9 January 2025

「幸せなときは写真を撮ろうとは思わない」ソフィ・カルの当事者意識

9 January 2025

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「幸せなときは写真を撮ろうとは思わない」ソフィ・カルの当事者意識 | 9.ソフィ・カル氏ポートレート (2)

ソフィ・カル氏ポートレート Sophie Calle Photography : Yves Géant

失恋や大切な人の死など人生における苦しみや痛みと向かい合った自伝的とも言われる作品で、「喪失」や「不在」について考察してきたソフィ・カル。写真や映像にテキストを組み合わせ、時に驚くような手法やアプローチを駆使し、私たちの心を揺さぶってきた。日本にもファンの多いその作品を、1999年の日本初個展から見続け、現在、開催中の展示に合わせたトークイベントでもナビゲーション役を務めた住吉智恵によるソフィ・カルの表現をめぐる考察。

文=住吉智恵

三菱一号館美術館の再開館を記念し、時代を超えた”二人展”ともいえる「「不在」―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」が開催中だ。現存作家として初めてこの美術館で展示しているのが、1953年生まれのフランスを代表するアーティスト、ソフィ・カルである。長年にわたり、極めて私的な営みや他者との対話を通して、写真とテキストで詩的な物語を紡ぐ作品を発表してきた。

本展では、彼女の創作の不動のテーマである「不在」と「喪失」をめぐる上質な短編集を思わせるセレクトで、6つの主要な作品シリーズが展示されている。なかでも特に心を動かされたいくつかの作品について、筆者が聞き手を務めたオープニングトークでソフィが語った言葉をたよりに振り返ってみたい。

メイ・ミルトンポスター


「海を見る」は全14点のうち本展では6点を展開する映像作品だ。海に囲まれたトルコの首都イスタンブールの浜辺で、貧困を理由に海を一度も見たことがない人々が初めて海を見たときの姿を捉えている。圧倒的な風景に対峙し、肩を震わせ涙する人、ただ茫然と虚な瞳をカメラに向ける人、思わず顔をほころばせる人。撮影中にソフィは少し離れた傍らから語りかけようとしたが、あまりの生々しい反応に感情を揺さぶられ、「いかにもドキュメンタリー的なインタビューという手法が感情を過剰に操作するのではないか、自分はここにいてはいけない存在ではないかと葛藤した」と語る。

これまで他者との理知的で率直な対話を独自のアプローチとして制作してきたソフィにとってもそれは極めて瑞々しい体験だったのだ。結果的に本作は彼女が初めてテキストなしで完成させた作品となった。

これに対し「自伝」と題されたシリーズは、写真と同じ比重で端正に額装されたテキストが掲げられている作品だ。また展示の最後を飾る「なぜなら」も、額装された写真を覆うように「Parce que(なぜなら)」から始まるテキストが刺繍された布が掛けられている。鑑賞者はその布をそっとめくる“儀式“を経て、すでに読んでいる物語の背後にあるイメージを覗くことになる。

いずれの作品も、愛する両親との別れや子どもを持たないまま熟年を迎えた彼女自身の境遇をめぐる出来事を綴ったもので、端的な筆致の中に私小説のような濃密さをたたえる。ここには過去作の多くのような、彼女の体験を相対化するための他者の人生は描かれない。当事者である作家自身の身に起こった本当の話をもとにした作品である。

第52回ヴェネツィアビエンナーレ(2007年)フランス館で、彼女はこの「自伝」シリーズを出展した。その会場で、母の死にまつわる作品を前に泣いている観客を見たというソフィは、「鑑賞者は作品を通して彼ら自身の同じような体験を呼びおこされるのだと知ったのです」と語る。


「ひとの不幸は蜜の味」という言葉がある。心理学用語で「シャーデンフロイデ」と呼ばれ、人類が生存競争を生き延びるために本能的に必要としてきた自然発生的な感情だという。情報化により否応なく自他を相対化される現代、苦しみや残酷さに満ちたこの世界の「他者の不幸」もまた可視化されてきた。まるで不幸合戦の様相を呈すSNSのみならず、現代美術の現況を見ても、差別や暴力に虐げられた政治的・社会的弱者やマイノリティの存在を訴えかける表現が主流となって久しい。メンタルヘルスやマーケティングの分野でも、当事者自身が言葉を紡ぐ物語性=ナラティブ・ノンフィクションのアプローチを通して、自他の経験や境遇を共有することの効果が注目されてきた。

「私は(観客と)当事者意識を共有しようとは思いません。作品化する段階で、一歩距離をとって人生の苦しみを見ること、自分の感情を観察することで、価値のある瞬間を捉えようとしているのです。幸せなときはそれを記述し写真を撮ろうとは思わない。ただ味わうだけです。この世の終わりとも思える激しい痛みを感じなければ作品はつくれません。強い原動力が必要なのです。結果的に制作が癒しをもたらすこともあるけれど、私は芸術家ですから精神分析には興味がありません」とソフィは彼女の制作姿勢について真摯に語ってくれた。

その一方で、ちょうど同時期に大回顧展が開催されているアーティスト、ルイーズ・ブルジョワは少女時代の虐待による精神的苦痛と父親への愛憎を原動力に、生涯にわたり力強さと危うさをあわせもつ作品を創作し続けた。ブルジョワとソフィは生きてきた時代や社会背景も制作動機もまったく異なるが、共にパリ生まれで、芸術的な家庭環境、テキストが鋭く冴えるナラティブな構成など類似点がある。ソフィはブルジョワに関して特に興味はないとキッパリと否定したが、あえて問いを投げかけるとこう答えてくれた。「ブルジョワには愛と憎しみがあった。私が持っているものは愛、そして愛なんです」

望まない理由で失ったものをそれ以上に豊かな果実に実らせ、不幸さえも芸術に昇華してきたアーティストたちの人生。その列伝のなかで、愛と度胸にあふれたソフィ・カルの成熟したアプローチは同じ痛みを抱える多くの人たちの心に届く普遍性を獲得している。

タイトル

再開館記念「不在」ートゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル

場所

三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)

会期

2024年11月23日(土)~2025年1月26日(日)

時間

10:00〜18:00(入館は閉館30分前まで、祝日を除く金曜日と会期最終週平日、第2水曜日は20時まで)

休館日

月曜日
※ただし、1/13、1/20は開館。

料金

一般2,300円、大学生1,300円、高校1,000円、小・中学生無料

URL

https://mimt.jp/ex/LS2024/

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