28 June 2022

柿本ケンサクが京都・清水寺で写真展「TIME」を開催、永久のときの中の一瞬とは?

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京都府

28 June 2022

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柿本ケンサクが京都・清水寺で写真展「TIME」を開催、永久のときの中の一瞬とは? | © FEEL KIYOMIZUDERA

© FEEL KIYOMIZUDERA

多くの映像作品を制作するとともに、広告ビジュアルやアーティストポートレイトなど写真家としても活動している柿本ケンサクの写真展が、6月25日(土)より音羽清水寺で始まった。清水寺は、古来庶民に開かれた観音霊場であり、学問と芸術の交流地点でもあった場所。今回の「柿本ケンサク写真展-TIME-音羽山清水寺」は、1200年のときを経ていまなお存在する普遍的な祈りの場であるこの場所で、永久のときの中で「いまこの一瞬を生きている」という概念を表現するという。柿本に、清水寺との出合い、作品に込めた思いを聞いた。

ポートレイト撮影=竹澤航基
取材・文=小泉恵里

永い時間の中ではお互い点

—写真展「TIME」を清水寺で行うことになった経緯を教えてください。

清水寺のご住職が僕の写真展にいらしたときにお会いして、その後、昨年末に何か一緒にやりましょうというお話をいただきました。ご縁だと思うので是非やらせてくださいとお話をしましたが、清水寺で自分にはどんなことができるのだろうとしばらく考えていました。

―その後、清水寺に行って住職と話すことで何か発見はありましたか?

柿本ケンサク

ご住職から面白い話を聞かせてもらいました。僕も初めて知ったのですが神社仏閣はもともとお釈迦様の教えをいただく場所であると同時に、「表現をする場所」だったそうです。

というのは、お釈迦様の教えを言葉で紡いでいくときに、お経以外のものは、伝える人がそれぞれの解釈で理解し、それぞれの表現方法で伝えていったんです。それがいろんな宗派に分かれることになったのですが。

―なるほど。もともとお釈迦様の言葉があって、その教えをどのように伝えるかは、それぞれの寺に任されているということですね。

はい。解釈の仕方によって、ルールや考え方が変わってくるわけです。お釈迦様の教えを、仏像を彫って伝えたり、神社の建物の建て方で表現したり、絵画で表現したり。お釈迦様の教えを言葉ではない形にしていく人たち、現代でいうアーティストのような人たちがいたのですね。その「表現する場所だった」ということを聞いて、確かにそうだなと思いました。

―柿本さんも表現者でありアーティストなので、その点では表現の場である清水寺で制作したり演出したりすることは自然なことですよね。

けれど、清水寺と自分との共通点や接点を初めは感じられなかったので、その後寺を回らせてもらって自分なりの表現方法は何かを考えました。

―柿本さんと清水寺の接点は見つかりましたか?

自分と清水寺の接点はなんだろうかと考えたときに、長い歴史について考えました。悠久の歴史の中で見たら、清水寺はたった一点に過ぎない。そしてまた、僕もだいぶ現代に近づいてからの存在ですが、清水寺と同じくたった一点に過ぎない。永久に流れる時間軸の中では互いに点としての存在なのだ、ということに気づきました。

ここは千何百年もの間に人々が訪れて、いろんな人の点になっている。それを続けていけば線になる。点が繋がったときの線=時間ということを改めて感じました。極めて王道の考え方ではあるのですが、その悠久のときの中に生きる一瞬、という概念を表現したいと思いました。

―清水寺のどこに魅力を感じましたか?

