経済的視点からアート写真を考える連載企画「アートとビジネス」。第3回は、2010年にドイツ・ベルリンで生まれたフォトコミュニティ「EyeEm(アイエム)」をピックアップする。現在登録されているクリエイター(EyeEmではユーザーのことをこう呼ぶ)の数は、全世界で実に2,500万人を超える。この巨大なプラットフォームの共同設立者兼クリエイティブディレクターを務める定兼玄を迎え、デジタル時代における写真の新たな可能性について話を聞いた。
文=加瀬友重
写真=高木康行
「EyeEm(アイエム)」のクリエイティブディレクターである定兼玄の言葉を借りれば、EyeEmとは「SNSとストックフォト・エージェンシーの中間にあるもの」だ。お気に入りの写真をタグ付けしてアップするのはインスタグラムと同じ。そしてその写真は、アマナやゲッティ イメージズといったストックフォト・エージェンシーと同じようにEyeEmにストックされ、写真のクオリティと運が良ければ買い手が付き、インセンティブが支払われるというものである。
アカウントの作成は至極簡単(フェイスブックアカウントも利用できる)で、アップする画像のリサイズなども不要。何より「自分の写真が具体的な価値を生む」可能性には、ちょっと興奮させられる。言葉での説明より見たほうが早い。スマートフォンでEyeEmのアプリを検索してダウンロード。もちろん無料である。そこであなたは、世界中のクリエイターたちが撮影した無数の“いまのアート写真”を目にすることができるはずだ。
EyeEmのホームぺージ
―まずは「EyeEm」の成り立ちについて教えてください。
いまから8年前、2010年にこのサービスのアイデアが生まれました。iPhoneが一般のユーザーに普及し始め、誰もがスマートフォンで写真を撮影するようになっていった時代です。当時、世界中でさまざまなフォトコミュニティが生まれていました。そこでスマートフォンユーザーはもちろん、いままでのフォトグラファーも含めて誰もが使えるプラットフォームを作りたいと考えたのです。
当時私は、日本でいう電通のような、ドイツの広告代理店に勤めていました。個人的なことですが、それまでもTBWAやマッキャンエリクソンといった会社でクリエイティブディレクターとしてキャリアを重ね、フォルクスワーゲンやメルセデス・ベンツなどの広告に携わり、いろいろな賞もいただきました。そしてオスカー広告賞の金賞を受賞したことで「広告の世界でやるべきことは十分やった」と感じ、EyeEmを会社として立ち上げたのです。
─2010年頃は、スマートフォンの利用者が右肩上がりで増えていった時期ですよね。
日本ではアプリを積極的に使いこなす人も増えていった時期かと思いますが、実はドイツでは、当時アプリを利用する人はとても少なかったのです。スマートフォンはそれ以前の携帯電話と同様、通話するためのものという考え方が一般的でした。
でも、スマートフォンのカメラの性能がどんどん良くなるにしたがって、写真に関連するアプリも続々と登場していったのです。私たちもその時流に従って「もっと優れたアプリにしよう」と試行錯誤を繰り返していました。
共同設立者は私を含めて4人。フォトグラファーであるCEO、
─「EyeEm」という名称には、どんな意味が込められているのでしょうか。
ちょっと変な名前ですよね(笑)。会社を立ち上げた当初は“EyeEm”をアイアム、つまり“I am”と読んでいました。しかし多くの人が参加するフォトコミュニティとして一人称というのはそれらしくないですし、“i”Phoneで撮影された写真だけを取り扱うわけでもありません。そこでアイエムという呼び方に変更しました。写真やヴィジュアルに関するアプリですから“Eye(=眼)”というのはそのままでいい。そして“em”は“check’em”なんて使い方をするときの“them”、つまり「彼ら」という意味です。
私たちはスマートフォンやPCのモニターを通じて、世界中どこにいても写真をアップすることができるし、いろんな「彼ら」の写真をチェックすることができる。そんな意味を込めて、この名前を付けたのです。
とてもいい名前だと思っていたのですが、電話で“EyeEm”といっても、聞いた人はたいてい違う綴りを思い浮かべてしまうようです(笑)。でももう8年経ってしまったので、変えられないんですけどね。一度この綴りを目に入れてもらえれば、必ず覚えてもらえるのですが。もっと簡単な名前だったら、クリエイターは2,500万人ではなく5,000万人になっていたかもしれません(笑)。
─確かに。でも、フックのあるいい名前だと思います。EyeEmの仕組みを簡単に教えてもらえますか?
