現代中国写真を代表する作家の一人であるリン・チーペンことNo.223は、2000年代初頭からブログで自身のプライベートを写真に収めて発表し、次世代の若者たちへ多大な影響を与えてきた。中国の写真家としてまず挙げられる故レン・ハンも、そのブログの愛読者だった。友人たちを日常の中で自然に撮っていると語りながらも、それらの写真は彼の美意識によって描かれた映画のワンシーンのようでもある。公共の場でヌードを見せることが規制されている中国でも、リンは芸術表現においては開かれていると感じるという。写真集『Flowers and Fruits』(T&M Projects)の刊行と、それにあわせて開催中のAkio Nagasawa Gallery Aoyamaでの個展会場で、中国のニュージェネレーションを牽引する彼のこれまでのキャリアと、彼を突き動かす美への探究心の源を紐解く。
文=IMA
写真=宇田川直寛
通訳=池田リリィ茜藍
―2003年頃にブログで写真を発表されるようになったのがスタートだと聞いていますが、まず写真を始めるきっかけやキャリアのことを伺えますか?
その頃は中国でもブログが流行り始めた時期と重なります。僕が大量に写真を撮っていた最中、ブログも流行りだしたので、インターネットのプラットフォームを介して、自分の言葉や撮ったイメージをアップし始めました。当時、僕は雑誌の編集もしていましたが、既存の雑誌の中では網羅できない声を、ウェブマガジンという位置付けで、僕の生活圏外の人たちに発信することが、ブログのきっかけです。
―インターネットの過渡期に、ブログがブームになっていった中で、リンさんのブログは特に求心力があって、多くの人に見られるようになったんですね。
どちらかというと、注目を浴びたのは僕への好奇心だと思うんです。若者の生活を好奇の目で見てくる人が増えていきました。皆ネットの使い始めは保守的な人が多かったので、僕がプライベートの写真をアップして、みんなと分かち合っていった部分では、ひとつの求心力があったのかもしれません。
―当時の中国ではプライベートの写真を公に発表している人は少なかったのでしょうか?
少なくとも僕は見たことはなかったですね。特に写真作品の形で自分のプライベートをシェアしている人は、知っている限りはいません。
―ブログから始めて、結構早い段階で自費出版の印刷もされていますね。
ブログは2003年、自費出版を始めたのは2年後の2005年です。2005〜2014年までは計5、6冊を自費出版しました。以後は国外の出版社から刊行する機会が増えました。写真集は紙に対する自分の偏愛が満たされますし、インターネットではさっと見て終わってしまうので、自費出版は自分にとって紙の上で展覧会を開いているような位置づけでした。
―今回展示されているのはここ約10年に撮られた写真から、この展示のために選ばれていると思いますが、テーマごとにシリーズを分けるのではなく、ずっと変わらないスタイルで制作を続けているのですか?
テーマ別に写真を撮ってはいなくて、2003年からずっと変わらず、日常で見たものをランダムに撮っています。自分を取り巻く人、友だち、生活を撮ることが自分にとって変わらない大きなテーマですね。唯一これまでテーマとしたのが、同性愛者のカップルにweiboで呼びかけ、その人々たちを訪ねて撮るシリーズです。それまでの自分の作品と違うところは、被写体が見知らぬ人だということで、彼らの生活圏に入って行くことや、僕やカメラに対する警戒心を取り除く意味でも挑戦でした。
―友人をモデルに生活の中で撮っていながらも、写真を撮るためにセットアップやスタイリングをしていますよね。日常の延長というよりは、非日常性を感じますが、状況作りはリンさんからモデルの方にアイデアを出していますか?また、親しい関係の友人を撮っていながら、誰も笑っていないのはなぜでしょう?
