1970年代末、ロサンゼルスのパンク・シーンに身を投じ、ザ・クラッシュやX、PiLらを撮影した写真家スパイク・ウォルツァー。約半世紀を経て発掘された未公開写真を紹介する展覧会「PICTURE THIS: A PUBLIC IMAGE」が東京で開催される。パパラッチからパンクの記録者へ。写真を通して見つめた自由と反抗の精神、そして時代を超えて受け継がれるパンクの本質を聞いた。
取材・文=IMA
目次
パパラッチからパンクの写真家へ
――あなたはロサンゼルスで、ロン・ガレラらとともにパパラッチとしてキャリアをスタートさせ、その後、ザ・クラッシュを通してパンクと出会いました。この転機によって、写真への向き合い方、特に被写体との関係はどのように変化しましたか?
1978年、私はハリウッドに住み、パパラッチとしてセレブリティを撮影していました。隣人は『L.A. Weekly』で音楽記事を書いていたドン・スノーデンでした。ある日、彼がザ・クラッシュの『Give ’Em Enough Rope(動乱)』を聴かせてくれたんです。それはまるで雷に打たれたような衝撃でした。突然、何かが腑に落ちたんです。それまで私はセレブリティを追いかけていましたが、耳にした音楽と比べると、その世界が急に薄っぺらく思えてきました。そこには本物の、荒々しく、生きる力に満ちた何かがあったのです。
パンクは単なる音楽ではありませんでした。それはひとつの態度であり、現状を受け入れることへの拒絶であり、誰かの許可を待つのではなく、自分自身の手で何かを始めようという呼びかけでした。その自立心と反抗精神に、私は自分と通じるものを感じたんです。そして、その一部になりたいと思いました。
それから私は週に何晩もライブへ通うようになりました。あるバンドをきっかけに別のバンドを知り、気がつけばバンドを撮影しながら、そのコミュニティの一員になっていました。振り返ってみると、ようやく自分の居場所を見つけたのだと思います。
セレブリティを撮影することと、パンクバンドを撮影することには、根本的な違いがありました。パパラッチの仕事では、必ずしも撮影されたくない人々を追いかけることが少なくありません。一方、パンクでは、自分自身が属している世界を記録していたのです。私が関心を持っていたのは、音楽や人々、その姿勢、そして彼らを取り巻くエネルギーでした。単に誰もが知っている顔や、売れそうな写真を探していたわけではありません。そこにいる人々自身と、彼らがつくり出している世界の何かを捉えたかったのです。
文化運動を記録しようという壮大な計画があったわけではありません。ただ、その場にいることが好きで、バンドを撮影していたんです。カメラは、その世界に入っていくための手段でした。あの写真がどれほど重要なものになり得るかを理解し始めたのは、ずっと後になってからのことです。

The Cramps
1970年代末、ロサンゼルスのパンク・シーン
――1978年から1980年にかけて、ロサンゼルスは地元のパンクバンドとイギリスからやって来るミュージシャンたちが交差する場所でした。ウィスキー・ア・ゴーゴーやザ・ロキシーといったライブハウスは、どのような雰囲気だったのでしょうか。今でも鮮明に覚えている夜はありますか?
