10 March 2022

『マイハズバンド』を出版した潮田登久子の40年間変わらない「写真」との関係

10 March 2022

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『マイハズバンド』を出版した潮田登久子の40年間変わらない「写真」との関係 | 『マイハズバンド』を出版した潮田登久子の40年間変わらない「写真」との関係

写真集『マイハズバンド』を出版した潮田登久子。『冷蔵庫』や『本の景色』などに代表されるように、これまで被写体と一定の距離を持って向き合い、対象を採集するような作品を発表してきた。本作は冷蔵庫の撮影を始める少し前、潮田が出産を経て豪徳寺の西洋館に引っ越し、そこで過ごした日々をまとめている。また現在PGIにて同名の写真展も開催されている。タイトルにもなった「マイハズバンド」である写真家で夫の島尾伸三と共に、40年前の写真を写真集として発行することになった経緯や、お互いの制作を振り返る。

文=村上由鶴
写真=AKANE

―まず、写真集『マイハズバンド』を出版することになった経緯から教えて下さい。お引越しのときに見つけられたんですよね。

当時、借りていた部屋は明治の末に建てられた西洋館(旧尾崎行雄邸)でした。島尾の写真集『まほちゃん』(オシリス、2007年)が撮影されたのと同じ場所です。1979年から7年間暮らし、近くの実家に移った後もそこを仕事場兼物置代わりにしていました。2020年3月に、そこを引き払うことになって片付けていたら、40年前のネガやプリントなどが出てきたんです。すっかり忘れてしまっていたのですが、やがて撮ったときのことを思い出した写真もありました。

―見つけたときに、「これは作品として発表しよう」と思ったのですか?

これらの写真は、写真集や展示をする作品として撮ったわけではありませんでした。ただ目の前の生活を撮っていたっていう感じなんですね。同じ時期に島尾が、やがて『まほちゃん』にまとめることになるのですが、私も同じ家の中の景色を撮っていました。でもいま振り返っても、彼の撮り方とは随分違うと思っていました。もしかしてこの写真で自分の写真集や写真展ができるのではないか、できたらいいなと思ったんです。

―たしかに、島尾さんの『まほちゃん』とは違った印象を受けます。撮影したときには、それらとは違うものを作ろうと考えて撮っていたのでしょうか。

私は島尾の写真を「こたつ写真」と呼んでいるんですけれど、島尾はこたつに入りながら四方八方撮るような撮影の仕方をしていました。私は街に出てスナップショットしたり、取材に行って写真を撮るスタイルだったものですから。でもこの人は、どこも行かなくて。当時はほとんど仕事もせずフリーターだったので、マホや、うちに遊びに来る子供たちや私の仕草なんかを部屋の中で撮っているんですね。私は、「え、こんなんで写真になるのかな?」とか、「私にはできない」と思っていました。でも、カメラはあるので、ひとりでいるときに撮ったりしていました。島尾は子供が生まれたことがとても嬉しかったらしく、私の撮った写真の中にもその姿が写っています。いまになって、40年前の写真を見返すと、そういう彼の喜びがひしひしと胸にせまってきます。

『マイハズバンド』より

『マイハズバンド』より

『マイハズバンド』より


―写真を見ていると、島尾さんが写っていない写真が印象的でもあって、あまり家にいらっしゃらなかったのかなと推測してしまったのですが。

出かけると翌日まで帰ってこないというのはいまでも同じです。携帯は持っていないので帰るまで連絡がつきません。送り出した瞬間に、今日は帰って来ないなってわかります。そうすると、夜中に帰ってくるか、翌日か、翌々日なのか、帰ってきたら「おかえりなさい、楽しかった?」っていえば彼はご機嫌です。

―潮田さんがひとりで家にいる間に撮られている写真には、帯にあるように文字通り「静寂」という言葉がぴったりです。「静かさ」と「寂しさ」のようなものがあるのかなと想像したのですが。

寂しいとはあんまり思わなかったですね。写真を撮るところを見られるのがあんまり好きではなかったからかもしれません。ちょっと解放された気分になっていました。

―写真集では、まほさんの写真も多いですが、『マイハズバンド』というタイトルはどのように決められたのですか?

懐かしい時代の「懐かしい写真集」にはしたくないということだけは、須山悠里さん(デザイナー)やみなさんに最初にお伝えしたと思います。自分でそういっておきながら、情緒的なタイトルが浮かんできちゃうんですよね。もう少しストレートな言葉がふさわしい、と思ったところで、「マイハズバンド」がいいかなと。みなさんが一致して「よし」っておっしゃってくださったのが、すごく嬉しかった。

