これまでのスタイルのひとつの集大成ともいえる『Jubilee』と、磯部涼のルポルタージュに同行して撮影した『写真集 川崎』。前者はG/P Galleryでの個展「JJuubbiilleeeee」において、映像を含む洗練されたインスタレーションが行われ(2018年1月28日まで)、後者は細倉自身の練馬の小さな暗室で室内にプリントを張り巡らせるという、ある意味アンダーグラウンドな展示が行われていた。対照的ともいえる二作を貫く細倉の現在、そして写真家としての姿勢を、批評家の佐々木敦が訊く。
構成・文=IMA
写真=宇田川直寛
佐々木敦(以下、佐々木):『ルポ川崎』(磯部涼・著)の『サイゾー』での連載(磯部涼による連載の写真を細倉が撮影)をときどき見ていたのですが、連載時から話題沸騰で単行本も即重版でしたね。元々、細倉さんは川崎出身なんですか?
細倉真弓(以下、細倉):京都出身です。
佐々木:川崎の街自体はそんなに馴染みがあるわけじゃないんですね。
細倉:全然なくて。でも京都も駅の南の方とかごちゃごちゃしているので、東京のこぎれいさよりは馴染みやすかったですね。磯部さんほどではないのですが、川崎へは私も月に4回とか、1日2回とか行っている時期があって、足繁くは通いました。
細倉真弓『写真集 川崎』より
佐々木:川崎でもそうですが、場所、土地の問題や要素ってあると思うんですよね。細倉さんは写真を撮るときに、特定の場所の好みや、合う、合わないってあったりするんですか?
細倉:ごちゃごちゃしていて、少し磁場がおかしい場所は引っかかって撮り始めることがあります。でも成り行きで場所が決まることも多くて、特に『Jubilee』は、台湾、香港、中国、東京で撮っているのですが、ざっくりアジアで作品を作りたいなと思ったときに、台湾でのレジデンスが決まったから台湾も撮ろうとか。川崎もある意味成り行きかもしれません。
佐々木:磯部さんとは、もともとどのようなつながりがあったのでしょうか?
細倉:『Quick Japan』などで何度かお仕事したことがあって。連載が始まる前に、代官山でBAD HOPが出演するイベントに一人で行ったら、磯部さんもいて、今度磯部さんが川崎についての連載をするという話になって。それがきっかけですね。
細倉の暗室で行なわれた「写真展 川崎」展示風景 撮影:細倉真弓
佐々木:その後、連載として一年半取材したんですよね。日本語ラップが好きだとwikipediaに書かれていましたが、いつ頃から聴き出したんですか?
細倉:2009年くらいから唐突に。文化系なので、きっかけはS.L.A.C.K.(スラック)でした。
佐々木:細倉さんの撮っている対象は、どちらかというと文化系っぽくないような世界や人間たちを撮ってきたイメージがあると思うんですが。
細倉:『写真集 川崎』でも肉体を撮っていますが、作品では一貫してヌードを撮っています。高校生の頃から肉体に対するオブセッションがすごくて、文化系なんですけど肉体への執着の方が強いんですよね。
佐々木:肉体の生々しさに惹かれるのですか?
細倉:はい。だからなぜヌードを撮るのか聞かれても特に理由がなくて。撮らないといけないっていう強迫観念みたいなもの。写真史でいう男性優位の視線ではないヌード写真を女性である私が撮るという理由も、後付け的にはあるんですが。
佐々木:理屈はつけられるけれど、ほんとはその前段階に何かあるってことですね。
細倉:それが一番撮っていて、気持ちいいというか。
佐々木:『Jubilee』は、長い期間で撮ったものから選んでいるんですよね?
細倉:2012年からいままでに撮った写真で構成していて、過去に撮ったイメージもあれば、以前の写真集で使ったイメージも入れていて、リミックスっぽい感じですね。最初の写真集『KAZAN』(2011年)と一番直接的につながっていて、ストレートに撮った写真とそれを加工した写真がフラッシュバックするようにまとめられています。例えば『クリスタル ラブ スターライト』(2014年)は実際に起こった売春事件を元に特殊な技法でプリントしたり、『Floaters』(2013年)は乳剤を塗った自作の印画紙で制作しています。
佐々木:一作一作に狙いがあったと。
細倉:いろいろ試した時期を経て、これまでの集大成を作ってみたのが『Jubilee』です。
佐々木:結果論かもしれませんが『Jubilee』と『川崎』が同時に出たのは、細倉さんのまったく違う要素が出てよかったですよね。
細倉:そうなんですよね。『川崎』は依頼仕事でしたが、最初仕事モードで撮ろうとしたらうまく行かなくて85%くらい作品に寄せて撮りました。
佐々木:仕事であっても、細倉さんのアーティストとしての感覚を押し出すことによってむしろうまくいくようになったんですね。細倉さんにとって人を撮るのと人以外のモノを撮ることの違いは?
