Interview
Mari Katayama

片山真理インタヴュー
ユニバーサルな身体という「GIFT」

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片山真理インタヴュー「ユニバーサルな身体という『GIFT』」 | 片山真理

アーティスト・片山真理は、さまざまなメディアのあいだを跳躍しながらユニークな作品を生み出していく。「あいちトリエンナーレ2013」や「六本木クロッシング2016」などで発表された鮮烈なイメージに衝撃を受けた人も多いのではないだろうか。現代アート界で存在感を示すばかりでなく、昨年の木村伊兵衛賞へのノミネートも記憶に新しい。最近では、アーティスティックディレクターのラルフ・ルゴフによる実験的な展示が話題を呼んだヴェネチア・ビエンナーレ2019企画展への出展や第35回写真の町東川賞新人作家賞の受賞など、いま最も活躍著しいアーティストの一人だ。そんな片山が今春、これまでの仕事をまとめた写真集『GIFT』を発表した(ユナイテッドヴァガボンズ)。自らの身体-境遇と徹底的に向き合うことでつむがれる誠実な言葉。自らの「ユニバーサルな身体」について片山自身が語った。

インタヴュー・文=若山満大
写真=木暮伸也

―今回発表された写真集は、片山さんにとってどんなものになりましたか?

この写真集は私にとって、ひとつの区切りといえそうです。それくらい、いままでの自分の仕事がきれいに「まとまっちゃったな」という感じがしますね(笑)。

片山真理作品


―写真集のタイトル「GIFT」には二つの意味があるそうですが、詳しく教えてもらえますか。

今回のタイトルを象徴的に物語る作品があります。それがこの、指の写真を転写したハート型のオブジェです。これは私が産後3カ月で作ったものです。私と夫、二人の両親の指を転写した布を使ってオブジェを作りました。妊娠中の女性はみんなそうなのかもしれませんが、「当たり前なんてない」っていうことを私も強く意識しました。要するに、子どもが心配なんですよね。一人でいるときは、淡々と流れる日常を信じて疑わなかったけれど。

妊娠してから子どもが生まれるまでは、指が無くても、足が無くても、それはそれで仕方がないなと納得しようとしていたんです。でも、分娩してすぐさまお医者さんに確認した自分がいました。「指は、足はありましたか」って。五体満足で生まれてきてくれたらいいなと思いつつ、一方でずっと「もしかしたら」って思う自分がいました。もしそうなってしまったら、そのときは私が持ってるものを娘にあげようって思ったんです。欠けてるものは誰にでもある。娘がもし欠けていることにうしろめたさを持ったとき、それを補えるような自信や安心を与えてあげたい。親として、そう思って作ったのが、このオブジェでした。

でもこの作品の展示を終えて、あらためてこれを見たときの自分はかなり冷静でしたね。「こんなの貰ってどうするんだよ!」って思ったりして(笑)。このオブジェを受け取った娘はおそらく「お母さん、これどうしたらいいの!」って、困って私に助けを求めてくる気がしました。そう考えていた折、「Gift」という英単語はドイツ語だと「毒」という意味になるんだと知りました。毒は「与えられるもの」だからと。なんともドイツらしい考え方だなって思いました。私がよかれと思って贈った「GIFT」は、娘にとって必ずしも好ましいものではないのかもしれない。それがとても腑に落ちたから、写真集のタイトルにこの言葉を選んだんです。


―同時に「GIFT」が写真集全体を貫くテーマになっています。自分の仕事全体を振り返ったときも、そこに「GIFT」らしい要素はありますか?

はい、ありますね。全部愛しくてかわいらしい私の作品とは、もはや思えない。過去の自分と現在の自分は、同じだけど切り離されて存在しています。過去の自分が作った作品は、現在の自分に投げられた「毒」なんだろうと思います。当時は贈り物のつもりだったんでしょうけど、いまの私は結構困っていたりして(笑)。受け入れていこうとは思いますけどね。

―片山さんの表現はとても多彩ですが、なかでも写真というのは特別なメディアなんですか?