清水寺はほとんどの日本人が知っている寺。だからこそ知らないこともたくさんあります。

住職が「清水寺は信心深い寺ではなく、衆生のための開かれた寺なのです」とおっしゃっていたのが印象的でした。その意味は、イスラム教の人でも、キリスト教の人でも、他の宗教を信じている人でも心の中にそれぞれの仏や神やご先祖を自由に思い浮かべることができる場所、それが清水寺なのだと。それが信心深くない、という意味なのだそうです。

清水寺の懐の深さを知り、そちらの方がいいなと思いました。そのような開かれた場所、という概念で清水寺の全てが設計されています。その中のひとつに、今回のスタジオとして使用した西門という場所があるのです。

西門に展示された「TIME」のメイン作品「Sombrero Galaxy M104」。

西門に展示された「TIME」のメイン作品「Sombrero Galaxy M104」。©FEEL KIYOMIZUDERA

清水寺は東の山に建てられている寺なので、門は本来東の方向に作られるものなのですが、西門はなぜか西に向いている。普段は人が入れないようになっていて1年に何回かだけ一般の人も入れる機会を設けている場所です。

もともとは極楽浄土を観想する日想観を行う場所でした。また、僧侶だけではなく一般の人たちにも開放されていて、地位も関係なく西の山に沈む夕日を崇めることができたそうです。西の山に沈む夕日は極楽浄土の光と例えられていたので、極楽浄土への想いを馳せ、誰かが亡くなったときに極楽に行けますようにと願いをするための門だったということを知りました。

―長い歴史の中で、多くの人々が願いをかけてきた場所が西門なのですね。

昔の人たちは宇宙と地球の関係や、方角を考えて生活していたんだなと、そこにダイナミズムを感じました。それとともに、何千年もの間、大勢の人たちが極楽浄土への想いを馳せた時間の流れも感じました。それで、ここをスタジオにしようと決めたんです。西門を撮影場所にして、長い歴史の中で多くの人が極楽浄土を祈った場所の光で作品を作ろうと思いました。


テーマは時と観音と空

―今回の写真展では、3つのテーマで構成されていますね。まず、「TIME」について聞かせてください。

西門、経堂で展示される「TIME」。©FEEL KIYOMIZUDERA

西門、経堂で展示される「TIME」。©FEEL KIYOMIZUDERA

「TIME」は、大宇宙を数千万年旅した光や時間を1枚のフィルムに閉じ込めたシリーズです。ときの流れについて仏教の持つ宇宙観から考えてみると清水寺が開創した1200年前の出来事なんて、ついさっき起こった出来事なのかもしれない。それを写真に置き換え、現像された写真の中で一番古いものは何かと考えてみると、数千万年前の過去の光をとらえた大宇宙の光なのではないかという考えに辿り着きました。

何千万光年も離れた場所から、ようやく辿り着いた光。まさにときを旅してきた記録そのもの。永久に流れる時間は、点の集合体でもある。光もまた粒子であることが確認されています。我々は、その時間の中に存在する点のようなものであるが、その点であることを認識した瞬間に、はるかに繋がった永久の時の流れを感じることができるのです。

ソンブレロ銀河は紀元前2930万光年の光を捉えているので2930万光年+2022年のときを表現したのが「TIME」のメインの作品になります。これは、天体写真を一回大きなものにプリントして西門に飾って西の山に沈む夕日を透かして再び撮影しました。それを立体プリントしたもので、中央には2930万光年(29300000BC)と彫られています。

―清水寺の本尊「十一面千手観音菩薩」をモチーフとする「KAN-NON」とは?

成就院で展示される「KAN-NON」。©FEEL KIYOMIZUDERA

成就院で展示される「KAN-NON」。©FEEL KIYOMIZUDERA

成就院で展示される「KAN-NON」。©FEEL KIYOMIZUDERA

本尊には30年に1回しか一般公開されない「十一面千手観音菩薩」が飾られています。普段見られる観音様の頭の上にも十一面の顔があります。顔は笑っていたり怒っていたりさまざまな表情をしている。僕はそれを見たときにいまっぽいなと思ったんです。

