7 February 2023

パトリック・ツァイ インタヴュー
「後悔」とユーモアでつづる自画像

7 February 2023

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パトリック・ツァイ インタヴュー 「後悔」とユーモアでつづる自画像 | パトリック・ツァイ インタヴュー「後悔」とユーモアでつづる自画像

6年ぶりに写真集『セルフポートレート』を出版したパトリック・ツァイ。『モダン・タイムス』や『My Little Dead Dick』などで見せたフォトダイアリーの手法から一転した今作は、一見インタビュー映像をキャプチャーした画像のように見えるスティル写真で構成された「セルフポートレイト」となっている。本作は「バトルシップ」「シャオヘイ」「ウェス・アンダーソン」「チャチビ」「決定的瞬間」「最低限のマナー」「長いお別れ」の7つの章(エピソード)で構成されており、全体のテーマである「後悔」についてさまざまな側面から語っている。ツァイは一筋縄ではいかない「ビデオの中の写真」というイメージの曖昧さや、写真に付された字幕で語られるエピソードなど、作品のいたるところに散りばめられたユーモアでアーティストとしての新たな一面を拓いている。制作のきっかけや作品に込められた思いを聞いた。

インタヴュー・テキスト=村上由鶴
写真=土井冴恵花

―これまでのツァイさんの作品では、特定の地域に根ざしたようなスナップ写真という印象がありましたが、今回の写真集『セルフポートレート』はこれまでの作風とはだいぶ異なっているように感じました。

長らくフォト・ダイアリーの形式で作品を制作してきたのですが、ちょっと退屈さや行き詰まりを感じていました。そこで新しい環境や状況に自分をさらしたいと思って、ハートフォード大学の大学院に進学し、作品制作やディスカッションなどを通して写真を学んでいるうちに、写真がまた面白くなってきたと感じるようになったんです。

―インタヴュー映像をキャプチャーしたような写真の形式が独特ですが、このアイデアはどのような経緯で閃いたのでしょうか。

ある時偶然、YouTubeで映画監督のラース・フォン・トリアーが、デヴィッド・リンチ監督と初めて会ったときのエピソードを語るインタヴュー映像を見つけたんです。僕の恋人がリンチの大ファンだったので、彼の言葉が字幕として表示された画面を1コマ1コマスクリーンショットで撮影して、彼女にシェアしました。その後、自分のスマートフォンのカメラロールにその画像が保存されたのを見返して、動画で見たときよりも1枚ずつの写真として見たときのほうが、そのエピソードの面白さが強調されたように感じたんです。そこで、字幕付きインタヴュービデオのスクリーンショットには、ストーリーの面白さを強調する効果があると気がつきました。

―どのようなビデオだったのですか?

トリアー監督はおそらく薬を飲んでいたようで、その副作用なのか体や手が震えていたんです。たいてい、人はインタヴューされるときには「こういう風に自分を見せたい」と思って振る舞うものですが、彼のインタヴューを見ていると、彼が見せたいと意図している姿と、実際の彼が見せている姿の間にギャップがあることに面白さを感じました。

これは、例えばダイアン・アーバスが撮った写真の場合でも共通することで、アーバスの被写体になった人々は、彼女が撮った自分の写真を見て気に入らないと感じることが多かったようですが、アーバスは、それこそがその人らしい姿である、と語っていますよね。YouTubeなどでアーティストのインタヴューを見ていると、かなり真摯に自分の作品世界について説明するような内容のものがもちろん多いんですが、僕が面白いと思うのは、そのインタヴューの中で自分の作品と直接関係ないような話や、重要ではないと思えるくだらないエピソードを話す部分、アーティストが意識していない部分です。そこにこそアーティストの人となりや性格が現われると考えています。

―今回の写真集には、「決定的瞬間」「長いお別れ」などさまざまなテーマについて語る複数のエピソードが含まれています。その中でも例えば「ウェス・アンダーソン」のエピソードでは、何かが口に入ってしまったのを取るような、微妙な瞬間を撮った写真もありましたね。

