Interview
Riyo Nemeth

LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS展 作家インタヴュー vol.5
私たちが本当に見ているものとは?ミニマムな映像が投げかける根源的な疑問

ネメス理世インタヴュー 01

「根本的なことに興味があるんです」そう答えるネメス理世は、見る行為そのもの、あるいは、映像そのものについて考え続けている。「LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #6」では、静止画と動画を組み合わせ、複雑な編集工程を経ることで、見る者の知覚プロセスを再考させる映像作品を発表した。誰もが身近に映像を見ることができる現代だからこそ、あらためて問われるシンプルながらも奥深い問い。「私たちは何を見ているのか?」――そんな疑問を抱くまでに至った制作のプロセスを聞いた。

インタヴュー・構成=酒井瑛作
写真=ダスティン・ティエリー

―一見、写真にも見える映像を作られていますが、映像を始めたきっかけは何だったのでしょうか?ロンドンのセントラル・セント・マーチンズで学んでいたそうですね。

なぜ始めたのか明確にはわからないのですが、セント・マーチンズでは映像のコースに入っていました。単純な理由では、1学年上の姉がペインティングのコースに入っていて同じことはしたくないし、私は絵は下手だと思っていて。前から写真が好きだったこともあり、写真と映像をやっているコースで映像を選びました。

―当時はどんな作品を撮っていたんですか?

いまと同じような感じだったと思います。ループ映像を撮っていました。ストーリーは最初からなかったですね。

―ループ映像に惹かれるものがある?

常にそこにあって、見たい時間だけ見ることのできる作品が好きで。例えば、ギャラリーへ行って最初から最後まで見ないといけないようなものが好きじゃないんです。映像を作る人の意識としてはダメなんでしょうけど(笑)。やっぱり写真が物として好きなので、それに近いものを作りたくなります。

―自然をテーマとしているようですが、それも昔から一貫しているものなのでしょうか?

生っぽいのが好きです。誰でもわかるようなものを使って、リアリティをどう崩すかということをいろいろと試しています。「LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #6」で撮り下ろした作品「協和音」でも扱っていますが、最近は、特に果物とか花とか。手の中に入るものが好きで、スクリーンに映し出したときに、大きさだったり、重みだったり、奥行きだったりが想像できますよね。感触って誰でも想像しやすいから。

「協和音 Consonant Intervals」2018年

「協和音 Consonant Intervals」2018年


―みんなが知ってるものとなると、自然のものになるということですよね。自然以外のものは撮ろうとは思わないんですか?

なんでも撮ろうと思いますよ。でも、本当は編集や撮り方に一番興味があって。だから、何を撮ろうかなと毎回悩んじゃうんです。例えば、林檎に意味があるかというと、そうでもない。

映像としては、動くのが当たり前なんですけど、果物とか花とか本来は動かないものを動かすために編集をして、実際に動き出した時は嬉しいです……嬉しいっていうのも変ですかね(笑)。作るプロセスを経て、いつも見慣れているものとは違うのものを見せたいと思っていて。

―時間や感覚や記憶を「立体化する」という言葉を過去に使われていましたが、それは編集のプロセスに関わる話ですか?

そうですね。撮影のときは、3D映像のように複数のアングルから撮って、編集でそれを重ねています。8枚くらいの映像を2秒ごとに変えたり、混ぜたりしていて。私が撮ったマテリアルに足していっているのですが、何もない白紙の上で作っている感覚もあって、ペインターと同じような感覚です。

―映像はシンプルに見えますが、実際は複雑なんですね。画面として暗いのも特徴だと思ったのですが、撮る時も暗くしているんですか?

これはスクリーンが消えた時の暗さなんです。背景が真っ暗で、物が真ん中にある時は、立体感を出したい時にやっています。スクリーンの上に置いてあるような感じです。スクリーンの枠を意識して切れ目を作りたくないということもあって。それで黒が多いかもしれません。

「Rerun」2017年

―そういった編集のプロセスを経て、ネメスさんが目指すのはどんなことでしょう?

