メディアアーティストの落合陽一が、愛用のライカで撮影した写真を展示する個展“晴れときどきライカ”を、ライカギャラリー東京とライカギャラリー京都にて同時開催している。 「晴耕雨読のように、自身の日常を徒然なるままに」写したという作品は、近未来的なデジタルのイメージと、アナログな質感を共存させた不思議な世界観を持っている。写真について、カメラについて、会場で落合に話を聞いた。
取材・文=小泉恵里
撮影=瀬沼苑子
晴耕ではなく、晴カメラ
ー今回の写真展のタイトル“晴れときどきライカ”に込めた意味は?
主に8月末に出した書籍『晴れときどきライカ』の中から選んだ写真でこの展覧会を構成しています。“晴れときどきライカ”というのは、晴耕雨読(晴れた日に田畑を耕し雨の日に読書にいそしむ穏やかな生活)になぞらえたテーマです。晴れた日に田畑を耕すのではなく、晴れた日はライカを手に外に出て写真を撮る僕の日常のあれこれを切り取ったものです。
―表紙は黒猫ですね。
8月28日発売となった最新の書籍『晴れときどきライカ』
これはうちの猫、トラ彦です(落合が敬愛する物理学者・随筆家の寺田寅彦にちなんだ名)。本当はライカってタイトルだから、ライカを表紙にしようと思ったんです。それでボロボロのライカを撮ろうと思ってフラッシュをたいて構えたら、突然トラがひゃっと出てきてレンズの前に来て撮れたのがこの写真です。だからちょっとピンボケしているんですよ。モデリングライトだけの真っ暗な中で撮ったので、こんなに目が開いているんです。黒猫の毛のテクスチャーまできっちり刻まれています。猫が表紙でライカが裏表紙。「表紙を取ってお前やるなあ」とトラにいいました。
作品はトラ彦の写真をスタートに、1年を12カ月に分けて、また十二支に合わせた構成になっています。高解像度のライカSシステムなどで撮影した写真と、古いレンズで撮った写真を展示しました。
―晴れときどきライカという文字と猫の顔、バランスがいいですね。
タイトルと相まってゆるふわ感あるでしょ?晴耕雨読の“耕”の文字をカメラの絵文字にして、“晴📷雨読(せいかめらうどく)”と書いたのですが、それでは読めないということで“晴れときどきライカ”というタイトルになりました。閑雲野鶴、という意味合いもあって、それらを計算機自然(カメラ)で徒然なるままに綴った写真たちです。
―雅な感じですね。和の雰囲気が漂っています。
写真展は全体的に和の雰囲気があるんですよ。例えばこれはガンプラのランナーで作った茶室です。プラモデルの枠、捨てられるランナーを使うプロジェクト「プラ庵」があってそれで制作したもので、大きさは国宝茶室「待庵(たいあん)」の原寸大なので2畳ほどの大きさです。
これは、安土桃山時代を代表する京都の陶工、長次郎の器をライカS3で撮りました。ある日、お茶の稽古をしていたら「今日はいい器ですからね」と先生がおっしゃるのでカンカンと爪で叩いて軽くて瓦みたいですねえといっていたら「叩かないでください!」というのでそれは相当いい器なんだろうなと思って撮りました。
いまなら1億~3億円くらいの価値ですかね、あんまり出てこない器です。お茶は3年ほど習っていますが「お前はいくらたっても上手くならないなあ」といわれながら、蘊蓄だけは詳しくなっていきます。
―なぜ全てモノクロにしたのですか?
ライカ感があっていいなと思って、モノクロの本を作ったからです。本の中では数枚カラーを入れています。オールドレンズのノイジー感を出したくて入れました。気持ち悪いくらい滲んだ感じが好きで。ほら、この写真のラーメンは風のような感じ。
―京都展のテーマは「質量への憧憬、ラーメンは風のように」ですが、ラーメンは風のようにって、どういう意味ですか?
重いものは軽く扱い、軽いものを重く扱う。これは茶道の心得でもあるのですが、それなら重いものとは質量が関係しているので、それを軽く見せようと思い、茶道の心得をラーメンに込めたのです。京都なので。
―ラーメンが重いものの象徴だと?
はい。ラーメンは重いから風のように軽く扱おうということです。全体的にお茶めいてますよ、この写真展は。京都の展覧会でも茶室とお茶道具の写真を展示しています。
―東京展のテーマは「逆逆たかり行動とダダイズム」。逆逆たかり行動とは何ですか?
