東日本大震災後、務めていた金融機関を辞めてカメラを手に東北へ向かい、『Reset Beyond Fukushima』にまとめた小原一真。その後、第二次世界大戦の空襲の犠牲者についてのリサーチを、手製の写真集『Silent Histories』として発表。本作はFirst Photo Book Awardにノミネートされ、その後メキシコのEditorial RMから出版が決まった。小原の写真集によって語られる物語と、幾層にも織りなされる世界観は、いま世界から熱い視線が注がれている。彼は常に社会から「隠されてきた」問題に、ドキュメンタリーとフィクション双方の視点を通してアプローチする。初期作品から現在進行中の『Exposure』に至るまで、その写真集作りの秘密と、制作を突き動かす衝動のありかを探る。
インタヴュー=アイヴァン・ヴァルタニアン
構成=IMA
写真=高橋マナミ
*前編はこちら
―『Silent Histories』が写真集になった後のステップは、どういう流れで作品を制作してきているのでしょうか?
当時、時間的に、空間的にアクセスできないものをどう表現するのかを考えていて、このまま日本にいても伸びしろはないと感じていました。以前から『Guardian』誌などの海外メディアと仕事していた経験があって、そこでとても刺激を受けていたので、海外で学びたいと思い、2015年1月からロンドン芸術大学修士課程で学び始めました。入学した2カ月後にウクライナのキエフで「Reset Beyond Fukushima」の写真展を開く機会があったときに、主催者からチェルノブイリの取材の声をかけてもらい、この2年間、何度もウクライナを訪れて取り組んだのがこの『Exposure』です。
手製の写真集『Exposure』に収められた2冊の写真集と、新聞の複製。
―『Exposure』はダミーブックを作っている段階ですか?
はい、いまは手作りのバージョンを86セット作ったところです。今回は写真集2冊と、新聞のレプリカを木箱に入れています。Editorial RMから1,900冊の普及版を今年の夏に出版予定です。
まず列車のシーンを撮影した一冊について説明しますね。作業員について知るために、初めてチェルノブイリ原子力発電所を訪れた後、作業員たちが住んでいる街も訪れました。1970年代にチェルノブイリ原子力発電所を作るために、ソ連はプリピャチという街を作ったのですが、そこが避難区域になり住めなくなったので、さらにスラブチチという新しい市を作ったんです。その街に行くための鉄道に乗ったとき、非常にメランコリックな印象を受けて、まるで30年前にタイムトリップしたように思えました。僕が一番印象に残っていたのは、初めて乗ったその列車で、スラブチチからプリピャチに通う若い作業員が車窓から風景をずっと眺めていた姿なんですね。毎日乗っているので、自分の指定席みたいになっていて、それが人によっては代々引き継がれているんです。30年間この電車が通っている区域は基本的に立ち入り禁止だったので、被災したお父さんとかお爺ちゃんが見ていたものと同じ風景を息子が同じ場所から見ている。被災者の家族たちは代々ずっと作業員をして生きているんです。
『Exposure』の電車のシリーズの一冊。© Kazuma Obara
放射性物質を安全に管理するには10万年くらいかかるといわれていますが、果てしなく続いていく核の問題を、事故直後から今日まで走り続け、世代を超えて作業員に乗り継がれていく列車をメタファーとして表現できないかと考えました。写真集の中では、メインキャラクターとなる若い男女の作業員2人が出会って恋人になり、結婚して子供が生まれるというストーリーも入れています。作業現場によっては通常の400倍位の放射線量なのですが、そういう所で働きながら、人々の生活が営まれているんですね。作業員は自分の仕事に誇りを持っているけど、子供を働かせたいかといったら分からない。けれどもいまのウクライナの状況では原発ですら、仕事としては恵まれた方なんです。兵役も免除されたり、国としての複雑な状況がある中で、彼らは原発で働く選択肢を取っている。そしてそれがずっと続いていく。これらはチェルノブイリだからという特異なことではなくて、どこでも起こり得るし、福島でもすでに起こっていることだと思うんです。
『Exposure』の電車のシリーズに収められた、メインキャラクターとなる若いカップルの女性。
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