この写真集ではひとつのエピソードを20枚の写真で構成しているのですが、同じ被写体が同じように座っているだけなので、あまり面白くないイメージが連続しています。これをビジュアル的にも面白くするにはどうしたらいいのか考え、退屈しないように工夫しました。

例えば「バトルシップ」のエピソードを最初に撮ったのですが、撮影した写真を見たら壁に蜘蛛がいて、自分の方にだんだん近づいてきていたことを発見しました。これは面白いと思って、こういうものを写真に加えていこうと思ったんです。「決定的瞬間」では歯にほうれん草がはさまっています。ただ、あまりやりすぎは良くないな、と思って控えめにはしています。


―エピソードによっては話をしているツァイさんの背景にも別の写真があって、1枚の写真の中でもかなり要素が多いですよね。

おっしゃる通り、多くの要素が混ざっている写真になっています。通常、写真を見るときは選ばれた1枚を集中して見るのが一般的ですよね。このように、「普通に」写真を見る方法とか、「こういうものが写真である」という理解はすでに社会的にできあがっています。この作品を通して、写真に対する固定観念みたいなものに挑戦し、僕たちが写真について知っていることに疑問を持ってもらいたいと考えました。

そもそも本の中では、いきなりインタヴューが始まって、僕が何者なのか、あるいは誰が、なぜ僕にインタヴューをしているのかというコンテクストや前情報は全くありません。この写真集を見る人に与える情報としては、おそらくこの人はアーティストであろうとほのめかす程度に留めました。ミステリアスな雰囲気を維持することで、この本を手にした人が推測したり考えたりして、作品に参加してもらうことをうながしたいと思っています。

―この写真集はエピソードが語られているからか、写真なんだけれども動画のように見てしまいます。同時に、ある一瞬が抽出されているのを見るとやはり写真作品なのだなと感じられて、不思議な鑑賞体験でした。

この写真集はビデオのように見えるけれど、実際には1枚1枚の写真作品で構成されています。制作にあたっては、インターバルタイマーを使って、5秒ごとに1枚撮るというルールを設けました。まず先に写真を撮影し、その後に後悔についてのエピソードを書いて、それらを組み合わせました。ですから、字幕として表示されている言葉を話している様子を撮影したかのように見えますが、実際には撮影現場で話していることは全く無意味なことで、ストーリーと写真自体には何の関係もないのです。

この本の中には100枚以上の僕の写真があるわけですが、それよりも僕のことを伝えているのは、ここで語られている後悔についての物語だと思います。というのも、その人が何について後悔しているかということに、その人らしさが表れるのではないかと考えているからです。

―タイトルになっている「セルフポートレート」の手法では、シンディ・シャーマンなどのほかのアーティストや写真家によって多様な作品が作られてきましたよね。

シンディ・シャーマンについては、彼女が自分の身体をアイデアを表現するための道具にしていることに共感を持っています。それは今回の自分の作品にも重なると思います。

タイトルを「セルフポートレート」としたのは少しのトリックのようなもので、この本を手に取る人は「セルフポートレイトの写真集なんだ」と思って手に取りますよね。中にはシンディ・シャーマンなどのセルフポートレイトで知られるアーティストの作品を思い浮かべる人もいるでしょう。でも、実際中身を見るとビデオっぽいし、期待を裏切るような内容になっているのではないかと思います。それに対して人々が当惑するような経験も大事にしたいと思いました。

また、一般的にセルフィー(自撮り)をするときには、自分をかわいく/かっこよく/おもしろく写ろうと頑張ることになります。一方でこの作品では、自分の欠点を露骨に見せたり、自分を意地悪な人に見せたりすることを意識して作りました。それによって、鑑賞する人も自分自身について考えるのではないかと考えたのです。

