『KIPUKA』で2019年度木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・岩根愛。ハワイと福島。ふたつの土地をつなぐ「ボンダンス(=盆踊り)」を足がかりに、12年間もの時間をかけ、ハワイへと渡った日系移民のルーツを探る一連の旅は、どのようなプロセスを辿ったのだろうか。シリーズ作品のひとつの特徴にもなっている、多岐にわたる表現手法が生まれる転換点となった出来事を中心に、その旅路の一端を彼女に聞いた。
文=酒井瑛作
写真=高橋マナミ
―ハワイを撮り始めるきっかけとなったのは、ハワイ日系移民のお墓を見つけたことからだそうですね。
初めてハワイに行ったとき、ハマクア浄土院というハワイで一番古いお寺にたまたま行く機会がありました。その裏にあったお墓を見たのが最初だったんですね。それまでは、ハワイにいる日系人の存在自体を知らなくて。お墓のボロボロになっている感じや、字が判別できない感じ、墓石自体が普通の石ころを使っているとか……ハワイに移ってから100年以上を経た姿を見て、ここに生きて一から切り開いた人たちがいたんだと。だから、最初は顔がわからない人たちとの出会いでしたね。
―そこで初めて日系移民の存在を知った。彼らのルーツを探っていくことが大きなテーマだと思うのですが、それは最初からそうだったのですか?
そうですね。お墓を見てもっと知りたいと思っていたら、ちょうど二カ月後にボンダンスがあるから来なよといわれて、また行くことにしたんです。そのときは、いま90代の日系2世の方たちに話を聞いて、撮影してみようと。おばあちゃん家に行ってみると、日本とハワイが混ざりあったインテリアで、たまらない感じがありましたね。多くは仏教徒なので、信心深さが現れている仏壇があったり。最初はポートレイトと家の中の好きな場所を聞いて撮っていきました。
―その人自身や背景にある文化を撮ってたいたんですね。
はい、インタヴューをしながら。日本のどこから来て、どうやって暮らしているのかを語れる最後の世代が2世の方たちだったので、当時の話をとにかく聞かせてもらいました。
―いまお話されていた写真は、写真集には入っていないですよね?
そうです。今度、出版される本『キプカへの旅』(太田出版から5月22日発売予定)には入っているのですが、当時はその後しばらく1000本ノックのようにいろいろな撮影をしていくことになって。
―ハワイで夏に開かれるボンダンスも撮影していますよね。
最初は計画的ではなく、面白いと思ったことから撮り始めました。そこにいるおじいちゃんとかおばあちゃんと話しているのがすごく面白くて、彼らを手伝いながら写真を撮っていくようになりました。みんな準備の合間にポツポツと話してくれるので、それがその人のことがわかる一番の機会でした。なので一緒に働くことが始まりだったんですね。
―『KIPUKA』としてテーマや撮影する対象がまとまっていくきっかけはあったんですか?
ボンダンスで一番盛り上がる曲、フクシマオンドに出会ったときですね。2011年、東日本大震災直後で、被災地から日本の高校生たちがホームステイに招かれ、その中に福島県の双葉郡から来た子たちがいました。その子たちが「フクシマオンド」が流れた瞬間「この曲知ってる!」と踊り出して。その姿を見てこれまでとは違うようなところに行く気がしたというか。あの子たちの身体の中に歌があるなと。そこから唄の故郷である福島に行きたいと思ったんです。
―そこでハワイと福島がつながった。
ただ、当時は写真家としてというよりも、震災の時に何をしていいかわからなかった自分に、ずっと撮っていたボンダンスのことなら何かできることがあるかもしれないと思ったんですね。作品を構築する以前に、衝動で動いてしまうところがあって。だから、最終的にひとつの作品としてまとまって本当に良かった(笑)。
―なるほど。今回のシリーズは、たくさんの撮影手法が混在していることも特徴です。あくまでストレートな方法に限らず撮影した経緯もお伺いしたいです。何か手法を変えていくきっかけはあったんですか?
