3月13日よりAKIO NAGASAWA Gallery Ginzaで田島一成個展「A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO」が開催されている。本展では1995年にニューヨークで田島一成が音楽家・坂本龍一と共に過ごした1日を切り取った写真が展示され、同名の写真集も販売が開始された。レコーディングや音楽活動に追われる坂本の普段の姿を切り取った写真の数々は坂本の魅力的な一面を映し出すとともに、二人のアーティストとしての深い交流を感じさせる。当時田島は、坂本とどのような関わりの中で、どのようにしてその姿を写真に収めたのだろうか。
ポートレート撮影=白石和弘
取材・文=菅原幸裕
写真集『A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO』(MILD inc)、そして現在AKIO NAGASAWA Gallery Ginzaで開催中の同名の写真展は、写真家・田島一成が坂本龍一と2人きりでニューヨークの街を巡り、撮られた写真で構成されている。広告やファッションフォトで長年活躍している田島だが、30年前の、坂本との一連の写真は、ストレートな印象で、どこか穏やかさすら感じさせる。
「これは、1日を丸々記録するような写真集にしたかったので、タイムラインがわかる感じに、坂本さんと訪れた全てのロケーションで、数カットを選ぶようにしています。いま見返すと、若いフォトグラファーのこんな提案に、よくつきあってくれたなとも思いますね」
このように語る田島。当時坂本の依頼により、写真集のための撮影を行なっていた田島が、オフィスやレコーディングスタジオでの坂本の様子を撮り進める中で、屋外での写真が少ないと感じたことから、マンハッタンの各地をめぐる1日のシューティングを企画したという。ただ、のちに写真集『N/Y』(リトル・モア)としてまとめられた中には、この日撮られた写真は、わずか3カットしか使われなかった。
「アイドル写真集的にはしたくなかったので、当時僕はセレクトしなかったんです」(田島)
田島が坂本と出会ったのは、1995年、田島がちょうど仕事の拠点をニューヨークに移した時だった。パリにて3年を過ごした後、10ヶ月の日本滞在を経て、ニューヨークへ向かったという。
「パリに行ったのは、ファッションの仕事をしたかったからなのですが、(パリのファッションフォトをめぐる環境は)かなり閉鎖的で、誰かの紹介がないと写真を見てもらうことすら難しい感じでした。ところが、『ハーパース・バザー』のUS版がリニューアルし、アートディレクターにファビアン・バロンが就いたことで、多くのフォトグラファーがニューヨークに引っ越すようになったんです。そこで僕もニューヨークに旅行に行って、その時バロンのオフィスにコンタクトしたりして、こちらのほうがオープンな感触が得られたので、東京で仕事した後に移住しました」
ニューヨークに到着し、当初は懇意だったテイ・トウワの家に滞在した田島。そこでテイが、自身と同じレーベルに所属していた坂本龍一を紹介したのだった。写真集『A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO』に収められたテキストには、その時の様子が記されている。
小学生時代からの憧れのアイドルとの対面に大変緊張したが、とても優しく迎え入れてくれ、「娘が田島君のファンだから写真が見たかったのだ」と伝えられた。さまざまな話をしながらポートフォリオを見終わると、その場で「僕の写真集を撮らない?」と提案された。
(『A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO』より引用)
写真集『N/Y』の後も、田島と坂本の関係は続いていった。反原発など坂本の社会的な活動にも田島は参加した。そして商業写真の分野、ファッションフォトグラファーとして確固たる地位を確立していた田島に、個人作品としての写真を撮る機会をつくったのもまた、坂本だった。枯れつつある花を撮影した『WITHERED FLOWERS』は、坂本がゲストディレクターを務めた札幌国際芸術祭2014に参加したことをきっかけに、田島が行き着いた表現だった。
「自分の作品というのは何をつくっても自由。そして無限に自由というのはとても難しい。そこで、僕は自分がクライアントだったら、という考え方をしました。自分を顧客として、田島一成の写真を手にするとしたらどういうものが欲しいか。僕が得意とするのはファッション写真、そして花のような普遍的なものだったら身近に飾ることもできるでしょう。けれどもただの花では面白くない。枯れた花を、服をスタイリングしたモデルや、セットアップしたヘアスタイルを撮るような眼差しで撮影したらどうかなと思ったのです」
このように『WITHERED FLOWERS』への姿勢を振り返る田島。その起点には札幌国際芸術祭で、“自身の作品”を手がける他のアーティストたちに感じたコンプレックスがあったという。そして、そんな田島の心理を見越して誘ったと、後に坂本は田島に語ったそうだ。
「(お互いの)距離が縮まることはなかった」とも語るが、先のエピソードから、田島にとって坂本はいかに重要な存在だったかが窺える。ゆえに、その喪失の大きさもまた、想像に難くない。
「坂本さんがなくなる直前までLINEなどでやりとりをしていましたが、僕は治療がうまくいって復活してくれると、ずっと信じていたんです。だけど、それは叶わず、なくなられた後は自分がうつ状態になるぐらいショックでした。過去の写真を見ることができるようになるまでは、時間がかかりました」
坂本の事務所からの依頼もあり、過去の坂本を撮影したネガやコンタクトシートを見直す中に、今回『A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO』としてまとめることになるニューヨークでの1日の写真があった。ただ、写真集や写真展として実現するまでには、かなりのプロセスや時間が費やされたとも。
「コンタクトシートからセレクトをして、フィルムスキャンをします。ネガって、どのくらいの明るさでスキャンしたらいいのか、わかりにくいんです。明部が飛び過ぎたり、暗部がツブレたりして、なんどもスキャンをやり直しました。スキャナーは以前ニューヨークで入手したフレックスタイトが優秀なので今回も使ったのですが、古いOSしか対応していないので、スキャン用にパワーブックG4を用意しました。そうした装置のこともあって、スキャン作業自体も時間がかかります。スキャンが終わったら、ネガについているゴミとりをして、ようやく自分で写真をつくる作業。プリントするように、パソコンの中で色の調整をしながら、レタッチすべきところはレタッチしたりして、仕上げていきました」
こうして仕上がった『A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO』は、田島にとってどのような位置付けになるのだろうか。
「もともと坂本さんからの依頼があってスタートしたプロジェクトなのですが、その内容において特に制約はなかったので、自分の作品と仕事の中間のポジションでしょうか。でも今回写真を見直して、撮った当時とはかなり印象が変わりました。坂本さんの不在もあって、こういう素の坂本さんの姿を、もっとみんなに見て欲しいと思うようになりました。若い写真家にこれだけ協力してくれている姿をね。そしてとにかくこの1日のことを、記録として全て見せたい。そういう思いが反映したタイトルでもあるんです」
タイトル | 田島一成個展「A DAY WITH RYUICHI SAKAMOTO」 |
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場所 | AKIO NAGASAWA Gallery Ginza(東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F) |
会期 | 2025年3月13日(木) 〜 4月12日(土) |
時間 | 火〜土曜日11:00〜19:00 |
休館日 | 日・月・祝日 |
料金 | 無料 |
URL | https://www.akionagasawa.com/jp/gallery/current-exhibition/ginza/ |