まなざし
新型コロナが流行しだしてから、身近に感染した人にはほとんど会ったことがなかったのだが、仕事先で1時間くらい一緒にいた人が翌日陽性と確認された、とか、友人の息子さんが通う保育所で陽性者が出た、などと言った話を頻繁に聞くようになり、すぐ近くまで迫ってきている感覚があった。そんな折、娘のお世話になっている保育所でも陽性者が確認されたとメールがあった。都心に比べると園児は随分少ないのだが、いまは誰が感染してもおかしくないのだなと実感した。娘は国が定義している濃厚接触者ではなかったが、保育所内ではRSウイルスも流行しているせいか、数日咳が続いていたから心配になり、家族全員PCR検査を受けた。
検査の予約は難しいと先入観で思っていたのでいろいろ調べたが、すぐに受けられそうな施設は都内ばかりだった。それで期待せずに地元のかかりつけの病院に電話したらあっさり予約がとれた。土曜の朝に電話したのだが、土日は検査できないから月曜の朝に来てくださいと言われた。土日は家でおとなしく過ごし、月曜朝、予約した時間に病院へ行ったら受付の人に怪訝な顔をされた。PCR検査の人は院内に入らないで、駐車場で待機して車にいてください、と強い口調で言われた。あとでわかったのだが、予約時に病院に着いたら駐車場に車を停めて車内から電話する、という流れを説明されるらしいのだが、自分が予約したときはその説明がなかった。担当の人が伝え忘れていたようだ。叱られたような感じがして気持ちが塞ぎつつ、しばらく車内で待ったが、1時間半経っても連絡はなく、駐車場内を防護服で身を包んだ検査の人が何人か行き来していたが、こちらにはなかなか来てくれない。小雨が降る中、作業されていて大変だなあと思いつつ、車内で退屈しだした娘がお腹すいた、と言いだした。時計を見ると12時過ぎていた。そんなに待つと思っていなくて、食べ物はなにも持って来なかったので、もしもまだ待たなくてはいけないなら、コンビニかスーパーでなにか調達したいと思い、病院に電話した。先ほど応対してくれたらしき受付の人が電話に出たので、あとどれくらい待つか聞いてみると、わからないとのこと。おおざっぱな時間でいいのですが、、と言っても順番にやっていますし、防護服を毎回着替えるから時間がかかるんです、とだけ言われた。仕方がないのでお腹すいたねー、と娘をなだめながら待っているとやっと順番が来た。唾液でできる検査らしいが、娘はうまくできず、鼻腔に綿棒のようなものを差し込まれる検査になり、予想通り差し込まれたあと泣いていた。そのあと娘の咳止めが処方され、薬が処方されるのと会計を待っていたら、2時間半が経っていた。なんだか疲れたが、病院の方々はもっと疲れているだろう。受付の人も疲れていたからシステマチックな物言いだったのかもしれない。濃厚接触者ではないから検査費は自費と聞いていたが、娘は200円で大人は一人2,000円くらいで高額ではなくほっとした。
翌々日、早朝に電話が鳴った。半分まだ寝ている状態で家族全員陰性でした、と聞いて安堵した。その前日、ネットで買った市販の検査キットを試すと陰性だったから、あのキットはまた使ってもいいなと思いつつ、その日を始めた。
スマホ依存気味なので、ふとお茶を飲むようにネットニュースを読むのが常だが、ここしばらくのあいだ連日アフガンのことがトップニュースにあがっていて、前日も検査キットの結果が出るあいだにカブール空港でアフガンから脱出したい人々が飛行機にしがみついて数人が落下して死亡した、という記事を読んだ。いま同じ時間軸で起こっていることとはにわかに信じがたく、米軍機にしがみつく人々の写真をしばらく見つめた。
アフガンのニュースを目にするたびに、20年くらい前に一度訪れたことを思い出すのだが、そのときも記事の写真を見ながら現地で出会った人々の顔が脳裏に浮かんだ。あのときに会った、銃弾で開いた穴だらけの壁の廃墟を裸足で歩きながら追いかけっこをしたり、野外で授業を受けていた子どもたち。たくさん写真を撮らせてもらった。皆、吸い込まれそうな澄んだ瞳で、そのなかにかなしみが同居しているようにも見えた。この場所で生まれて、暮らすなかで何を見て来たのだろう、と思うと、自分はこの子たちよりも幼いような気がした。
外国人が珍しいようで、好奇心をむき出しにして自分に近づいてきて、カメラを触らせてほしい、もしくは撮ってほしいと言う子どもたちがたくさんいたので、持っていったチェキでポートレイト撮影してプレゼントだよ、と渡すと、自分の顔がだんだん画面に現れてくるのを見て、とても喜んでくれた。
その様子を少し離れたところでじっと見ている女の子が気になり、撮影させてほしいと頼んだことがある。何枚か寄ったり引いたりして写真を撮らせてもらったが、その間とくに照れたりということもなく、ただじっとカメラを見ていた。カメラの先にいる自分はなにかを試されているような気持ちになり、そのあとになにか大きなものに見られているような気がしてきて、最終的にはただ球を受け止めるようなキャッチャーのような感じでシャッターを切った。
大人よりも子どもを撮影するほうがもともと好きだが、それは単にビジュアルとして美しいだけではなく、未来に向かう象徴のような彼らから、可能性や生のエネルギーの強さと、相反する脆さが合わさっていることに惹きつけられるからだ。
でもこのときは子どもを撮影しているような気がしなかった。その女の子がこの場所であった紛争の歴史を背負った語り部のように見えた。
いまあのときに会った彼らはなにを思っているのだろうか。そもそも生きているのだろうか。もしかして飛行機にしがみついている数人のなかに、写真を撮らせてもらった子がいたかもしれない。
後日続報で、飛行機にしがみついて落下し、死亡したうちのひとりはまだ10代の少年でサッカー選手だった、という記事を読んで胸が苦しくなった。
離陸する飛行機にしがみつくしか選択肢がなかったのか、と、その少年を通してあのときに会った誰かを重ねてしまう。お父さんと一緒に自転車の荷台に乗っていたあの子や、ポラロイドを嬉しそうに眺めていたあの子も、いまはどうしているのか。
自分はただあの場所で写真を撮らせてもらい、雑誌にそれを載せてもらっただけだった。無力だと思った。
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