パトリック・ツァイ氏

―自分を意地悪な人に見せるというアイデアはどのように生まれたのでしょうか。

まずは、自分を立派な人間に見せるよりも、自分をもっと意地悪な人に見せるほうが面白いかなと思いました。また、自分をよく見せる写真というのは、やはりコマーシャルなものですよね。なのでアートであるからには、その逆のことをやろうと考えました。

ヒントになったのは『Curb Your Enthusiasm(邦題「ラリーのミッドライフ★クライシス」)』と『The Office』などのアメリカのコメディー番組でした。これらの作品に共通しているのは、主人公が意地悪なことをしたり、失礼なことを言ったりするというところです。それを見ていると苦しく感じることもあるのですが、だんだんその主人公がチャーミングに思えてきたりもするんです。というのも、なぜその主人公が意地悪なことをするのかということについては、僕たちも理解できる側面があって、主人公に親近感を持つこともあります。本当はそういうことをやってみたかったり、こういうことをやってみようと思ったけど実際にはやらなかったりしたという人もいるでしょう。つまり、「あるある」と感じられることなんですよね。

―今回、写真集で語られているのは後悔の話ということですが、この本のエピソードはどれもとても変わっています。本当にあった出来事なのですか?

すべて本当の話です。後悔についての作品を作りたいと思ったのは、人はあまり自分が後悔していることを人に共有したいとは思いませんよね。ある意味では、後悔の話をしたがらないことと、インタヴューを受けるということには同じような要素があるのかなと思いました。いま実際に僕もインタヴューを受けていますが、日常生活とは違う、インタヴューを受けるモードのパトリック・ツァイになっています。他方で、この作品の中で表現されているインタヴューという設定は人為的に作り上げられたフェイクなのですが、その中で表現されているストーリーはすべて本当のことです。このように、いくつかのレイヤーを重ねることで、これを見る人に「どこまで本当でどこまでが本当ではないのか」、疑問を持って見て欲しいのです。

―「後悔」をテーマにした理由やエピソードがあれば聞かせていただけますか。

本の最後に出てくる「長いお別れ」で語られている親友の死の話が、今回の制作のきっかけになりました。これは本当の話で、かなりトラウマになった経験です。状況を克服する方法がわからず長く苦しい時間を過ごしてきました。しかしそれと同時に、この経験や自分の苦痛を表現したいとも思っていました。シリアスな表現ではなくコメディーやユーモアを使いたかったのですが、適切な方法がなかなか見つからずにいたんです。

そこで思いついたのが、直接的に表現するのではなく、自分がかつて後悔したけど、いまは気にしていないエピソードも混ぜながら、その中で親友の死に対する後悔を表し、乗り越える方法でした。僕にとってはこの作品全体がセラピーのようなものでもあって、制作を終えてからはこの親友の死という経験に対して、前よりは気持ちが楽になったと感じています。

―そのエピソードがなかったら、この作品は生まれていなかったということでしょうか。

親友の死という出来事がなかったら、このプロジェクトはやらなかったかもしれませんね。多くの場合、写真は現在起こっていることを撮るものですが、今回、僕は過去を撮り、過去と現在との関係を表現する写真を作りたかったのです。


パトリック・ツァイ

タイトル

『セルフ・ポートレート』

出版社

Dooks

出版年

2022年

価格

3,600円

URL

http://hellopatpat.com/

パトリック・ツァイ|Patrick Tsai
アメリカ出身の写真家。現在は東京を拠点に活動中。日本に移住するまでは、中国、台湾で制作活動を行っていた。代表作に、フォトダイアリーシリーズの『My Little Dead Dick』、『Talking Barnacles』、写真集『Modern Times』(ナナロク社、2012年)がある。作品はFoam magazine、イエール国際フェスティバル、写真新世紀、スーザン・ブライトの「Autofocus: The Self Portrait in Contemporary Photography」、パレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)などで取り上げられている。

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