都市のかたちは一つではない。歩き、撮り、切り出し、貼り重ねる──その途方もないプロセスを通じて、西野壮平は一つの都市に幾層もの時間と記憶を織り込んできた。2003年に始まった「Diorama Map」シリーズでは、東京、ニューヨーク、上海、エルサレムなど数々の都市を、個人の身体的な経験から編み直した“もう一つの地図”として提示してきた。東京・馬喰町のPARCELで開催中の個展「Behind the clouds」では、10年ごとに制作されてきた《Diorama Map Tokyo》に加え、飛行機の窓から雲を捉えた新シリーズ《FL350》を発表。地上からと空から、2つの視点が交差するなかで、都市の見え方はどのように変わるのか。
ポートレート撮影:高木康行
取材・文:アイヴァン・ヴァルタニアン
絵画に描かれる雲と、旅の風景と
――今回の展示では「雲」が主題となっていますが、このテーマに至った経緯を聞かせてください。
西野壮平(以下、西野):浮世絵や大和絵など、江戸時代の絵師たちが描いてきた富士山の風景画を見る機会がありました。それと、富士山が見える場所に住んでいるんですが、雲越しに見える富士山がすごく遠近感もあって立体的に見えるし、豊穣な色に見える。そこから、なぜ昔の絵師たちが雲をあしらうようになったんだろうかと想像していくうちに「雲」に興味を持つようになりました。絵画における雲の表現とは、「間(ま)」を想像してもらうためや、より遠近感をつけるためだと思うのですが、自分のクリエイションのなかでそれができないかと。今回の2024年版では、画面上に雲をあしらうことを試みました。
それと並行して「FL350」――フライトレベル35,000フィート、つまり飛行機が飛ぶ高さですね。飛行機での移動中、iPhoneや一眼レフでずっと風景を撮りためていました。作品になるかならないかはあまり意識せずに。ただ、ある時、目的地に着くまでのプロセスが自分とっては儀式のように重要な時間なんじゃないかと感じ始めました。今までは、その場所に着いてからが旅の始まりという感覚で作品を作ってきたけど、そこに行くまでのプロセスにスポットを当てることができないかと。ずっと撮りためてきた、いつかの、どこかの飛行機からの風景たちを、地球儀を展開したような形に貼り合わせて、地球の表皮のような形で作り上げました。そうして、「雲」というキーワードでつながる2つのシリーズを展示することになりました。
写真から絵画へ回帰する
――西野さんの手法は、日本に生まれてきた美意識が芯となっていますね。カメラが西洋の視点で作られているとしても、編集や構図を作る段階で、この国の中で生まれた考え方、哲学、世界観に基づいて作られているのですね。
西野:そうですね。もともと写真をやりたかったわけではなく、絵を描きたかったんです。そこから写真が始まって、たまたま今の表現になりました。写真を貼り合わせてコラージュするというスタイルは、旅をして撮影して集めてきた写真素材を、絵画における絵の具の代わりにしてキャンバスの上に描くような行為でした。でも、どうしたってそれぞれの写真素材のピースが四角いがゆえに、「写真」から逃れられない。写真を使って「絵」を描きたいと思ってやってきたのですが、やればやるほど絵画的なアプローチに向かっていきました。
――AIの進歩で、写真の時代終焉を唱える人もいます。「写真」という言葉の枠から抜けられる道がようやく見えてきたのではないでしょうか。
西野:最近は画家の山下清の作品をお手本に、写真をちぎってコラージュするという作品を作ったりしていて。自分がやりたかった、写真を素材として絵を描いていくというスタイルの最終形態まではいかないけれども、自分にとっての抜け道となるレールがようやくでき始めたなという時期です。
――以前には、海をモチーフにした作品もありましたね。
西野:コロナ禍で旅に行けない苦しさを海が助けてくれました。停泊した船のロープの影が波によって揺れる。自分の心情を波の振動が表してくれている。海自体が気持ちを代弁してくれている、そんな感覚でした。いわば、「書」のような作品です。より絵画的なアプローチに近づいていることには自覚的になっていて、解き放たれたというか、自分が楽になってきています。
――作家活動も20年を越えました。20年前と現在とで、気持ちなどに変化はありましたか。
西野:フィジカルにはもちろん大変です。撮影も最初は1週間くらいだったのが、今は1カ月半〜2カ月くらい撮る。写真素材も膨大な数になるので、一枚一枚を扱う作業も大変です。制作に関しては、アシスタント数名とチームで取り組む規模になってきています。
それよりも、東京の都市を地図のように表すということに意味がなくなってきているような気がして。特に東京に関しては、もしやるとしたら、本当に人だけとか、看板だけとか、今後は相当大きく変わるんじゃないかなと思います。