私はいつも「SNSとストックフォト・エージェンシーの両方の機能を備えたアプリ」と説明しています。EyeEmのコミュニティはまさにSNSそのもの。世界中のクリエイターが投稿するさまざまな写真をタイムラインで見ることができて、その写真を「いいね」で評価する。一方でその画像はさまざまな企業がチェックして、ときに投稿した写真が購入されるという、マーケットプレイスとしての機能を持っています。私たちのコミュニティは2,500万人いて、マーケットには1憶点以上の写真がある。コミュニティとマーケットの2つを結び付けたことが、このアプリの最大の特性です。
─現在、競合するアプリはあるのでしょうか。
アマナやゲッティ イメージズといったストックフォト・エージェンシーが、ある意味競合かもしれませんが……。やはり私たちはそれらとSNSの“中間”なんですよね。競合というのはほとんどないと思います。
自分が楽しいからアップした画像が、ビジネスに結び付くこともある。それが使う人にとって面白いのだと思います。例えば、どこかの企業が「クルマの楽しみ」を感じさせる写真を探しているとします。EyeEmにアップされた画像のなかから探すことはもちろん、何か新しいイメージの写真を、能動的に集めることもできるのです。我々はそれを“Missions”と呼び、企画の概要をホームページに掲載しています。
企業やエキシビションに採用されるさまざまなイメージを“Missions”で募る
例えば、「トヨタがこんな写真を探している。君たちが考える写真を送ってくれないか」というように。つまり企業からのオファーにEyeEmが会社として応じる場合、我々は日々アップされるたくさんの画像から探すこともできるし、お題を投げて集めることもできるのです。
─実際に画像が「購入された」場合、アーティストの取り分はどの程度ですか?
基本的には半分です。インセンティブの割合がとても少ないエージェンシーも存在しますが、私たちはEyeEmというコミュニティと、ここに集まるクリエイターが最も大事だと考えています。撮影してくれる人がいなくなってしまったら、私たちは本当に困ってしまうから。クライアントから得た収入は半分ずつシェアするという、フェアプライス。
私たち自身も単純に写真が大好きなんです。EyeEmが主宰するエキシビションを開いしたり、雑誌を作ったり、アワードを創設したり。このコミュニティに集まる人々に楽しんでほしいし、何か「お返し」していきたいという気持ちがあります。
クリエイターにとって報酬はもちろんうれしいことだと思いますが、「企業が私の写真を使ってくれた」ということが撮る人を誇らしい気持ちにさせてくれます。そういう体験を、アマチュアのフォトグラファーは求めているのだと思います。
─EyeEmに集まる写真のクオリティについて。定兼さんの感覚として、「良い写真」と「良くない写真」の割合はどのくらいだと思いますか?