いえ、そうでもありません。私はこれまで、オブジェと写真を混交したインスタレーションを発表してきました。とはいえ写真集を出したことで、私の活動をよく知っている人たちからは「写真家になっちゃったね」なんて冗談をいわれますが(笑)。手芸にせよ、写真にせよ、私にはプロフェッショナルのもとで学ぶという経験がありません。入門部分だけ手引きしてもらって、あとは独学でした。シャンソンを歌うこともあるのですが、それもバイト先のジャズバーで覚えたものだったり。だから、写真だけが私にとって特に大切というわけでもないんです。「私は写真家です」なんて自己紹介は絶対できないですよ。「気が多いアーティスト」くらいがちょうどいい肩書きですね。

―手芸でオブジェを作りはじめたきっかけを教えてください。

お裁縫をしている家族の姿を、子どもの頃からずっと見ていたことが大きな要因だと思います。曽祖母も、祖母も母も、みんなお裁縫をしていましたね。私は9歳まで内反足だったから、既製の子ども服が着られなかったんですよ。母は自分の洋服をリメイクして私の服を作ってくれました。その仕事を横で見ていたときから、針と糸を持つようになりましたね。それからいまも針と糸を使って作品を作りますが、私の作品は母たちにいわせれば、かなり不恰好らしいですよ。細かいところの処理ができてないとか、生地がちぐはぐで綺麗じゃないとか、もう「ありえない!」って(笑)。

片山真理


―今回、写真集を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

「六本木クロッシング2016」で発表したインスタレーションでは、自分が持っているオブジェを全て出しました。「全部出しちゃった」という気持ちがあったから、そのあと素直に写真に向かえたんです。そして写真のシリーズを三部作ったあと、妊娠がわかって、そこでいままでと活動のペースが変わって、時間がたくさんできたんですね。それであるとき、ふと思ったんです。自分の手を離れちゃった作品はこのあとどうなるんだろうって。発表されっぱなし、世の中に放り出されてそのままになっている彼らのことが少し気になったというか。そんな折に写真集の話が舞い込んできました。だったらこの機会に彼らをまとめて、あらためて世に出してあげようと思ったんです。

―作品は制作年順に並んでいますね。

いちばん古い作品は大学の学部生だった頃のものです。一応セルフポートレートの程をとっていますが、当初はこれが作品だなんていう意識はありませんでした。

高校生の頃から、絵を描いたりオブジェを作ったりしていました。でもその時は、自分でもそれが何なのかはわからない。だから人に見てもらいたくて、SNSに画像としてアップするようになりました。ちょうど流行りはじめていた「Myspace」とか「mixi」を使っていましたね。そういうことを始めてまもなく、スタイリストの島田辰哉さんから「ファッションショーに出てくれないか」というお誘いをいただいて、そこで義足に絵を描くことになったんです。さらにこれがきっかけで、群馬青年ビエンナーレに出品して奨励賞をいただきました。特に義足はそうなんですが、ブツ撮りしてSNSにあげても、それが何なのかよくわからないんですよね。だから自分の足につけて、やや説明的な写真を撮りました。これが結果的にセルフポートレートになりました。

―写真を撮り始めたきっかけがSNSだったのは意外でした。2005年あたりから使いはじめたということになりますが、それってかなり早いですよね。

父が情報処理の仕事をしていたので、インターネットには早くから接していました。15歳くらいからHTMLを使ってホームページを作ったりしていましたね。いまだにそのWebサイトを使っているので、仕様が古いのはそのせいです(笑)。商業高校に進学したのは、IT系の職業に就きたかったからでした。だから自分が美大に進学してアーティストとして活動するなんて、その頃は全く考えもしなかったです。

―セルフポートレートであることを意識して撮りはじめたのは、いつ頃からですか?

実は、いまだにセルフポートレートを撮っているつもりはないんですよね。私の作品がセルフポートレートと呼ばれることは、自分が写真家と呼ばれるのと同じくらい違和感があるんです。だってそこに写っているのは私じゃないから。あくまで「自分のいうことをなんでも聞いてくれる、思い通りになるモデル」が自分だったというだけなんです。

自分以外の誰かとは、必ず言語によるコミュニケーションが必要になりますよね。それだといくら意思の疎通ができたとしても、やはり「思い通り」とまではいかない。必ず自分の意図とモデルさんの意識のあいだにはズレが生じますから。唯一セルフポートレートを撮ったという自覚があるのは、妊娠中の自分を撮った写真ですね。あれは記録というか、いまの自分を写真として残しておきたいという思いから撮影したものでした。