ひとつは、例えば、林檎をどう林檎にするかではなくて、その違和感に気づいてほしくて。そのものだけど、何か違う部分を提示したいんです。そもそも映像自体が違和感のあるものだけど、気づかずに見ている。気づかないというか、当たり前になっていますよね。ずっと映像にこだわり続けているのですが、本当に根本的なことに興味があるんです。単純なのですが、作っているからこそ身近なことで、映像自体に関する作品を作っているつもりです。

―根本的なことっていうのはどういうものでしょうか?

前から興味がある言葉で「Suspension of Disbelief(不信の宙づり)」というものがあるのですが、それは、演劇の背景に絵が描いてあって、実際には建物はないけれど、劇を楽しむために自分で錯覚を起こして本当のことを無視して楽しむという。映像だと、ドキュメンタリーといっても実際はストーリーを作っていて、そのままを写しているわけではない。そのことを当たり前にやっています。

写真とか映像は特に「何を見ているんだろう?」という疑問が常にあります。自分の都合でそこにあったように見えているし、そもそもそこに映っているものを本当に見ているのかどうか、とか。そういうことをテーマにずっとやっていきたいと思っています。

「Street Corp.」2014年

「Street Corp.」2014年

「Street Corp.」2014年

―そういった疑問は、映像を作る中で湧いてくるものなんですか?

そうですね。最初のアイデアは、これを伝えたいというよりは、問いから始まります。これを知りたいというところから、その作品の意味を自分なりに発見していく。

―「協和音」の場合は、その問いはどんなものだったんですか?

いままで考えていた映像の伝えているもの、映っているものは何か。自然なものの組み合わせだけど、自然には起こらないことを組み合わせて生まれた風景は、映像としてどこまで作り上げられていて、どこまでが自然といえるのかということですね。

最初に蟻がゆっくりと林檎を回っている映像と、最後に蟻が中央に来るように林檎を手で回している映像と、その対比から考えています。映像を撮る時は、カメラの前でライトを点けて蟻を林檎に乗せて、逃げるまで撮り続けました。それ自体、やろうと思うまで絶対にやらないことですよね。

「LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #6」アムステルダムでの展示風景(撮影:大谷臣史)

「LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #6」アムステルダムでの展示風景(撮影:大谷臣史)


―自然を被写体にしながらも、映像を撮ること自体は自然な行為ではないということですね。

最初のシーンで蟻は自然に歩き回っていますが、それも映像をくっつけたり、重ねたりして作っているんです。ふたつの対比で今回はうまく繋げられたかなと思っています。

―対比をしてみたことで、どういうところがしっくりきましたか?

編集されていないものと編集されているものの違いですかね。でも、問いはあんまり回収されてないかもしれない。「あ、そうなんだ」という発見はなくて。それはずっと続くのかなとは思っているんですけど。その中で撮って、編集してみて、ふたつの対比がうまく合った時に、質問自体が明確になってくるというか。

―それって大事な気がします。質問自体を見つけるというか、それは結構大変なことではありますよね。しかも、ネメスさんの場合は根本的な問いを見つけようとしています。

感覚ではむずむずしているものがあって、そのむずむずは解消された気がするけど、ちゃんとした答えがないもの……漠然としてますね(笑)。感覚としてはすっきりしたけど、「じゃあ何?」といわれると、言葉が出てこない。でも、だから映像はこういうシンプルなものになるのかなと思っています。

Riyo Nemeth

ネメス理世|Riyo Nemeth
1989年、東京都生まれ。2012年にロンドンのセントラル・セント・マーチンズのファインアート学科を卒業。現在は東京を拠点に活動を続ける。映像と写真を手法、題材に、映像編集の可能性から模索し、身近なものを被写体に立体化を試みる。二次元上に映る時間、空間、物質性などの感覚や記憶の違いに焦点をあて制作している。
http://www.riyonemeth.com/