細倉:人じゃないときは楽ですね。人を撮ることがベースにあって、最終的にいろんな人が写っているけれど、写真の奥の方に存在するイデアについての写真を撮っていると思っています。最終的に抽象的な人物像ができるイメージで、モノを撮っているときもその延長という感覚があります。ここ数年、種が違う遺伝子や肉体の機械化を受け入れることでキメラになるサイボーグフェミニズムについて考えていて。植物とか、鉱物とかネオンライトも、人とか動物と完全に分断されているんじゃなくて、リニアにつながっていって、ひとつの大きい塊なんだと考えています。
佐々木:人をモノのように撮る人と、モノを人のように撮る人がいて、方向性として大きな違いがあると思うのですが、細倉さんの場合、人というよりも“生き物”や“存在”のような像があって、その像は単に人間だけじゃなく、もっとはるかに広い。
細倉:そうなんです、人間の肉とか骨とか甲殻類の殻もタンパク質だし、人が死んだら有機物から無機物になることもつながっている。『KAZAN』のときは無意識的にそういうイメージがあって鉱物とかを撮っていたのですが、それがだんだんリアリティのある話になって。人間が拡張することは未来的だし興味があって、「川崎」もそこは共通していたんですよね。今まであった自分の枠が、外在的なものによって拡張される。自分の作品を見ている人も、そうなってくれればいいなというのがありました。
佐々木:川崎、東京からアジアという空間に広がることで、さらに拡張していく感覚もありますよね?
細倉:もちろんありますね。ただそこから広げるのが難しいと思っていて。アジアの人って男女差が曖昧で、そこもいいなと思っていたので。
佐々木:例えばヌードを撮るときに、その被写体とどのようにコミュニケーションするんですか?
細倉:カッコつけられるのは嫌だし、あまり喋らないし、シャッターも押さない。構えてシャッターを押さないと嫌な空気が生まれるんですよ。
佐々木:あえて溜めているってこと?
細倉:そうですね。相手がイラっとしたり不安になったりして、スキができたら押すんですけど、よくならなかったら違う動作を試しますね。
佐々木:コミュニケーションを取るっていうよりも、待っているんだ。
細倉:はい、釣りみたいな感じです。
佐々木:知っている人と知らない人を撮る違いって大きいと思いますが、細倉さんにとってはどうなんですか?
細倉:どちらかというと初対面の方がいいですね。個人を撮っていますが、撮りたいのはその奥の塊だから、その人がどういう人かはあんまり重要ではなくて。その辺は『川崎』とは違うんですよね。作品ではもう一段階フェーズを曖昧にしたいというか。
佐々木:その人個人の話ではなく、抽象化しているんですね。生身の体の向こう側に、一人一人の生を超えた生々しい何かがある。
細倉:総体、ゴーストですね。
佐々木:しかもそれは無機物の方にまで流れ出している。それって世界そのもの?
細倉:世界そのものほど大きな話でもないですね。
佐々木:全部ではないけど、特定の人間でもない。ある種の人間?
細倉:ある種の人間が見たいんだと思います。曖昧ですけど。
佐々木:関係はできるだけ捨象する、そこに表出されている感情をできる限りなくして、中性的な人間がヌードで存在している。細倉さんは生々しい人間の体や性を撮っているわけではなくて、ヌードじゃないと撮れない向こう側の何かに手を伸ばしているように思いました。『Jubilee』の表紙も色をつけることによって、いわゆるリアルな生々しさとは違う次元を入れようと?
『Jubilee』表紙
細倉:『KAZAN』のときから私の写真の色は青みがかっていて、それも同じ理由だと思います。生々しすぎると、現実になっちゃうというか。
佐々木:現実の再現としての写真じゃないんですね。
細倉:具象ではあるんですけどね。
「JJuubbiilleeeee」展示風景、G/Pgallery、東京、2017-18 撮影:細倉真弓 Courtesy of G/P gallery
佐々木:展示されている映像作品がいいなと思ったのですが、最近映像を撮るようになったのですか?
細倉:ここ2、3年くらいですね。写真に飽きてきたときに、一眼レフで写真の延長で撮り始めました。
佐々木:今回展示されている3つの映像は同じところで撮ったのですか?