潮田登久子


―今回は2冊セットの写真集になっていますが、この写真のセレクトや造本についてはどのように感じていますか。

いままで私の写真集のデザインや構成はだいたい島尾がやってきたんです。経済的なこともあって。でも喧々諤々しながら写真集を作るのはすごく疲れるんですよね。でもPGIの高橋さんに相談したら、心当たりがいくつかあるので営業してみます、とおっしゃってくれて。それで版元はtorch press、デザインはアートディレクターの須山さんにお願いすることになりました。たまたま、私たちが以前からお世話になっている大伸社(印刷所)を網野さん(torch press)と須山さんが提案なさった。ここまでラッキーな偶然が重なれば、うまく行かないはずがない。これはすべてお任せしようと思いました。一番の難題は島尾の処遇です。今回は、「マイハズバンド」だから、まな板の上の鯉になってもらいたいとお願いしました(笑)。こちらが料理するから、色々あるでしょうけどよろしくねっていったら、「いいよ」っていってくれました。

マイハズバンド

―これまでデザインをご担当されてきた島尾さんとしてはいかがでしたか。

島尾:私もほっとしましたよ。

潮田:だって、『本の景色』写真集作るのにも20年かかったんですよ(笑)。

―それはおふたりの間での折り合いがつかなかったとか?

島尾:いや、それはもうこの人の決断が遅いから。

潮田:そう、遅すぎるから。

島尾:印刷所もきちんとお願いして、色校正もコンディションもちゃんとやっておいたんですが、まず紙を選ぶだけで4年かかった。

潮田:本を撮っていて面白かったからあちこちへ行って撮ったりして。そうすると時間もとるし、写真も増えちゃった。でもみんな待ってくれたんです。

島尾:それで、一度組んだやつをばらして、コンセプトから全部やり直して作ると「これ、私じゃない」っていう。で、またばらして1年ぐらいしてからこの人が撮ってきたのを書き集めて整理して……と。もう狂って死にそうでした。

―写真集『マイハズバンド』は、かなり読み応えがある寄稿が2本収録されていますね。こちらを読んだときはどのように感じましたか。

高橋さんが長島有里枝さんと光田由里さんにお願いしてくださいました。このテキストはすごいなと思って。私には身にあまりあるというか、もっと頑張らなきゃいけないっていうふうに思いました。写真自体は40年前に撮影したものなので、今頃頑張ってもしょうがないんですけど、この文章に耐えられるものができているか、そういう写真だろうかということを心配したんです。

長島さんは、ご自分で色々文献を調べたり、私のデザイン学校時代のことも調べたりしながら、社会背景までさかのぼって書いてくださったんだなというのがわかったし、私が一番封印したい時代のこともちゃんと晒して書かれている。私はそれをなるべくなきものにしたいタイプだったのが、ああ、これではいけないんだなって、反省したんです。光田さんとの出会いは、私が大辻先生のところで、『先生のアトリエ』を撮っていたとき、大辻先生の松濤美術館での展覧会のために、光田さんがキュレーターとしていろいろ調べにいらしていて、ちらっと挨拶したくらいだったのですが、そこで、私が先生の「モノ」を撮影している姿を見ていらした。そのときのことを、私が楽しげに撮っていたとテキストに書いて下さいました。私はこれまで撮影時に楽しいと思ったことはなかったのに、そういうふうに見ていてくださる方がいるっていうのはとても嬉しかったですね。ピナ・バウシュの舞踊にも似てと形容してくださったのが最高の褒め言葉であると私は勝手に解釈しています。写真を評価されるよりも、生きる姿勢を認めてもらえたことで勇気をいただいた気がします。

―2冊セットの写真集にされたのはどのような理由があったのでしょうか。

当初は、1冊に1編ずつのテキストを分て載せるという話もあったんですが、この2本のテキストをどちらも読んでいただきたいと思って、テキストは片方にまとめました。2冊を一本の帯でまとめていますが、でも、この帯がちょっと扱いにくいんですよね(笑)。買われた方が困るかな、と思いながらも、後から、この帯が2冊の本を束縛してるようにも受け取れるかもしれないと思いました。で、島尾に聞いたら「そうだよ」っていうのね。須山さんは、わかっていてこういう仕立てにしたのかなって思って。いろいろな勘ぐりができておもしろいですよね。関わってくれた人それぞれが役目を最高に果たしている仕事だと思いました。

―確かに、片方の本がどこかに行かないようになっていますね。

島尾:私が以前、私たちの関係について登久子さんに「放し飼い」っていったら、「放し飼い」というからには飼われているんだっていわれたことがありました。

潮田:そう、放し飼いっていっても、限られた柵の中で自由にしているだけだからね。

―35mmフィルムで写真を撮ること、2分冊になっていることを長島さんがテキスト内で考察されていますが、潮田さんご自身はどのように思われましたか?