当時のロサンゼルスは混沌としていて、刺激的で、何が起こるかまったく予測できない場所でした。あのシーンは、単にイギリスのパンクをカリフォルニア流にしたものではありません。アートに夢中な若者、社会のはみ出し者、クィア、サーファー、どこにも居場所を見つけられない人々が衝突しながら、それぞれのやり方を模索していたんです。音楽も個性も考え方も異なっていましたが、それらが興味深い形で交差していました。
私は週に何晩も、ウィスキー、ロキシー、スターウッドにライブを観に行っていました。『L.A. Weekly』に掲載されたドン・スノーデンのレビューを読んだり、友人からおすすめを聞いたりして、とにかく飛び込んでいったんです。ある夜はザ・ゴーゴーズ、別の夜はザ・ジャームズ。そして、その小さなコミュニティの外ではほとんど知られていないバンドを発見することもありました。X、ジ・アリーキャッツ、ザ・スクリーマーズ、ブラック・フラッグなどは、あの時代を特別に刺激的なものにしていたバンドです。
イギリスのバンドは、そのシーンにまた別の側面をもたらしました。ザ・クラッシュは私にとりわけ大きな影響を与えましたが、私が魅了されたのは、大西洋の両側にいるミュージシャンと観客の間で交わされる、より広い意味でのアイデアの交流でした。当時はインターネットもSNSもなく、何が起きているのかを教えてくれるものはありませんでした。友人やフライヤー、レコード店、レビュー、そして何より、実際に現場へ足を運ぶことで情報を得ていたのです。
誰もお金を持っていませんでしたが、誰もが何か言いたいことを持っていました。「DIY」という言葉がこれほど広く使われるようになる前から、すでにDIYの精神があったんです。音楽業界が関心を示すのを待つことなく、誰もが手元にあるものを使って何かを実現しようとしていました。

PiL (Public Image Limited)
パブリック・イメージ・リミテッド(PiL)も、私に強烈な印象を残したバンドです。1980年にロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムで行われた彼らのライブは、挑発的で、混乱に満ちていて、滑稽でもあり、同時に素晴らしいものでした。ジョン・ライドンは観客を楽しませると同時に、彼らに挑戦状を突きつけていたんです。
彼らがテレビ番組『American Bandstand』に出演した時は、まったく別の意味で興味深いものでした。PiLのようなバンドがメインストリームのテレビ番組に登場する光景は、私がクラブで知っていた世界とはあまりにも対照的でした。
ただ、あの時代のすべてを象徴する一夜を選ぶのは難しいですね。私のお気に入りの思い出のいくつかは、小さなクラブで、30人ほどの観客を前に演奏する無名のバンドを観た夜のことです。そうしたライブほど長く記憶に残ることがあります。なぜなら、ほかの誰もまだその重要性に気づいていない何かを、自分だけが目撃しているように感じられるからです。
当時、私は歴史のことなど考えていませんでした。ただカメラを手に、誰もが気づいていた以上の速さで変化していく世界に、必死についていこうとしていたんです。
ライブ写真における視線と撮影手法
――あなたの写真には、ライブパフォーマンスの荒々しい身体的なエネルギーだけでなく、被写体の無防備さや緊張感も捉えられています。予測不能で、しばしば照明も暗いパンククラブの環境で、カメラを通して何を探していたのでしょうか。また、頼りにしていた撮影技術や直感はありましたか?
私は、単にバンドが曲を演奏している場面以上のものを捉えたいと思っていました。探していたのは、エネルギーや態度、表情、そしてその人の何かがふと露わになる一瞬です。それは演奏の真っ最中に起こることもあれば、演奏の前後、人々が見られていることをあまり意識していない瞬間に現れることもありました。
特に記憶に残っている撮影体験のひとつが、ロサンゼルスでザ・クラッシュを撮影した時のことです。イギリス人の友人ビルが、音楽誌『NME』の記者を装って、なんとかインタビューの約束を取りつけたんです。私はカメラを持って同行しました。
別の女性写真家が照明をセッティングしている間に、私は撮影を始めました。結果的に「撮影の中の撮影」のような状況になり、今でも生き生きとしていると感じられる写真が撮れたんです。改めて見ると、ザ・クラッシュをあれほど特別な存在にしていた緊張感や態度、火花のようなものが感じられると思います。
この経験は、私の撮影方法をよく表しています。いつも綿密な計画に従っていたわけではありません。周囲で起きていることに注意を払い、チャンスが現れたらすぐに生かせるようにしていたのです。
Xを撮影するのも大好きでした。彼らはロサンゼルスで頻繁にライブを行っていたので、何度も足を運ぶことができました。1曲や1回のライブですべてを撮りきろうとする必要はありませんでした。いろいろ試したり、もっと近づいたり、異なるアングルから撮影したりできたんです。一度の撮影ですべてを収めなければというプレッシャーを感じずに、その体験を楽しめました。
若い写真家へのアドバイスはシンプルです。ライブの間中、カメラの背面ばかり見ていてはいけません。バンドを見てください。観客を見てください。最高の写真が、必ずしもボーカリストの写真とは限りません。観客席やバックステージ、あるいはパフォーマンスを取り巻く何気ない瞬間にあることもあります。記録しているのは単なる演奏ではなく、ひとつの文化なのです。
与えられた条件の中で撮影しなければなりません。クラブは暗く、混雑していて、何が起こるかわかりませんでした。一枚一枚の写真について、じっくり考える時間があるとは限りません。直感が重要でしたし、周囲の人々に意識を向け、次に何が起こるかを予測することも大切でした。
今、写真を見返すと、その不完全さも作品の個性の一部だと思います。粒子の粗さ、影、動き、時折見られる混沌。それらは、あの環境の現実を反映しています。すべてを洗練された完璧なものに見せようとはしていませんでした。写真が生き生きとしていて、その場にいるとはどういうことだったのか、少しでも伝わるものであってほしかったのです。
写真を撮ることは、パンクに参加すること
――あなたは決してパンク・カルチャーの単なる観察者ではありませんでした。バンドを支援し、自らも音楽を演奏し、政治活動にも関わってきました。写真は、パンク・ムーブメントに積極的に参加するための手段だったのでしょうか。写真とパンクの精神には、どのようなつながりがあると考えていますか?