―2014年の《you’re mine》以降、作品の舞台が自室から屋外へと展開していきますね。ちょうどその頃、活動拠点を群馬に移されています。

「TRAUMARIS|SPACE」での展示は、ギャラリーで開催した初めての個展になりました。「you’re mine」のほか、石膏で自分の身体をかたどったオブジェを展示しました。この作品を制作するとき、一度実家に帰ったんです。石膏取りするのは大変だし、場所も必要だから、ひとまず太田市の実家で制作しようと。

そんな折、前橋市に新しくできたアーツ前橋がアーティスト・イン・レジデンス(A.I.R)事業を始めて、私はその第一回目のレジデントに選ばれました。2014年10月と2015年2月から3月にかけて、述べ55日間、前橋で滞在制作をしました。制作に集中するために義足を外すことがしばしばあるので、A.I.Rまでは自宅でしか制作したことがありませんでした。すこし不安もあったのですが、前橋で出会った人たちのおかげで、徐々に制作環境が整っていきました。毎晩のように前橋の商店街を飲み歩いて、仲良くなった人たちがいろいろと助けてくれたんです。そうして滞在中に彼らと一緒に写真を作りました。アーティストにとってまず大事なのは安心して制作できる環境だなと、このとき気付かされましたね。それで2015年に、生まれ育った太田市に帰ってきました。

現在は伊勢崎市に住んでいます。超田舎で、何もないんですけどね。でも、面白いんです。例えば食肉でも牛乳でもなく、堆肥を生産するためだけに、広い牧場で牛が飼われてるんですよ。食べて、寝て、排泄して、また食べて。たくさんの牛が日がな一日、ただ普通に生きている。なんだか感動しちゃって(笑)。伊勢崎を車に乗ってぶらぶらしてると、誰かが植えた巨大なソテツが唐突に道路脇に現れたり、民家の庭先でなんだか楽しげな植栽や鉢植えを眺められたりします。私たちが田舎に対して言う「何もない」は、裏を返せば余った空間がたくさんあるということなんですよね。人はそれを使って何かをするし、そうであるからこそ「何もない」景色の中にも人の営みは必ずあるんだろうなと思います。


―写真集によってこれまでの仕事がひとつの区切りを向かえたわけですが、今後はどのように展開していきそうですか?

もっと自由になれそうな気がしますね。アートの世界に10年関わってきて、たくさんの人に出会いましたし、自分の可能性も実感できるようになりました。これまでほとんど写真は撮らなかったんですが、最近は意識的に写真を撮ろうとしています。これは大きな変化かもしれません。半年前からアメリカのミシガン州や地元の渡良瀬川流域で風景を撮るようになりました。

―どうして風景を撮ろうと思ったんですか?

風景を撮りたいというよりは、その背景にある「人」を撮りたいと思ったんです。私たちが「環境」とか「自然」と言ってる場所も、ほとんどの場合人の手が加わっていますよね。それこそ風景として消費されてしまう景色でも、人が作り出したものなんだと思ったら急に愛おしく思えてきて。この場所はどうしてこうなったんだろうとか、ここにはどんな人たちが暮らしてきたんだろうとか。そんなことに興味を持つようになりました。でも、だからといって生活している人を撮ろうとは思えなくて。それでも人の営みはとらえられるんだろうけど、それは少し違うかなという気もしています。これもいずれ、作品として発表していくつもりです。

―人の営みの蓄積が景色を形作っていくのだとすれば、片山さんのこれまでの人生もちょうどそんな感じですね。つまり、出会ってきたさまざまな人たちがアーティストとしての片山さんを形作っている。そのことがお話を聴いていてよくわかります。

それもそうだなとは思いつつ、一方では違うことを考えます。これまでの人生を振り返ってみると、本当に私は自分の意思で何かを成し遂げた経験がないんですよね。自分なりの目標はその都度あって、進学したり就職活動も頑張りました。そこで求められることに応えようと努力はしたつもりです。でも、なぜかいつも少しズレるんですよね。

―努力と結果が結びつかないということ?

