写真史家、キュレーター、写真集コレクターとして知られる金子隆一は、日本写真界の第一人者として日本写真史の確立に尽力してきた。病気療養中のところ、今年の6月30日に逝去、73歳だった。
写真史家として、日本の写真史研究に携わる研究者やキュレーター、後進の育成に重要な役割を果たした金子は40年にわたって写真の発展に尽くし、国内外の写真コミュニティを活性化させ、後世に大きな遺産を残した。
金子は父親の影響により幼い頃から写真に興味を持ち、高校では写真部に所属して熱心に活動した。仏教系の立正大学文学部地理学科に入学、写真評論家の福島辰夫が指導していた全日本学生写真連盟に加入する。その後、1970〜80年代にかけて、自主ギャラリーの運動に関わっていた中で、重要な写真家の多くと出会った。このとき、自分の写真を追求するのではなく、写真史家になることを志したという。
ほどなくして金子は、その後生涯にわたって続けていくことになる写真集収集を始め、日本写真と写真集を語る上で中心的な役割を担っていった。写真史家としては特に日本のピクトリアズムの研究が有名である。近代の写真家では、堀野正雄、岡上淑子、大西茂らの作品の再評価においても大きな役割を果たした。
金子は日本で最初の公立の写真専門美術館である東京都写真美術館の設立に尽力し、同館の専門調査員を長年務めた。その間、東松照明、植田正治、細江英公、中山岩太、堀野正雄など多くの写真家たちの個展を手がけている。同美術館で氏が企画した最後の展覧会のひとつである「日本写真の1968」(2013年)は、日本写真史における重要な一時期に新しい光を当て、自身が関わっていた全日本学生写真連盟の活動を改めて紹介した。
武蔵野芸術大学、筑波大学、東京綜合写真専門学校で教鞭を執った。また日本写真芸術学会では理事長を務めていた。
写真史家として有名だった金子だが、東京都台東区にある正行院の第32代住職でもあった。また篳篥の名手であり、日本の伝統的な宮廷音楽である雅楽を演奏し、その技の継承と発展に寄与した。
共著としては、『日本近代写真の成立』(1987年、青弓社)、『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン1976–83』(1989年、東京書籍)、図録『写真展 シュルレアリスト 山本悍右 不可能の伝達者』(2001年、東日本鉄道文化財団)、『復刻版NIPPON』(2002〜2005年、国書刊行会)、『日本写真史の至宝』(2000年、国書刊行会)、『Japanese Photobooks of the 1960s & ’70s』(2009年、Aperture)、『日本の写真集 1912-1990』(2017年、Steidl)など。
海外の展覧会カタログへの執筆も多く、『The History of Japanese Photography』(2003年、Yale University Press)、『Japan’s Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto』(2013年、J Paul Getty Museum)、『For a New World to Come: Experiments in Japanese Art and Photography from 1968–1979』(2015〜16年、Allison Pappas)など、多くの国際展に寄稿している。
単著としては、『Osamu Shiihara』(2016年、Only Photography)、『Shigeru Onishi: Mathematical Structures』(2021年、Steidl)、2014年から2019年の金子の文章を集めた『日本は写真集の国である』(2021年、梓出版社)などがある。
今後の予定としては、共著による『Japanese Photography Magazines: 1880s to 1980s』が今秋出版予定。本書は金子自身が写真に最初に惹きつけられたきっかけである、日本の写真雑誌の歴史を紹介する野心的な試みとなる。
文=I.V.