そこはとても感覚的なもので、判断が実に難しい。何が求められるかは本当にケースバイケースなので。それでも私たちは写真を購入する企業のオファーに対して、膨大な写真をセレクトしなければならない場合があります。そのためのシステムも自社で開発しました。写真の優劣を見極める「EyeEm Vision」というシステムです。開発には約2年を要しました。
どのように開発したかをごく簡単に説明すれば、写真のことを何も知らない子どもに「これは良い写真、これは良くない写真」と教えていくようなものでした。もちろんその技術はとても複雑なのですが。写真の良し悪しのような感覚的なことを、コンピュータに判断させるのは本当に難しい。美しいもの、人の心を動かすものを、どうやって学習させていくかが難しかったのです。色彩、構図、雑誌編集者が好むイメージなど、さまざまな要素をインプットしながら、いまも「EyeEm Vision」の精度を高める作業は続いています。
でも、「EyeEm Vision」にユルゲン・テラーや森山大道の写真を見せたら、「これは良くない写真」と判断するかもしれません(笑)。私は「粗くてカッコイイ」と思うけれど、コンピュータは「粗い写真はダメ。売れません」と。そこにはまだ“人の眼”が必要ですが、蓄積する“良い写真”の要素が増えれば増えるほど、賢くなっていくはずです。
─企業が写真を能動的に購入する場合の、もう少し具体的な例を教えてもらえますか。
私たちのコミュニティには“Missions”という、コンテンツを集める仕組みがあります。先ほど少しお話しましたが、「ある企業がこんな写真を探している。君たちが考える写真を送ってくれないか」というコンテンツです。以前、ボストン・コンサルティング・グループ(米国のコンサルティング会社。以下、BCG)のリクエストで、ある“Missions”を稼働しました。「“成長”や“サステナビリティ”といったイメージを撮影してほしい」というものです。
これは世界各国に1万人いるというBCGのコンサルタントの、プレゼンテーション資料の画像を探すためのものでした。“成長”や“サステナビリティ”というイメージの画像が欲しい時に「選んだ画像から使ってください」と会社から渡すことができれば、BCGのスタイルから逸脱することはありません。
もちろんものすごい数の写真が投稿されますから、セレクトは大変です。そこで「EyeEm Vision」の登場です。BCGのトーン&マナーにマッチするイメージを事前に「EyeEm Vision」に学習させておいてから、画像をセレクトするというわけです。
例えば“サステナビリティ”という同じ言葉でイメージを集めても、A社とB社ではトーン&マナーが違いますから、まったく違う画像が必要とされるのです。それを「EyeEm Vision」に学習させることで、それぞれのクライアントにふさわしい写真をプレゼンテーションできるということなのです。
─広告関連のプロジェクトだけでなく、社内のリテラシーを統一するといった内容にも対応できるというわけですね。
クライアントのスタイルが把握できれば、クライアントが新しい写真を求めた場合にもより高い精度で探すことができます。“Missions”を含め、EyeEmには毎日約2万点の画像がアップされますが、それぞれの企業のスタイルを学習させた「EyeEm Vision」のフィルターを通すので、その企業にマッチした画像だけが表示されます。クライアントのトーン&マナーに合うフレッシュな写真を、全世界の社員が使い続けることができるのです。
─日本での“Missions”については、ストックフォト・エージェンシーのアマナイメージズと契約を結んだそうですね。
例えばトヨタや資生堂にヴィジュアルコンサルティングをするときに、間に入ってもらうというわけです。そして、日本での取り組みを始めることで、またひとつEyeEmのマーケットプレイスが育っていくのです。
─アマナイメージズが「EyeEmと提携しよう」と考えたのは、なぜだと思いますか。
ストックフォト・エージェンシーがビジュアル事業のひとつの柱であるアマナですが、「写真の仕入れ先が単にひとつ増える」だけの仕事では面白くなかったからだと思います。EyeEmとなら面白い仕事ができる、と感じてくれたのではないでしょうか。一言でいえば、相性が良かったのだと思います。
ともにフォトフェスティバルやアワードの開催、雑誌作りといったアウトプットを実践している会社です。写真を単なるストック素材としてとらえるのではなく、アートとしてとらえている点が似ていると思うのです。アマナグループとなら、“Missions”以外にももっとアーティスティックなコラボレーションができると考えています。例えばスマートフォンで撮影した写真を、500年の耐久性があるという「プラチナプリント」で販売したり……お互いのアイデアは尽きることがありません。