というより「普通」とのズレですね。望んでいることは何も難しいことじゃないのに、私の場合は望んでもなぜかそれは手に入らない。やればやるほどズレていく。自分が望んだ結果とは違ったものが手に入ってしまう。多少そのことに悲観的になったこともあるけど、でもいまは、それもひとつの「おもしろさ」なんだろうなと思えるようになりましたね。「私は普通にやろうとしてもできないんだ」ということが理解できてきました。

子どもの洋服を選ぶときは、なるべく周囲から浮かない格好をさせたいなと思って選ぶんです。でも、このあいだも友人に「なんでそんな服選んだの?」っていわれちゃいました(笑)。自分の服についても、ときどきいわれますけどね。これまでの人生が「普通になりたいけど、なれない現実」に抗ってきた結果なんだとすれば、普通になれないことを受け入れた「これから」がどうなっていくのか。自分でも全くわからなくて、ちょっと楽しみですね。

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―片山さんは自分のことを他人事のように話しますよね。

確かに、そういうところはあるかもしれませんね。「片山真理さん」という人がいて、私はその人を眺めている感じ。「ここは笑った方がいいのかな」「喜んだりしたほうがいいのかな」とか考えている自分も常にいます。

―社会の中における自分の立ち位置にすごく敏感なのかな、と思ったりします。

そうだと思います。普通に社会に溶け込めたら、そんなこと考えなくても生きていけたと思います。でも、どこかズレている。そのひとつは身体的な感覚ですよね。左利きの人が日常的に感じている「右利き社会とのズレ」と同じだと思います。身体の在りようが普通と違えば、社会に対する自分の考え方は必然的にメジャーなものと異なってくるし、自分の行動に対する周りの反応も独特なものになっていきます。それはとても面白いことだと思いますね。

もちろん、自分の境遇を素直に喜べるわけではありません。でも普通とは違った身体や感覚を持てたことで、みんなが気がつかないような「類似=アナロジー」に気付けるようになったことは幸運でした。アレとコレは似ているんじゃないかなって、物事をつなげる感覚ですね。だから、いろんな人と友達になれるような気がしていて。そのことを木幡和枝さんは「とてもユニバーサルな身体を持っているわね」と表現してくれました。つまり、いろんな経験ができるということ。それは障害を持っているからとかではなく、この身体のおかげで、言語を超えて、性別を超えて、国境や文化を超えて、人と繋がることができるということです。人と違うということはそういうことだと、木幡先生は私に教えてくれました。

片山真理


―普通や常識という観念は人と人をつなぐ一方で、分断する危険もはらんでいます。人と違うという自覚は、分断を未然に回避しますね。「私はあの人とは違う」ということは同時に「あの人は私の常識で測れない」ということを意味しますから、不用意な断定が起こりにくい。自分と他者との関係がその都度フレキシブルに結び直されていく。

そう、だからこそ、結べる関係があるんだと思います。普通に暮らしているように見える人たちも、それぞれユニークなストーリーを持っているんだろうなって想像できますよね。それはいわゆる「普通」の社会生活の中では決して見えないけれど。でも、私みたいな特殊な境遇の人間が窓口になることで、誰かや何かのユニークな側面が社会にとって意義あるものとして認知されるといいなと思っています。

私は図らずもアーティストという生業を得ました。でも、実は公務員になりたいと本気で思っていた時期があったんですよね。私みたいな人間が市役所の住民課とかにいれば、きっと社会の役に立てるんじゃないかと。とはいえ、なぜか自分の意思とは違う方向に人生は進んでしまいましたけどね。なりたかった自分にはなれなかったけれど、それもいまでは納得しています。いまの私は「拡声器」を手わたされたようなものです。住民課の窓口は、面と向かって一人一人に声をかけるのが仕事です。一方アーティストとしての私は、より遠くにいる、たくさんの人たちに声を届けるのが仕事です。それがいまの自分に与えられた役割なんだと信じています。

片山真理|Mari Katayama
1987年、埼玉県生まれ、群馬県育ち。2012 年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。先天性の四肢疾患により9歳の時に両足を切断。自身で装飾を施した義足を用いたセルフポートレートを主軸に制作しながら、その他にも「ハイヒールプロジェクト」として、歌手やモデルなど多岐に渡り活動をしている。2005年に群馬青年ビエンナーレ 激励賞を受賞。その後、多数の個展を開催し、あいちトリエンナーレ2013、六本木クロッシング2016などさまざまな国内外のグループ展に参加。