小木戸:『intimacy』の中に、白い服を着た人が座ってる写真がありますよね?
森:腕と脚が写っている写真かな?あれは僕も大好きな写真。顔が写ってなくて、腕と脚だけの写真だよね?
小木戸:そうです。そのページにたどり着いたときにもう気持ちがたまらなく溢れてきて読み進められなくなってしまって、一度写真集を閉じて、深呼吸をしたりしながら、すこし心を鎮めました。
森:当時付き合っていた彼の写真なんですけど、腕に傷があるんですよ。昔、その子が友だちの家に遊びに行ったとき、友達の飼い犬に噛まれたのに、なぜか友だちにいえないまま隠して半日ぐらい過ごしてたらしくて。ある美術館でのレクチャーを聴きに行ったときにふと目に入ったその傷跡がとてもきれいに思えて、反射的に撮ったときの1枚なんです。噛まれたのをずっと友達にいえずにいる彼の不器用な気遣いとかかわいい感じとか、彼の愛おしさが詰まっている写真です。
小木戸:そのページで思わず本を閉じてしまうくらい気持ちが溢れ出てきたのは、その姿を見つめる栄喜さんの眼差しをすごく感じ取ったからなのだと思います。すべての写真に栄喜さんの眼差しが存在していますが、あのページでは愛おしさとか届かないものへの焦がれとか切なさとか、ひとつの言葉ではいい表せないような無数の感情がすごい濃度で凝縮されているように感じて、その眼差しにつよく心が震えたのだと思います。
森:僕にとってはそういう思い出もあるからとても大切な1枚なんだけど、写真とともに文章をつけてるわけでもないから、どこまで伝わるのかなって思うこともあって。だからそんなふうに感じてもらえてとても嬉しいです。
© Eiki Mori
小木戸:何より瞬間のときめきみたいなものを強く感じ取りました。見ていて、心が壊れそうになる感覚を覚えて怖くなったほどです。自分の心の、蓋をしていた部分が開かれてゆく感じ。本当に素晴らしい作品との出会いをしたのですが、読み終わるまでに3回くらい休憩しないといけない(笑)。
森:僕自身もいまではなかなか読み返せないですね。制作中は意識的になるべく客観的に俯瞰して見ていた部分もあるけど、完成してみるとほぼ日記帳みたいなものになっていたから。
小木戸:ほかに、道路のガードレールに腰掛けている写真が何枚かありますよね? 同じ場所で撮られている写真だと思うのですが、それらの写真が何回か出てくることで記憶の反復をしているかのような不思議な感覚が生まれるんですよね。
森:『intimacy』は一年間の記録で、季節を変えて同じ人をほぼ同じような場所で撮っている写真も多くて。ガードレールを舞台にして、季節や関係性が少しずつ変化していく過程を可視化しているんです。同じような写真の繰り返しといわれたこともあるんだけど、でもその反復こそが暮らしだとも僕は思うので。
小木戸:一見似ている写真ですが、本の進行と相まって、受ける印象が変容してゆくのです。進みながら、変わりながらも、同じ場所に戻ってくるという、何ともいえない愛おしい感じを受けました。世の中ではさまざまなものがざっくりと扱われることも多いですが、実際には、物事はもっと微細な気持ちの積み重なりでできているのだということを、この写真は優しく示してくれています。栄喜さんの写真のなかで心を打たれていることのひとつに、栄喜さんの人生とそこに深く関係する人たちの人生の「声なき声」が伝わってきているということもあると思います。これは、僕の作品や番組づくりでの確たるテーマでもあって、僕は歴史の中やこの世界や社会の中の日常に潜む人々の声なき声を、表現を通じて、浮かび上がらせたいと思っています。栄喜さんの写真は、意識的にも無意識にもそういう声を拾い上げているように感じています。
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撮影を通じて他者の中で生きるということ
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