─そのEyeEmが主宰するアワードについて、詳しく教えてください。
年1回「EyeEm Award」を開催して、今年で5回目になります。ファッション、旅、ストリート、アウトドア、ポートレート、静物、建築、クリエイティブ、ジャーナリズムの9つのカテゴリーごとに写真を募り、受賞者を決定します。実は参加人数も集まる写真点数も、世界最大規模のコンペティションなんですよ。昨年は8万人、50万点以上の応募がありました。今年はもっと増えると思います(2018年は10万人以上が参加し、70万点以上の作品が応募された)。
アワードを受賞したクリエイターはベルリンフォトウィークに招かれ、私たちが発行する雑誌に写真作品が掲載されます。今年の商品はソニーのミラーレスデジタル一眼レフ「α」シリーズの最上級モデル。最終的に審査するのは我々と、世界中の著名なアートディレクターやエディターの12組です。日本からはアマナが発行する雑誌『IMA』のエディトリアルディレクター、太田睦子さんに参加してもらっています。アマナグループとは“Missions”の契約だけではなく、こういうふうに広がりのある取り組みを行っていきたいと考えているのです。
─では、アートという観点から見た写真について伺います。EeyEm以前とEyeEm以降では、アート写真はどのように変化したと思いますか?
いまも昔も、実は変わらないことも多いと思うのですが─やはり“ケータイ革命”でしょうか。スマートフォンで美しい写真、格好良い写真、アート写真が撮れるということです。ライカはとてもいいカメラですが、「ライカを持っているからいい写真が撮れる」わけではありません。スマートフォンのカメラ機能が優秀になってきたこともありますが、「いつでも撮れる」ことが重要なのです。言い換えれば、「いま持っているカメラがいちばんいいカメラ」ということなのだと思います。
─いまEyeEmが取り組んでいる問題や、今後の目標について教えてください。
問題といわれれば、毎日いろいろな問題が起こっています(笑)。ひとつは私たちのチームのことですね。80人のモチベーションをどうキープしていくか。社内のコミュニケーションをもっと良くするためにはどうすればいいか。でも私は、問題は“Problem”ではなく“Challenge”だと考えています。そして、EyeEmというコミュニティのモチベーションをどうやって上げていくか。これを考えることがいちばんの“Challenge”。「EyeEmは単なる写真の素材屋ではなく、クオリティの高い写真を扱っているコミュニティである」というブランディングを高めていくことが課題です。
そのために私たちが大事にしているコンセプトのひとつが「多様性」です。写真のクオリティも、スタイルも、クリエイターの国籍も、多様性があるから楽しい。現在、EyeEmは24カ国から集まったスタッフで構成されています。会社も、コミュニティも、コンテンツも、「さまざまなバリエーションを持っている」ことが大切だと考えています。
─最後にひとつお聞きします。EyeEmではなぜユーザーのことを“クリエイター”と呼ぶのでしょうか?
「ユーザー」という言葉は匿名的な感じがして、好きじゃないんです。実際のかかわり方としても、コミュニティメンバー、コントリビューターといった言葉のほうが近い。繰り返しになりますが、EyeEmに集まって撮影してくれるフォトグラファーがいちばん大事です。だから私たちは敬意を込めて、“クリエイター”という言葉を作ったのです。
定兼玄|Gen Sadakane
1978年、ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。大学でヴィジュアルコミュニケーションと哲学を専攻。卒業後、世界最大規模の広告代理店「TBWA」に入社。その後「マッキャンエリクソン」「DDG」「レオ・ブルネット」などの広告代理店でデザイナー、クリエイティブディレクターとして活動。カンヌ広告賞の金賞(フォルクスワーゲン、ボッシュなどの広告)を含む、100を超える国際的な広告賞の受賞歴がある。2010年にドイツ・ベルリンを拠点とするフォトコミュニティ「EyeEm(アイエム)」を設立。現在、共同設立者兼クリエイティブディレクターを務めている。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。