まさにその通りです。私は自分を、パンク・シーンの外側に立って遠くから観察する人間だと思ったことはありません。バンドを支援し、自分でも音楽を演奏し、政治活動にも関わりました。これらはすべて、自立心や創造性、既成の考え方に挑戦するという共通の信念によってつながっていました。
パンクは、自分の人生を自分で切り開くことを人々に促しました。バンドを始めるのにレコード契約は必要ありません。ライブを企画するのにプロモーターの承認も、何かを創造するのに組織の許可も必要ありません。手元にあるものを使って、ライブを開催したり、ファンジンを出版したり、音楽をつくったり、自分の考えを表現したりできるのです。
写真は、そうした哲学に自然と結びつきました。私はカメラを使って、世の中に知られるべきだと信じる人々や思想を記録することができました。地元のバンドが撮影するに値するほど重要かどうか、誰かに判断してもらう必要はありませんでした。その音楽に心を動かされ、その場にエネルギーがあれば、それで十分だったのです。
写真とパンクの最も重要な共通点のひとつは、どちらも自分自身のやり方で何かを実現できることだと思います。一般に受け入れられている物事の見方に異議を唱え、見過ごされがちな人々に光を当て、誰かの承認を待たずに何かを生み出すことができるのです。
このDIYの姿勢は、私の人生を通してずっと変わっていません。2009年にロンドンで始めた「Garageland」も、ほぼ同じ衝動から生まれました。自分の好きなバンドを出演させ、入場料を手頃な価格に抑え、人々が新しい音楽を発見できる居心地のよい場所をつくりたかったのです。壮大なビジネスプランがあったわけではありません。ただ、自分自身がずっと通いたいと思っていたようなイベントをつくりたかったんです。
私にとって、傍観者でいることよりも、参加することの方がずっと重要でした。当時、写真は私なりの貢献でした。そして今も、ライブを企画し、新しいバンドを支援することは、同じ信念の延長線上にあるのです。
約半世紀を経て再発見された写真
――今回の展覧会で紹介される写真の多くは、約半世紀にわたって未公開のままでした。撮影当時、それらがいつか歴史的資料として見なされることを想像していましたか? また、長い年月を経て写真を見返した時、当時は気づかなかった何かを発見しましたか?
まったく想像していませんでした。あの写真を撮っていた時、展覧会や写真集、歴史的資料のことなど考えていませんでした。私はただカメラを持った若者で、友人たちとクラブに出入りし、そこにいることが大好きだからバンドを撮影していただけです。どのミュージシャンが後に大きな影響力を持つことになるのか、パンクの歴史がどのように語られるようになるのか、まったくわかりませんでした。
ネガが入った箱を再び開けた時は、タイムマシンに乗ったような気分でした。40年以上も見返していなかったコンタクトシートがあり、それを見た途端、ライブハウスや、一緒にライブへ行った仲間たち、安いビール、終演後の会話などが突然よみがえってきたんです。音楽そのものをはるかに超える記憶が戻ってきました。
写真を再発見する喜びがある一方で、感情を揺さぶられる部分もありました。写真に写っている人々の中には、すでに亡くなった人もいます。そのことが、このアーカイブに対する強い責任感を生んでいます。これらの写真は、私の人生の一部だった人々との瞬間を保存しているのです。そして、その瞬間は二度と訪れません。
最も驚いたのは、写真が今でも驚くほど新鮮に感じられたことです。別の時代の遺物のようには見えませんでした。服装は変わり、人々も年齢を重ねましたが、その精神は今もそこにあります。私が最初にパンクに惹かれた理由であるエネルギーや個性、そして何かが生まれそうな可能性の感覚が、写真の中には今もはっきりと残っています。
また、今では写真の見え方も変わりました。当時、私が関心を持っていたのはバンドと、その周囲の人々でした。しかし今では、もっと大きな全体像を理解できるようになりました。音楽を取り巻いていた人間関係やコミュニティ、文化的な環境です。当時は何でもないと思っていた細部が、今では意味を持つことがあります。特に、その場にいなかった人々や、あの時代を経験するには若すぎた人々にとってはそうでしょう。
だからといって、当時は見えなかった写真のすべてを、今になって突然理解できたと主張するつもりはありません。ただ、私自身の視点が変わったことは確かです。そして、これらの写真が、ある文化史の一時期についての個人的な記録になっていることを、今では理解しています。
私はその物語のほんの小さな一部にすぎません。でも、あの時代が自分の周りで展開していた時、手にカメラを持っていたことをありがたく思っています。
日本の若い世代に伝えたいこと、そして今も写真を撮り続ける理由
――今回は、あなたの作品がイギリス国外で初めて紹介される展覧会です。1970年代のロサンゼルスのパンク・シーンを経験していない日本の若い世代に、これらの写真から何を感じ取ってほしいですか? また、現在も写真を撮り続ける原動力は何でしょうか?