パノラマカメラとの出会いは大きかったですね。たまたまハワイに行ったときに借りた家が、もともと日系人の写真家の家で、その家に残っている写真が捨てられないまま置いてあるから持っていってくれと現在のオーナーにいわれて。その中にグルグル巻きになっているパノラマ写真が入っていたのですが、そんな写真は見たことがなくて、見つけた時は衝撃的だった。どうやって撮ったんだろうという単純な興味がきっかけで、その後1枚だけもらってどんなカメラで撮ったのか調べはじめたんです。
―どんなカメラで撮ったのか、持ち主が誰のものだったのかもわからない写真だったんですね。
はい。写真を見ると、当時の日系人の顔ってすごく意思が強くて、目も眼光鋭いというか。その人たちに見られている気がして、ちゃんと調べようと思ったんです。ホノルルにある日本文化センターに行って、毎日ボランティアをしながら写真のアーカイブを3週間ほど調べました。それで、撮影に使われているのがパノラマフィルムカメラ、コダック・サーカットだとわかったんです。
―パノラマカメラはどんな用途で使われていたんですか?
主に日系人のお葬式の集合写真の撮影に使われていました。結婚式の写真はいまのところ1枚しか見つかりませんでした。サーカットでの撮影は、カメラを囲むようにして円形に並び、ゼンマイ仕掛けで、カメラが360度一周します。当時は、お葬式でもプログラムのひとつとして集合写真は撮られていたみたいで。
―「眼光が鋭い」という最初に写真を見た印象は、大量のアーカイブの写真を見て印象が変わることはありましたか?
日本人の顔ってどんなものなんだろうということは考えました。『KIPUKA』に出てくる人たちの顔は、2世の方たちなので日本人に近い顔立ちですが、それ以降は人種が混ざってきて、これから未来にいくにつれてさらに混ざっていくはずじゃないですか。だから、境目がどんどんなくなっていくと思うのですが、顔を見続ける行為でそんなことをすごく感じさせられました。
―顔のお話を聞いていて思ったのは、写真集全体の印象としてハワイや福島を取り上げながらも、文化の違いや共通点をわかりやすく示すランドマーク的なものはあまり出てこないということです。その点はあえて避けていたのでしょうか?
そういわれてみると、確かにそうですね。12年間ハワイや福島に通っていろいろと撮影する中で、いま感じていることを写真にするにはどうすればいいんだろうと考えていった結果、ここに着地しました。例えば、ポートレイトであってもストロボを焚いて背景を暗く落としているのもそうですし、ボンダンスでもわかりやすい提灯を入れるのではなく、踊っている人たちのその場にあるエネルギーを伝えたいと思いました。
―なるほど。
2世の方へのインタヴューをしばらくやった後に、私はドキュメンタリーをやりたいんじゃないとも思ったんですね。その方向でまとめてもだめだと思っていました。それから、パノラマカメラとの出会いはやっぱり大きくて、あのカメラを使って撮ったことで、写真に対して考えていたことがすごく変わっていきました。自分が写真だと思い込んでいたことが壊されて、いろんな手法を取り入れることに柔軟になっていったと思います。
昔の私だったらストレート写真にこだわってやっていたと思いますね。目の前のものをまっすぐ撮るのが写真だと思っていたけれど、移民の方たちに脈々と継がれるものや、原発後の福島につながっていくことを、ただ撮るだけでは伝えられないと思いました。それからは、じゃあ何をすればいいんだろうとずっと考えていました。
―福島へと足を運ぶようになったタイミングとも重なるのでしょうか?
はい、いまお世話になっている三春町に長期滞在するようになったのは、作品制作をするためです。ただ、2011年にパノラマフィルムカメラを見つけて、その後、直すのに1年かかって、現像方法を見つけるのにもう1年かかって。結局使えるようになったのは2013年から。カメラを扱えるようになるにも、新しい武道を始めるような感覚でした。リバーサルフィルムで露出計でコンマ1の単位まで測るような撮影からはしばらく離れていたので、生き方を変えるくらいの覚悟でないと扱えないなと。
《Pahoa, Hawaii, Hawaii》2015, archival pigment print © Ai Iwane
―かなり時間をかけているんですね。12年間の撮影は、日系人移民のルーツやその先にある日本の土地に根付くエッセンスを見つけていくプロセスでもあったと思いますが、ハワイと福島を往復する中でどんな発見がありましたか?
