写真家の思考をたどる「写真家のフィールドワーク」は、写真家による写真と言葉で綴られるフォトエッセイ。第二回目は15年以上アラスカに通い、とりわけ氷河という被写体に強く引きつけられ、大自然の中、一人でカヌーを漕ぎながら撮り続けて来た写真家・石塚元太良。最新の氷河シリーズとなる「Middle of the Night 」では、氷河に人工のライティングを施し、大型の8×10フィルムカメラで撮影している。幻想的な風景が浮かび上がる撮影の裏側には、一筋縄ではいかないプロセスが積み重なっている。「神々の蒼きダイヤモンド製の彫刻物」と写真家が呼ぶ、氷河へと駆り立てるものが何かを考察する。
写真・文=石塚元太良
アラスカへ撮影に通い始めて、今年で15年目になる。違う土地へ撮影に出かけようと思うことしばしばであるが、気付くとアラスカ行きのチケットを取ってしまっている。これは半分無意識である。
よく飽きないよねえと聞かれるが、15年の間に、初めは1280キロを貫通するパイプラインの姿を、続いて7年ほどの時間をかけて、100年前に金を採掘していたゴールドラッシュの歴史のドキュメントを、そしていま現在はもっぱら氷河という全き自然の姿をと、その対象を変化させてきたので、アラスカ自体に飽きることはなかった。
パイプラインを追いかけてきたときには、ひたすら見渡す限りに続いていく北極圏のツンドラ地帯を走破していたし、ゴールドラッシュの遺物を追いかけていたときには、文字通り誰も行かぬような鉱山の跡に機材を抱えて潜入し、そして氷河の撮影はといえば、交通手段がないために、キャンプの道具と食料を携えて、もっぱら太平洋岸の海沿いをシーカヤックで旅している。
考えたら本当に30代のすべてを、アラスカという土地が与えてくれるインスピレーションを源にして、作品を制作してきたような気がする。大自然の姿を、とりわけ自然のランドスケープを撮影したいと願っていた僕にとって、アラスカという土地は、定期的に通う「散歩道」といえるのかもしれない。
ただ、確実にいえることは、アラスカという大自然の「散歩道」で思いつくことは、「都会生活」の中で思いつくこととは全く違うということである。そんな「思いつき」が制作の過程ではやはり写真の場合大切なものであるだろう。
「パイプライン」や「ゴールドラッシュ」はひとまず置いておいて、とりわけ「氷河」をモチーフにした作品、今回の「Middle of the Night」展の作品に話を絞り始めよう。
簡単にいえば、今回の作品は氷河をライティングしながら撮影した作品であるが、とりわけ、太陽の完全に沈まない白夜の夜に、かすかに残る太陽光にわずかばかりの自然光をミックスして氷河を撮影した作品である。
タイトルの「Middle of the Night 」は字義通りでは真夜中の意味であるが、「夜の真ん中」と綴るのが面白い。厳密には存在しない其の「夜の真ん中」は、白夜の太陽光と、僕が自然に持ち込んだLEDの光の真ん中を示唆するようで、もっといえば「PHOTOGRAPHY」というラテン語の語源の中間にある「PHOTO」(太陽)と「GRAPHY」(描く)の真ん中にも連結しているようなイメージを持って、選んだタイトルである。
それではなぜ、氷河をライティングしたいと思ったのか。其の「思いつき」もアラスカでの散歩から生まれたものだった。
「荒野」というものを国内に持たない日本人にとっては、少し想像しづらいことではあるが、アラスカなどという、本当にあたりに人影も人工物もない大自然の「荒野」を一人、シーカヤックなどで旅をしていると、あるポイントから(だいたい2、3日くらい経つと)いいもいわれぬ万能感を味わい始め、こんな風に思うことがある。「目の前の自然とは、自分で見るという行為を通して存在させる限り、自分が作り出したものであるとさえ、いえないだろうか」と。
自然はもちろん、自然自体としてただ存在している。この地球や宇宙が、僕ら人類とは全く関係なく始まり、そしていつか終わっていくのと同じように、自然というものも、基本的には人間存在とは切り離されて在るものだ。
ただ、刻一刻と其の姿を変幻させていく其の「自然の姿」も、無限の時間の中のこの瞬間に、ただただ自分だけの視覚がとらえ、自分だけの視野でフレーミングされ見えているのならば、自分自身が作り出したものといえるような気がする。という存在論の倒錯、もしくは行き過ぎた万能感ゆえの知覚の転倒である。
自然の中で十全に体を動かすと、普段決して味わうことのない充足感と共に、そんな風に自然との深いつながりを感じられることがある。ロッククライミングやロングトレイルやサーフィンなどを経験した人なら、その感覚は理解してもらえるだろう。僕の場合、そんなちょっとした感覚の中に作品づくりの「思いつき」とアイデアは潜んでいることが多く、いやもっというと、作品制作のアイデアとはそもそも身体的なモーメントでしか多分ないのだ。