日本の若い人たちには、先入観を持たずにこれらの写真を見てほしいと思います。すべてのバンドの歴史を知っている必要も、写っている顔をすべて見分けられる必要もありません。そうでなくても、写真と何かを共有することはできるのです。
パンクは、有名なミュージシャンや象徴的な写真、おなじみの物語を通して語られることが多いものです。しかし、パンクとは、ごく普通の人々が、非常に限られた資源を使って、自分たちのために何かをつくり出すことでもありました。自立すること、権威に疑問を投げかけること、自分の居場所となるコミュニティを見つけること、そして生き方や自己表現にはひとつの正解しかないという考えを拒絶すること。それがパンクだったのです。
写真から、その精神が伝われば嬉しいですね。そこには、人生のある瞬間を生きていた人々が写っています。しかし、その背後にある姿勢は、1970年代のロサンゼルスだけに限定されるものではありません。音楽を発見する興奮、新しい何かを生み出す喜び、同じ価値観を持つ人々との出会い。そうした感覚を理解するために、あの時代にそこにいる必要はないのです。
Garagelandについて、私が最も誇りに思っていることのひとつは、45年間ライブに通い続けている人々が、パンクを知ったばかりの18歳の若者たちと並んで立っている光景を見られることです。音楽についての知識や経験はまったく違っていても、数時間の間、彼らは同じバンドを観て、同じ体験を共有しているのです。
どの世代も、自分たちがパンクを発見したと思っています。でも、実際には決してそうではありません。パンクは常に受け継がれてきたものです。誰かが私にレコードやライブを教えてくれたように、これらの写真が別の誰かにとって、新しい世界への扉を開くきっかけになればと思います。パンクは過去に凍結されたものではありません。世代を超えてつながる一本の糸なのです。
今回、作品を東京へ持っていくことには特別な意味があります。写真が撮影された場所や時代から遠く離れた人々にも、作品を届けられるからです。音楽は常に国や文化を越えて旅をしてきました。写真にも同じような旅ができればと願っています。
今も写真を撮り続ける理由については、結局のところ好奇心だと思います。私は今でも人々に興味がありますし、自分の周りで起きていることや、そのままでは消えてしまうかもしれない瞬間に関心があります。写真は、世界に注意を向け、自分が経験した世界の一部を残すための手段なのです。
私の人生はさまざまな方向へ進んできましたが、音楽、写真、そしてパンクの独立した精神は、今も互いにつながっています。今回の展覧会を、単に過去を振り返るものだとは考えていません。過去を現在へと引き寄せ、写真の中に自分自身の人生や関心、願望と重なる何かを見つけるかもしれない人々と共有する機会なのです。
最終的に、これらの写真を通して伝えたいのは、歴史は有名人や大きな出来事だけによってつくられるのではない、ということです。個人や小さなシーン、束の間の出会い、自分の直感に従って行動する人々によっても、歴史はつくられます。
その時、自分にとって大切だったから撮った一枚の写真が、何十年も経った後、ほかの誰かにとっても大切なものになることがあるのです。

| タイトル | PICTURE THIS: A PUBLIC IMAGE |
|---|---|
| 場所 | Pootleギャラ |
| 会期 | 2026年10月15日(木)〜25日(日) |
| 休み | 無し |
| 時間 | 17:00〜23:00(土・日曜日12:00~22:00) |
| 料金 | 無料 |
| URL | https://www.spikewaltzer.com/ |
