13 May 2025

川内倫子の日々 vol.38

春嵐

13 May 2025

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川内倫子の日々 vol.38「春嵐」 | 川内倫子の日々 vol.38

春嵐

vol.38
 
この春はずっと混沌とした日々だった。

なにもかもがスムーズに進まず、あまりにもトラブルが続くのでしばらく鬱々とした気分に飲み込まれてしまい、いまだその混沌のなかから抜け切れていない。

2月の終わりからその予兆はあり、上海で展示する作品の額装などに少し問題があったりしたのだが、なんとかかたちにはなったし、たくさん人も来てくれたのでそのときはあまり気にしていなかった。

その後3月にブリュセルのギャラリーとパリのギャラリー2箇所で個展を開催したのだが、その3つすべてにまたしても額装のトラブルがあり、再制作して会期中に差し替えるなどして対応しなければならなかった。

いままでそういったトラブルがなかったわけではないが、去年からずっと額装についての問題が頻発していた上に、いろいろなことがうまくいかないことが立て続けに重なって、気持ちがぐぐっと落ち込んだ。なかには自分の確認ミスもいくつかあったので、自分を信じられなくなってしまった上に更年期の不調が常にあってこの春はずっと重たい気持ちで過ごしていた。

そもそも新刊発売のブックローンチのためにパリで展示することが企画されたのに、肝心の本が当日に届かないというハプニング。日本から送った本が船便で到着する予定だったのに、ストかなにかで予定よりも3週間遅れるとのこと。

オープニング当日は大勢人が集まったのに、本を購入してもらえるチャンスを逃してしまい、関係者一同肩を落とすことになったのだった。

仕事面だけでなく、その他諸々トラブルの連続で漫画かドラマの作り話のように思えるほどだった。

ブリュッセルでは予約していたホテルの部屋が希望していた部屋と違ったのでフロントで交渉したが、受付の人が明らかにアジア人差別主義者のようで、とても冷たい対応で自分の希望を聞いてくれない。いま忙しいからあとにして、と言われてフロントに立っていると、自分以外の白人の人たちにはずっと笑顔でジョークなんかも言い合っていたりするから屈辱的だった。仕方ないのでギャラリーのスタッフに電話すると、ホテルまで来てくれて交渉してもらうと部屋を用意してもらえたのだけど。

その他にもパリで借りていた部屋の寝室のトイレがなぜか詰まっていて使えなかったり、(ふたつあったのでなんとかなったが)、完全に自分の不注意だけど、オートロックなのに鍵を部屋に置いてロックされてしまったり。(大家さんの家にスペアキーをもらいに行ったのでこれもなんとかなった)

そういえばパリに来る少しまえに天草の義実家に帰ったときには福岡から天草への飛行機が突如飛ばなくなって長時間バスで帰るしかなくなってしまったり、プリンターが故障したり、掃除機、洗濯機が壊れたり、、

あまりにもスムーズに物事が進まないのは占星術的に水星の逆行が影響している、ということはネットのいろいろな記事を読んでわかってはいたのだが、ここまでわかりやすい影響を受けたことはいままでになくて戸惑う。

この期間は物事が遅延したり滞ったり、ミスコミュニケーションがあったりということが起こりやすいそうなのだけれど、忙しすぎて自分の確認ミスで起こったトラブルもいくつかあるので、偶発的に重なってしまったということもあるのだろうが、それにしても。

思い返せばコロナ禍のあと、2022年にオペラシティで展示が終わってから、疲れすぎて休みたいと思いながらずっとまとまった休みがなかったのだった。

ほぼ毎月なにかの展示のオープニングがあり、それに伴うサイン会やトークショーで人前に出ることも多く、その合間に通常の仕事や撮影、次の展示のプラン作成、次の本の準備と印刷立ち合い、次の出張の飛行機とホテルの手配。40代まではそれらの仕事をとても楽しんでいたけれど、積年の疲れと更年期のせいで楽しむ余裕はなくなり、いつのまにか日々のタスクをこなすのに追われるようになってしまった。

星回りのせいなのだ、、!と自分に言い聞かせ、自分を責めないようにすることもいまの状況には大切なことだと思っていたが、水星の逆行の期間が終わったあとの展示でまたしても額装の仕上がりに間違いが見つかったり、出先で車のバッテリーがあがって立ち往生したり、近所の道路が車の通行止めで予定が狂ったり、、とまだまだトラブルが重なり続けているとなにかのせいだと思えなくて、しばらく落ち込みモードから抜け出せずにいた。

そんなある日、「いいことと同じくらい、悪いことがあるんだよね」と娘が先日自転車で転んで怪我をした際、擦りむいた膝の傷を撫でながら呟いた。

一瞬何気なく聞き流しそうになったけれど、その言葉がすうっと自分のなかに入ってきてふわっと風穴が開いた気がした。

それは他の人が同じことを言ったとしてもそのように感じなかっただろう。娘が生きているだけで「いいこと」の最大級だから風を通してくれたのだ。小さなアンラッキーが束になっても、まったく敵わないほどの。

そうだよね、きっとまたいいことがあるはずだね、と自分に言い聞かせるように娘に返した。

川内倫子の日々 vol.38

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