話は長くなってしまったが、そんな風にして僕は「氷河」を自分自身の手で作り込むことこそ、全き自然を「写真」というものに落とし込む方法の鍵があり、氷河の美しさを損なわずに、それらを実現するには、ライティングこそが、対象に触れずに触れる光の操作こそが、一番良い方法なのだと。
ただ、氷河をライティングするという「思いつき」の実現には本当に多くの時間と、労力を費やすことになってしまった。氷河があるような荒野にどうやってライティングの機材を持ち込むのか?という物理的な問題は、ずっとクリアできなかったのだ。
いろいろな機材を試してみた。フラッシュの閃光ではどうにも不自然で、面白いと思える写真にならず、映画などで使用する定常光が最適であることがわかった。けれど、氷河などという規格外の対象物を十分に輝かせることのできる、定常光のライティングはどれも発電機が必要な大きな機材ばかりである。シーカヤックで移動しながら、氷河を探している僕にとって、そんな大きな追加機材は、命取りとはいわないが、文字通りの死活問題である。
ある年の夏、小型の発電機に、映画用の照明機材、そのために大きくした5メートル長のシーカヤックに乗り込んで出発しようとしながらも、港で自分の荷物の多さに途方に暮れてしまった。自分の思いついた最終定理を証明しようと躍起になっている「マッドプロセッサー」宜しく、お膳立てした自分の撮影遠征そのものに出発した瞬間から押しつぶされそうだった。一体自分は何をしようとしているのか。狂気の沙汰に一人、天を仰いだ。
それが、去年の夏くらいから、撮影と仕上がりが格段に良くなり始めた。きっかけは非常に単純で、過酷なアウトドアの環境でも耐えうる、LED の最新の照明機材を使い出したのだ。これは、2400Wという大きな光源を持ちながら、色温度が太陽光線に限りなく近く、しかも充電式である(これがとても重要)という優れもので、ニューヨークのプロ機材のお店で見つけたものだった。その照明のパネルは、僕のアラスカで使用しているシーカヤックのデッキ部分での運搬にも面白いくらいにフィットした。
あとは、長い年月をかけて「ロケーションハンティング」してきた通い慣れたアラスカの海へその照明機材と繰り出すだけでよかった。アラスカの沿岸には、僕が求めているような氷河の塊が、ゴロゴロと落ちている入江がある。僕にはそんな「氷河銀座」の入江の地図があり、街から自身のシーカヤックで何日もかけて旅をしていく。何日もというのは、大げさではなく、最長で17日間、街まで戻って来れない夏もあった。一日の移動を終えると、上陸して野営し、焚き火を起こし、野生の動物に怯えながら、静かな夜の時間を待つ。夜の帳が下りた頃に、静かに万全に充電して来た照明のパネルをひらいて、神々の蒼きダイヤモンド製の彫刻物へと光を点灯するのだった。
タイトル | |
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会期 | 2018年2月28日(水)〜3月31日(土) |
会場 | |
時間 | 11:00〜19:00(13:00~14:00は閉館) |
休館日 | 日月曜、祝日 |
URL | http://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/middle-of-the-night/ |
石塚元太良|Gentaro Ishizuka
1977年、東京生まれ。8×10などの大型フィルムカメラを用いながら、ドキュメンタリーとアートの間を横断するように、時事的なテーマに対して独自のイメージを提起している。近年は氷河、パイプライン、ゴールドラッシュなどをモチーフにアラスカやアイスランドなど主に極地方で独自のランドスケープを撮影。2004年日本写真協会賞新人賞受賞。2011年文化庁在外芸術家派遣員。初期集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND / ALASKA』(講談社)で2014年、東川写真新人作家賞受賞。2016年、Steidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、2018年、ドイツのSteidl社より新作の『GOLD RUSH ALASKA』を出版予定
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。