友人をメインに撮ってはいますが、ドキュメンタリーと、コンセプトの間を狙っています。ドキュメンタリーはリアルなエッセンスを残している部分で、セットアップ、セッティングの部分は、自分のコンセプトです。コンセプトも被写体の性格や個性、その被写体が置かれている状況に合わせます。
実は笑っている写真もたくさんあるのですが、今回はあえて選ばれていません。僕は中国のニュージェネレーションたちの、生き生きと上向きの状態を撮りたいとずっと考えているのですが、そういった状態をあえて静謐に写し止めることで、矛盾したスパークが生まれる。それも僕のひとつの見せ方だと思います。
―今回は『Flowers and Fruits』の刊行に合わせて、花と果物をモチーフとして撮った写真をセレクトしていますが、写真の中で花や果実を何かの象徴として用いられていますか?
僕の写真にはタフさ、強固さを感じると思います。その中で、花は相対的にソフトで女性性があります。タフな写真の中にソフトなものが入ることで、ぶつかり合い、面白い融合が生まれます。果実は食べる動作と関わってきますが、僕にとってはセクシーな存在です。でも花も果実も日常に溢れているので、それが身体とどういう風にぶつかり合いながらひとつに融合していくかを、自分の創作の中で作り上げています。ただ付け加えると、花も果実もわざとは演出していません。自由に撮っている日常にたまたまあって、目に留まって写しています。端的にいえば、直感でかっこいい、美しいと感じたものを撮っているのです。
―キャリアの初期からずっとヌードを撮り続けていますが、なぜヌードにこだわり続けるのでしょうか?
裸の身体性については、特別に何か意図があったわけではありません。日常で誰しもがヌードになる瞬間は日々あって、買い物する、寝る、旅行にいく、トイレに行くくらい自然なことですよね。ヌードを撮ることは猟奇的な目で臨むものでもないし、好奇な目でもなく、僕は本当にリラックスした状態で撮っています。僕個人は身体を介した表現は、決してタブーではないと思っています。撮られている被写体が若くても中年でも老人でも、それぞれの皮膚の状態は、その存在がそのままで美しいですよね。
―先ほど写真の話で、ドキュメンタリーとコンセプトの間のお話がありましたが、コンセプトはどういうものか、詳しく伺えますか?
物語性を伝えることをいつも考えているのですが、物語を100%伝えるわけではなくて、見る人の想像の余地を残すために、7、6割が伝わればいい、残り3、4割は見る人の想像に任せるのが、自分の考えるコンセプトですね。これに対して、中国の写真評論家が僕の写真を論じる際に「サスペンス」という、とても面白い言葉を使っていました。これは中国の映画業界でよく使われる言葉なのですが、想像の余地を残すことを指し示しています。例えば見る人が、僕がシャッターを押す前後5分、5秒に「何が起きたんだろう」とか「どういうシチュエーションで撮ったんだろう」という想像の余地を残したいと思っています。自分の作品を通して、見る人たちと対話をしていきたいので、見る人がどういう風に見るか、読むかは、その人たちの想像に任せたいと考えています。
―物語性を作り出すときのインスピレーション源はありますか?
前職では編集をしていたので、国外の雑誌の影響も多かれ少なかれ受けていたと思います。自分のライフスタイルやクリエイティブなものをテーマにした出版物や、ファッションにも関心があるので、そこからのインスピレーションも得ていました。でも一番影響を受けているのは、実は日本の漫画です。大学に上がる前からずっと日本の漫画を読んできましたし、いまも家に何千冊もの漫画を持っています。写真を撮る前には独学で、日本式の漫画を見まねで絵を描いていましたが、写真を撮るようになってからは絵を描くことは少なくなりました。写真で撮る方が圧倒的に早いですからね。特に好きなのは『ドラゴンボール』や『スラムダンク』などで、1986~2000年の間に日本で刊行された漫画は、ほとんど読んでいます。
―ハンドルネームのNo.223は、ウォン・カーウァイの映画『恋する惑星』に出て来る警官223号からとっているそうですね。数字が名前なのは、アノニマスで謎めいていますが、先ほどの「サスペンス」という言葉ともつながるのでしょうか?