潮田:長島さんが書いてくださっているように、6×6だけにした方がいいんじゃないか、とか、6×6と35ミリを取り混ぜて一冊にしてはと考えていたので、須山さんからの提案におどろきました。結果としてはとてもうまくいったようで、嬉しかったです。

島尾と一緒になる前のことですが、私は街に出て人に声をかけて写真撮ったりしていたんですけど、限界を感じていたんですよね。人間を撮っていても、なんか私の方が社会や人を意地悪に見ているっていうのかしら。斜に構えているというか、そういう目線が出来上がっちゃっていて。島尾に、人を撮るときには、人間の尊厳を大事にしたほうがいいっていわれたこともありました。一方で、この人は軽やかなフットワークで家の中や自分の周りを撮っていて。私も一緒に真似して35ミリでやってみるんだけれど、これは真似だと思ったりして、それでちょっと自分の作品をつくることから遠ざかって、一年ほど休んだ時期もありました。少ししてから家の中で自分にできることは、と身のまわりを見まわし、6×6で冷蔵庫の写真を撮りはじめました。

島尾:1960年代後半から1980年その10年間ぐらいは、世の中の汚いところをあぶり出す写真が多かったですよね。貧しい生活をしたり、苦しい生活をしたり、地方で粗野な状態で、都市の生活から置き去りになって暮らしている人たちを、モノクロで粒子を荒くして、意地悪く汚く撮るというような時代がありました。そういう時代に、この人はちょうど学生からフリーになったので、その時代の中で、写真として評価されるためにはそういうことをする必要があると教えたし思い込んだのかもしれない。だから一緒になったとき、この人はそういう写真をぜんぶ捨てようとしていたんです。

潮田登久子

―その頃よりもあとに撮られたものだからなのか、家族を撮っているからなのか、意地悪な感じというのはしないような気がします。

島尾:この人は感情の起伏を表にあまり出さない人で常に冷静。だから怖いことが起きてもそのときにあんまり反応しない。感情が動かない。スイッチが入ってからしばらくしてようやくいろんなことを理解し始める。見方によっては、冷たく見えるかも知れないけど冷たいわけではないですよね。感情を差し挟まないで見ている。感情がいっぱい入っている写真はわかりやすいし、写っているものにどうしても感情を喚起させられるけど、この人のはそうじゃないので、見る人の持っている何かが反応する。この人自身が持っている感情は写真にはないと思ったほうがいいかもしれない。

『マイハズバンド』より

『マイハズバンド』より

『マイハズバンド』より


―もし、島尾さんがデザインしていたらどんなタイトルになっていたのでしょうか。

島尾:私がデザインしてたら「ほほえみ」というタイトルになっていたと思います。この人が写真を整理しているときに私も手伝うでしょ。見ると写真に笑顔がないんですよ。だから逆にこの写真のうしろには、この人の優しい気持ちがあるんだよっていうふうに私は考えてしまう。でも、そういう解説じみたものがない方が結果的にはよかったね。

―島尾さんは「マイハズバンド」というタイトルで今回の写真集が出来上がってどのように思われましたか。

島尾:私は何も変わらないんですが、この人が、ようやく自我が芽生えたな、という感じがします。自分の写真について色んなことをいうようになった。

潮田:そうね。いままであんまりいわなかったね。

島尾:でも、自我がないということが悪いというわけではなくて、自我のない文化というのもある。それは、自我がある文化よりも劣っているわけではなくて、自我がないということが、上手く生きていくために必要な知恵だったりするんですよ。いちいち突き当たっていたら生きづらいでしょ。そういう知恵がベースにあったら、世の中はそんな嫌な感じじゃなく生きていける。この人(潮田)の一族はなんとなくそれ持ってますよ。だから私は江戸時代みたいだと思っています。江戸時代の日本人が幸せだったのは、戦争をしなかったこともあるけれど、西洋近代的な自我がとても希薄だったから。あなたはこの二つのテキストを読んで自我が目覚めたから、もしかしたらこれから不幸かもしれない……(笑)。

潮田:なによ、そんなことないよ(笑)。

―島尾さんのおっしゃるような変化が、潮田さんの中にもあるんでしょうか。

潮田:「自我」ということではないですが、いままでやってきたことが間違いではなかったんだなという気がします。『マイハズバンド』には、『冷蔵庫』や『本の景色』といった仕事がちゃんとつながっていることがわかった。それはとても嬉しいことです。

潮田登久子

▼展覧会
タイトル

「マイハズバンド/My Husband」

会期

2022年1月26日(水)〜3月12日(土)

会場

PGI(東京都)

時間

11:00~18:00

休館日

日曜・祝日

URL

https://www.pgi.ac/exhibitions/7473

▼写真集
タイトル

『マイハズバンド』

出版社

torch press

出版年

2022年

価格

5,500円

仕様

【Book 1】122ページ【Book 2】76ページ/240mm×190mm

URL

https://www.torchpress.net/product/3825/

潮田登久子|Tokuko Ushioda
1940年東京生まれ。1963年桑沢デザイン研究所写真学科卒業。1966年から1978年まで桑沢デザイン研究所および東京造形大学講師を務める。1975年頃からフリーランスの写真家としての活動を始める。代表作に様々な家庭の冷蔵庫を撮影した「冷蔵庫/ICE BOX」がある。2018年に土門拳賞、日本写真協会作家賞、東川賞国内作家賞、2019年に桑沢特別賞受賞。

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