働することの良さは「当初は予想しなかったものができあがる」という点にあると思っています。そういう可能性は面白いですね。

【写真集プレゼント】
IMA MEMBERS限定で本書を1名様にプレゼント。締切は2018年7月9日(月)まで。 受付終了

タイトル

『私と私』

出版社

青幻舎

価格

3,000円+tax

発行年

2018年

仕様

ソフトカバー/A4/88ページ

URL

http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-670-1

宮崎いず美|Izumi Miyazaki
1994年山梨県生まれ。2016年武蔵野美術大学映像学科卒業。在学中より自身や身近なものを被写体としたシュールな写真作品をインターネット上のTumblrにて発表し、直ちに話題を呼ぶ。VICE(アメリカ)、CNN(アメリカ)、TIME(アメリカ)、リベラシオン(フランス)など数々の有力メディアにて取り上げられ、国際的に注目を浴びている。初個展「Cute & Cruel」(Wild Project Gallery 2016)をルクセンブルグで開催。日本初個展に「stand-in」(Art-U room 東京 2016)がある。プラダ財団が主催するグループ展「Give Me Yesterday」(オッセルヴァトリオ ミラノ 2016–2017)にも招聘される。