逆逆たかり行動とダダイズムは、個人的にはハマったタイトルなんです。餌を捕獲する行為=たかり行動がないことを逆たかり行動といいますが、逆たかり行動を持たない猫のことを単純にたかり行動と表現するのは面白くないので、逆逆たかり行動としました。
―なるほど。それは、しなくなくない、ということ?
そうそう、しなくなくない、ですね。コントラフリーローディングしないのが猫なので。コントラコントラフリーローディングという意味ですね。
脳はデジタル
―メディアアーティストとして活動している落合さんですが、写真だからこそ表現できることは何だと思いますか?
写真はメディアとしてやっぱり解像感がいい。物理的な情報を正確に写し取れるところ、物質も空気も、データ量、パッキリ・ぼんやりと写るところがいいなと思っています。
―写真を撮るときには、その瞬間の気持ちも反映させたりしますか?
『晴れときどきライカ』の本の中には反映しています。『文學界』(文藝春秋社)に連載していた時にはリアルタイムだからその時の気持ちが生々しく、イキがいい感じでした。出版後にそれを再構築した写真展なので、気持ちはだいぶ成仏しているので、また違う世界観になっています。僕の日々を構成していた要素の中から撮ったものたちです。
―ライカを使う理由は?
小さくて軽くて持ち運びやすいからです。あとは、レンズの選択性が高いから。ライカは、カメラメーカーとしては最強のレンズ展開をしていますよ。双眼鏡もレーザー距離計も、顕微鏡も、全てライカ(ライカマイクロシステムズ社やライカジオシステムズ社の製品も含めて)を愛用しています。やっぱりこの軽量性と撮影性のバランスを考えるとライカ。
非常にオールドなものからバキバキに新しいものまで揃って、全てが同じトーンで表現できる。デジタルとアナログを行き来する僕のライフスタイルに近いですね。
―写真展での作品は、どのカメラで撮りましたか?
ライカS3をメインで使いました。S3は最高のカメラだけど時々いうことを聞かないので、本当になんとかしたほうがいいと思います。僕はフジフイルムもハッセルブラッドも使っているけれど、ライカが一番軽量で撮り回しがいいので最も使いやすい。でもたまにいうこと聞かない。ライカMやS Lは旅に持っていくのにちょうどいいカメラです。
ノイズを少なく綺麗に撮りたいときには、絞ってたっぷり光を当ててライカS3で撮っています。
―写真を撮る時は脳の中のデジタルを研ぎ澄ます、とはどういう意味ですか?
目で見たり脳で考えたりするときには、神経信号のことを考えればデジタルです。人間とコンピューターにはさほど差はないんです。だから、レンズを見るときにもデジタルでものを考えています。
―デジタルには制約がない。けれど写真はフレームがある。その制約は作品性に差が出ますか?
デジタルで解像感を上げるのはコストがかかる。もしデジタル作品で解像度を上げられたら素晴らしいことだけれど。写真だと、面積もサイズが広げられるし、質感や触感を伝えることができます。その解像度が写真の強みだと思っています。
―たくさん撮っていますが、現像はするんですか?
触ってみたいものを紙焼きします。調子がいい時は一日に300枚くらい撮るので、かなり厳選して焼きます。
写真は質量にあふれている
―ライカギャラリー京都のテーマに掲げられた“質量への憧憬”とは?
憧憬は、ドイツ語の Sehnsuchtを明治時代に翻訳してできた言葉です。質量への憧憬とは、質量に恋焦がれるなあ〜という意味です。質量とは、重さがあったりフィジカリティがあること。フィジカルなことへの憧憬です。
―質量がない状態ってなんですか?
デジタルとか写真とか、イメージで実態がなく、触れないもの。
写真は質量への憧憬が特に強いものだと思います。目で見て触りたいものを紙に焼き付ける。相当変な行為。そんなことは人類しかやらないおかしな行動だと思っています。
―日々変わってしまうものや、その瞬間に目にしたものをなんとか残しておきたいという渇望感がありますよね?
そう、渇望感とか思い焦がれる心情こそが、憧憬なんです。それは人類だからすることだと思います。
▼東京 | |
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タイトル | |
会期 | 2023年9月1日(金)~10月29日(日) |
会場 | ライカギャラリー東京 (ライカ銀座店2F) |
休廊日 | 月曜 |
URL | https://leica-camera.com/ja-JP/event/leica-gallery-tokyo/yoichi-ochiai |
▼京都 | |
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タイトル | |
会期 | 2023年9月2日(土)~10月29日(日) |
会場 | ライカギャラリー京都(ライカ京都店2F) |
休廊日 | 月曜 |
URL | https://leica-camera.com/ja-JP/event/leica-gallery-kyoto/yoichi-ochiai |