この質問に対して深く考えたことはないですが、そういう風に解釈してもいいと思います。インターネット上の存在として、2000年から約20年このNo.223というハンドルネームでやってきたので、中国では個人の記号として認知されていますし、むしろいまは本名で呼ばれることはなくなりましたね……(笑)。
―こういったヌード写真を見たときに、中国の写真家ではレン・ハンのことをまず思い浮かべてしまうのですが、彼とも実際に交流があったのですよね?
このことは本当によくいわれますね。若い人の身体を撮っているのは一緒のテーマですし、手法も近いです。ただ彼の写真は構築的で、計画的に撮られているのに対して、僕はそこにある状態を情緒的に掬い上げている点では違います。僕は彼が写真を撮り始める前から知っています。彼は僕のブログのフォロワーで、そこにたくさんのコメントも残してくれていました。ネットを介して会ったというより、実際の生活の中で知り合う機会があったので、交流がありましたね。僕が彼をすごいと感じるのは、僕よりも身体に対する執念があることです。その執念は彼のこだわりでもありましたし、その中国の身体性は西洋に対しても大きな訴求力があったと思います。
―最後の質問ですが、2003年にブログを始められて15年程経ったいま、中国での表現の状況に関して、ご自身が感じられている変化はありますか?
表現がしやすくなったかというと、改善もしていないし悪くもなっていないですね。ただブログが流行り始めたときは、インターネットに対する規制はそんなに厳しくなかった、もしくはまだ整っていなかったのですが、いまはインスタグラムでもチェック機能はあります。何かに監視されているような、チェックの機能があるという意味では、前より厳しくなったのではないでしょうか。
現在、ドイツのノイウルムにある財団「The Walther Collection」が運営しているスペースで「Then & Now」という展覧会に参加しています。二階が僕の個展で、一階はこの財団に収蔵されている1980~90年代の中国の写真作品を展示しています。一階と二階を比較する形で、中国の写真のシーンを紹介していますが、1980~90年の写真は、どこか畏まって粛々としたものが多いのに対して、僕が代表しているニュージェネレーションは、より私的でよりリラックスした写真が展示されています。それを見るだけでも時代の流れを感じてもらえると思います。
▼展覧会 | |
---|---|
タイトル | |
会期 | 2019年6月21日(金)~7月27日(土) |
会場 | Akio Nagasawa Gallery Aoyama(東京都) |
時間 | 11:00~13:00、14:00~19:00 |
休館日 | 日~水曜、祝日 |
URL |
▼写真集 | |
---|---|
タイトル | 『Flowers and Fruits』 |
出版社 | T&M Projects |
価格 | 4,400円+tax |
出版年 | 2019年 |
仕様 | ソフトカバー/148mm×210mm/176ページ |
URL | https://www.tandmprojects.com/collections/frontpage/products/lin-zhipeng-aka-223 |
『Flowers and Fruits』
リン・チーペン aka No.223|Lin Zhipeng aka No.223
1979年中国広東省生まれ、北京在住。中国の現代写真を代表する写真家。2003年から写真と短いテキストを自身のブログ「North Latitude 23」にて発表し注目を集める。中国において、写真を通じて若者の文化を世の中に発表した最初のひとり。インディペンデントでの出版を手がけるなど、中国の若者たちへ多大な影響を与えている。これまで自費出版含め10冊の写真集を出版し、国内外で展覧会を開催するなど精力的に活動を行う。 「No.223」は、彼がウェブ上でも使っていた通称であり、ウォン・カーウァイ監督作品の映画『恋する惑星』(原題:重慶森林、Chungking Express)の登場人物「警官223号」から採用された。メディア規制の厳しい中国で本名での活動を避けるために、この通称を使用している。2019年に『Flowers and Fruits』をT&M Projectより刊行し、あわせて個展「223@Akio Nagasawa Gallery Aoyama」を開催。
http://www.linzhipeng223.com/
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。