都市の変化と、心境の変化
――東京を2004年、2014年、2024年と作ってきて、コロナ禍からはだいぶ変わってきたんじゃないでしょうか。
西野:人に会いたい、人を通して東京を見たいという気持ちが大きくなってきたと思います。2003〜2004年はほとんど人が写り込まず、高いところからだけで撮った写真で作っていました。それがどんどん下に降りてきて、夜とか、地下のイメージとか、ライブハウスとか。回を重ねるごとに、地上に降りてきた。
以前の自分は、コミュニケーションがうまくできない人間でした。人と話すことを拒む感覚があって、それがこの作品を作ろうと思ったきっかけでもあります。最初は高い所にエスケープするような感覚だったのです。大阪での大学在学中、自分がいた場所を高い所から俯瞰して写真を撮っていたことが、この作品をかたちづくっていきました。
いろんな都市の作品を作っていくうちに、自分自身がオープンになって、人ともっと関わりたくなってきた。東京という街自体が、自分にとっては一人の人のような生命体として捉えられていて、その生物とどう対峙するかの景観を表すものでもあります。
他にも、作品の中に雲を入れるようになりました。2004年版、2014年版は意図的に雲を入れていなかったのが、2024年版では雲を入れ込むことでより絵画的に見せるという方法をとりました。空の上部も雲にしてしまう。そういう変化がありますね。

Sohei Nishino FL350, 002, 2025, Cyanotype on Kozo paper (washi made from mulberry), H83.0 × W135.0 cm
――「FL350」はサイアノタイプで制作しているのですか。
西野:そうです。とても大変でした。越前和紙の職人に一枚一枚作ってもらった手漉き和紙の上に薬品を塗って、同じサイズのフィルムを密着させて、太陽光で焼いて作りました。実際、この印刷部分を貼り合わせると球体になるんですよ。大きくプリントした写真の一部をカットし、ランダムな形に貼り合わせて、それをこの形にコラージュしたものを複写して、スキャンしてフィルムを作って、和紙の上に乗せて太陽光で焼くのです。手漉き和紙の枚数にも限りがあったので、失敗が許されない作品でした。ぜひ会場で、実物を見ていただきたいです。

西野壮平|にしの・そうへい
1982年、兵庫県⽣まれ。2004年、⼤阪芸術⼤学写真学科を卒業。在学中から記憶をテーマに、都市のアイコンの集積として表現された「Diorama Map」シリーズの制作を始める。以降、継続的に発表される同シリーズはすベて⾃らの⾜で都市を歩き、モノクロフィルムで撮影された膨⼤な数の写真を⼀枚⼀枚⼿作業でコラージュするという⼿法で、世界各地を舞台に制作されている。近年は自然へとスケールを拡大し、移動や旅をしながら制作活動を行う。
| タイトル | Behind the clouds |
|---|---|
| 会期 | 2月28日(土)~4月12日(日) |
| 時間 | 14:00~19:00 |
| 休み | 月・火曜日、祝日 |
| 料金 | 無料 |
| URL | https://parceltokyo.jp/exhibition/behind-the-clouds/ |