細倉:日本と中国の全部違う場所で撮りました。私の中では写真の方が制約は多くて、映像の方がスナップに近くて決め込まずに撮れます。写真は一瞬を切り取ってそれを永遠にしているんですが、映像を停止してキャプチャすると常に待機状態っていうか、動き出す可能性があって。
佐々木:ところが最初から写真に撮っていると、その写真として固定された前後に時間があったとしても消えてしまうわけだ。むしろ消すために撮っているところがあるよね。写真ってカメラという機械が撮っているわけだから、一枚の写真と同じようにモノを見た人って絶対いないわけですよ。それってすごく変なことなんだけど、写真という名の下にそれをずっと人類がやってきた。それに対して映像は、我々が現実に目を使って見ている景色に写真よりは全然近い。
細倉:最近VRが、基本ノーカットなのも変で気持ち悪いですね。この前ロンドンに行ったときに、ジョーダン・ウルフソンのVR作品があって、それをかぶると本人が道端でボコボコに殴られているのが見えるんです。
佐々木:目撃者になるっていうこと?
細倉:そう、すごく可哀想。ただ見ているだけ。ある種の嫌な感情を呼び起こすのはすごいなと思いました。
佐々木:人が表現を見たときには、否応なしにいろんなタイプの感情が引き起こされますよね。そういう作用が視覚芸術はより強いと思うのですが、今日話を聞いていると細倉さんはそういう作用を与えようっていう欲はあんまり持っていないのかなって。
細倉:そこは難しいところで、喜びとか痛みのようにわかりやすい感情ではなく、抽象的な感情というか。
佐々木:結局作る人は具体的な作品の中で、通っていくしかないし、通っていけるものだと思います。目的に近づいている感触はあるんですか?
細倉:徐々に近づいているとは思います。
佐々木:近づくとよりクリアに見えてきて、違いも見えてくるかもしれないしね。『Jubilee』は節目になる写真集で、これを出したことで次のフェーズに行くと。
細倉:弾が尽きて、次に行かざるを得ないですね。
佐々木:映像という方向性はひとつあるのかもしれないけど、自分の中で次のステップへの予感はあるんですか?
細倉:写真家としてずっと影響を受けてきた人たちに、同性愛者の男性の写真家や映画監督が多くて、そこに一度リスペクトを込めた作品を作りたいですね。
佐々木:それはすごく面白い試みなんじゃないですか。僕は批評家を名乗っているけれど、批評って決定的に当事者ではないことが重要だと思っている。でも表現者も当事者性にとらわれると、ナルシステイックで自己反復的になっていく。それが作家性を強めて見えてしまうことには常々思うところがあるんです。だから細倉さんの強い表現欲求が「私」ではなく「向こう側」の問題へ入っていくのが、すごく好ましいと思います。男性の同性愛者の表現が一番しっくりくるってことのねじれ、矛盾かもしれないけど、よくわかります。
細倉:絶対になれないし。
佐々木:なれないから好きなのかもしれない。次の段階としてはすごく期待したいと思います。
細倉:どうなるか全然わからないですけどね。
佐々木:いろいろ話が飛びましたが見えてきた感じですね。見えてないって話が見えてきた。それが重要なことなんでしょうね。
細倉:そこは重要です。撮ったり話したりすることで、見つけていくしかないって思っています。
▼写真展 | |
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タイトル | |
会期 | 2017年12月2日(土)〜2018年1月28日(日) |
会場 | G/P gallery(東京都) |
時間 | 12:00~20:00(最終日は17:00まで) |
休館日 | 月曜 |
URL |
▼写真集 | |
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タイトル | 『Jubilee』 |
出版社 | artbeat publishers |
価格 | 5,000円+tax |
刊行年 | 2017年 |
仕様 | ソフトカバー/214mm×293mm/108ページ |
URL |
▼写真集 | |
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タイトル | 『写真集 川崎』 |
出版社 | サイゾー |
価格 | 3,996円+tax |
刊行年 | 2017年 |
サイズ | 236mm×170mm |
URL |
細倉真弓|Mayumi Hosokura
1979年京都府生まれ。立命館大学文学部、および日本大学芸術学部写真学科卒業。主な個展に『祝祭―Jubilee』(nomad nomad、香港、2017)、『CYALIUM』(G/P gallery、2016)、『クリスタル ラブ スターライト』(G/Pgallery、東京、2014)などがある。写真集に『Transparency is the new mystery』(MACK、2016)、『クリスタル ラブ スターライト』(TYCOON BOOKS、2014)などがある。2017年に『Jubilee』(アートビートパブリッシャーズ)を刊行。同年12月に磯部涼と共に手がけた月刊誌での連載「ルポ 川崎」が、サイゾーより単行本化される。 >IMAPEDIA
佐々木敦|Atsuto Sasaki
1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。ゲンロン批評再生塾主任講師。文学、音楽、演劇、映画ほか、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』『ニッポンの文学』(以上、講談社現代新書)『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『ゴダール原論』(新潮社)、『例外小説論』(朝日選書)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応義塾大学出版会)など著書多数。最新刊は『新しい小説のために』(講談社)。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。