何がいまっぽいなと思ったかというと、一人の人間がいろんな顔を持った姿が多様性と、さらに多面性を感じさせるのです。私とあなたという意味が観音様だと住職から聞きました。「音とは心、観は感じることなのです」と。お参りに来て手を合わせる人の心を音ととらえて、感じるからたくさんの手がある。感じてそこに寄り添う観音様には、千の手と、さらに11個の顔がある。ダイバーシティーや人間の多様性が現代になって謳われているけれど、遥か昔の時代に体現していたのだなと感慨に浸りました。

現在、善と悪といった二元論になってきているけれど、本来一人の人間にも11面以上の多様性がある。いまの私たちに必要な立体作品が観音様なのだなと思ったんです。それを写真で表現できないかと考えたときに、観音様にインスパイアされて11人の同じ人が全く異なる表情をした写真作品を撮ることにしました。多様性と多面性を表現したポートレイトです。

―AIデータを学習させたという3つめのテーマが「Sky Tunnel」ですね。

光で仏像が浮かび上がる「Sky Tunnel」

光で仏像が浮かび上がる「Sky Tunnel」。©FEEL KIYOMIZUDERA

はい。3つめが数年前から取り組んでいる、過去に撮影した写真を人工知能に学習させAI現像するシリーズの最新作です。自分で撮影した空の写真を集めて機械学習させ、AI現像することで抽象化されたものを55枚並べた作品です。

作品の正面に立つと、ぼんやりと観音様のような像が浮かび上がります。一枚一枚を見ると、うつろいゆく空の風景だけれども、そのうつろう時間の流れの中に、見る人が心に抱く神や仏や、愛する人を思い浮かべるようなものを彫刻できないかと考えました。 “時間の中に心を彫刻する”のです。昔の人は木の中に仏像を彫ってましたよね。


曖昧から革命が生まれる

―映像作家としてのイメージが強い柿本さんですが、写真で表現することと映像とは何が違いますか?清水寺で写真を選んだ意味とは?

もともとムービーからスタートしましたが、広告を手掛ける前の時代、ミュージックビデオのときもCDジャケットを撮るなど写真はずっと撮っていたんです。

使う筋肉は違いますけど、映画も写真と似ています。映画は誰かの人生をトリミングしたもの。写真もこの世界のどの部分を切り取るのかが写真です。映画は2時間でストーリーを込める、写真は一枚にどうストーリーを込めるか。

ムービーのときはエンターテインメントとして見る人に楽しんでほしい、これまでとは違う価値観を感じてもらいたい、有意義な時間を持って帰ってほしいという思いで作ります。

写真になると伝えるものは凝縮されていて、さらに曖昧でもあります。その曖昧さこそが、清水寺での展示に合うと思いました。

―曖昧さが清水寺に合うというのは?

柿本ケンサク

清水寺のご住職から「作品を作るにあたり二つだけお願いがあります」といわれたんです。それはひとつめに言葉で説明できるものはやらないでください、二つめに答えを限定することはやらないでくださいというふたつでした。

説明をせず、答えを限定しない。曖昧さを保ち、余白を持つ。その考え方こそが、清水寺で作品展示をやりたいなと思った理由のひとつなんです。曖昧さというのはとてもいいものです。

常々、よくわからないものからでしか、革命は生まれないと思っています。余白を残し、曖昧にすることでそれぞれの人が感じる。見る人の感じ方に委ねたいと思います。

タイトル

「柿本ケンサク写真展-TIME-音羽山清水寺」

会期

2022年6月25日(土)〜7月10日(日)

会場

音羽山 清水寺(京都府)

時間

10:00~17:30(7月1日以降は18:00まで)

観覧料

無料(成就院は特別拝観料が別途必要:大人600円/小・中学生300円)

URL

https://www.kiyomizudera.or.jp/news/2022-kensaku-kakimoto.php

柿本ケンサク|Kensaku Kakimoto
2005年に⻑編映画『COLORS』を制作し、映像作家として活動を本格的に始動。これまで数多くの映画やMV、CMなどを手掛ける。写真家としても活動し、2021年9月渋谷パルコ地下1階GALLERY X」で展覧会「時をかける」を開催。

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