最初は、南国のハワイの文化と日系人の日本の文化が混ざりあっていることに興味を持っていたのですが、フクシマオンドをきっかけに福島に行ってみると、そこで初めて土地と人がダイレクトにつながっている感覚を知りました。私自身が東京出身で、土地とつながる文化がなかったこともあって、そういう人たちが眩しく見えました。一方で、ハワイに残っている文化は、故郷を離れてしまって実体はわからないけれど、先代が残してくれたことを頼りに、孫の代に伝えていくということに熱意を込めていて、そこに新天地を切り開いていった人たちの魅力があるし、素晴らしさがある。伝えられた側の現在の4世、5世になると、実態は手探りの感覚です。
どちらが良い悪いではなく、ハワイと福島のあり方は全然違っていて福島に行ってその違いがすごく魅力的に見えてきて、撮影のインスピレーションが湧いてきました。私にしか見つけられない何かが撮れるかもしれないと、作品制作を意識した上での撮影をはじめました。それから、またハワイのボンダンスを撮り直していきました。
―『KIPUKA』というタイトルは最初から決まっていたのでしょうか?言葉の意味としては、溶岩が流れた後に、被害を受けずに残った場所。「新しい生命が生まれる場所」という意味合いもありますよね。
そうですね。初期の方から頭の中にありました。本当にこの言葉があってよかったと思っています。ハワイと福島をさまざまな手法を用いて闇雲に撮影して、定まらないけれど、撮りたいから撮っているというわからなさの中でも、「KIPUKA」という言葉にまとめればいいんだと自分の中で腑に落ちていた部分がありました。ハワイでフクシマオンドから震災後の福島に出会って、さらに、ハワイの砂糖産業の終焉だったり、溶岩流だったり、12年間の中でいろいろなことがあって、そのすべてがこの言葉の意味の中にある。この言葉があったから、ひとつの作品にまとめられたのだと思っています。
▼東京 | |
---|---|
タイトル | 第44回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 岩根愛写真展「KIPUKA」 |
会期 | 2019年4月23日(火)〜5月2日(木) |
会場 | |
時間 | 10:30~18:30(最終日は15:00まで) |
休館日 | 日曜 |
イベント | 4月30日(火)15:00〜16:30「北島敬三×岩根愛トークイベント」 |
URL | https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/201706/20190423.html |
▼大阪 | |
---|---|
タイトル | 第44回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 岩根愛写真展「KIPUKA」 |
会期 | 2019年6月13日(木)〜6月19日(水) |
会場 | |
時間 | 10:30〜18:30(最終日は15:00まで) |
休館日 | 日曜 |
トークイベント | 6月13日(木)18:30〜20:00「姫野希美(赤々舎代表)×岩根愛トークイベント」 |
URL | https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/201706/20190423.html |
▼沖縄 | |
---|---|
タイトル | 第44回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 岩根愛写真展「KIPUKA」 |
会期 | 2019年5月11日(土)〜5月26日(日) |
会場 | |
時間 | 13:00~19:00(最終日は17:00まで) |
休廊日 | 火曜 |
料金 | 500円(高校生以下無料) |
イベント | 5月11日(土) 17:00〜「石川竜一×新井直久(写真家・Reago共同代表)×岩根愛オープニングトーク」*入場料:1,000円(1drink付、高校生以下無料) |
協力 | アサヒカメラ編集部、株式会社ニコンイメージングジャパン |
URL |
個展 | |
---|---|
タイトル | 「ARMS」 |
会期 | 2019年5月17日(金)〜6月15日(土) |
会場 | |
イベント | 6月7日(金)19:30~20:45「石内都× |
URL | http://www.kanakawanishi.com/exhibition-ph-009-ai-iwane-arms |
岩根愛|Ai Iwane
東京都出身。1991年単身渡米、ペトロリアハイスクールに留学。オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。帰国後、アシスタントを経て1996 年に独立。雑誌媒体、音楽関連等の仕事をしながら、フィリピンのモンテンルパ刑務所(2010)、ロシアのニクーリンサーカス(2011)、台湾の三峡台北榮民之家(2012)など、世界の特殊なコミュニティでの取材に取り組む。2006 年以降、ハワイにおける日系文化に注視し、2013 年より福島県三春町にも拠点を構え、移民を通じたハワイと福島の関連をテーマに制作を続ける。2018 年、初作品集『KIPUKA』(青幻舎)を上梓し、本作で2019年度木村伊兵衛写真賞を受賞。
http://www.mojowork.com/
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。