2021年に生誕100周年を迎える石元泰博。この記念すべき年に向けて、今秋、石元のこれまでの活動をたどる大規模な回顧展が東京の2箇所で開催される。展覧会の開催にあたって、過去の『IMA』に掲載された磯崎新にテキストを再掲載する。このテキストは、2012年に逝去した石元と、奇しくも同年にこの世を去った東松照明の二人を偲んで書かれた追悼文となる。写真がもっとも熱を帯びていた時代を作り上げた彼らの偉業を、ゆかりのある人々の声とともに、いま再び見つめるための追悼企画を通して、彼らの軌跡に改めて向き合いたい。
磯崎新=文
IMA 2013 Spring Vol.3より転載
「ついでにジブン(石元さんの口ぐせ)は心臓にパイプを3本ほどいれました。簡単ですよ」と病院のベッドの上から電話をもらった。水戸芸術館で石元泰博展がひらかれてしばらくのことだった。震災直後に私のほうが倒れた。高知県立美術館で石元さんにお目にかかり相談しようと思ったけど、電話の声しか聞けなかった。そのときの元気な声を聞いて、私も手術した。その病院のベッドで石元さんの訃報を聞いた。
「そんな程度のパイプなら9本もはいってるよ」と東松照明が言っている。半世紀間、突っぱった話ばっかりやってきたので、今度は同病相憐れむ話でもするかと思いたち、沖縄行きのキップの手配をした。すぐに病院からでてくるのでちょっとのばせと伝言があった。3日後に亡くなった。2012年、私は半世紀以上つきあってきた写真家の友人2人を失った。
日米安保条約発効に抗議するデモが国会をとりかこんだ1960年、石元泰博は『桂』(ワルター・グロピウス=序 丹下健三=文 ハーバート・バイヤー=デザイン/イェール大学出版局)、東松照明は『家』の連作を「フォトアート」に発表した。いずれも被写体は建造物である。世界の写真史で語られる仕事はそれぞれ「シカゴ、シカゴ」と「占領」であろう。
前者はアメリカ経由のノイエザッハリッヒカイト、後者はヨーロッパ由来のシュルレアリスム。モダニズムの遠い流れのうえであるといえるが、それぞれの視線が占領下日本で交錯したのだと私には思える。石元泰博は「ジャポニカ」(石元本人は了承しなかった)、占領者と被占領者の視線である。建造物を写しても、その視線の違いがあらわれてくる。建築家としての私が気にするのはその違いである。両者とも日本人として、つまり他者の眼で黒人を撮っている。シカゴの黒人のこどもは嬉々として躍動している。横須賀の妾婦とたわむれる黒人兵は鬱屈した表情をしている。マイノリティのみえかたまでが違っている。みずからの身体にパイプをいれる年齢になっても、写真家としての視線はそのまんまであった。
手にするカメラはテクノロジーである。写しだされた映像は写真(フォトグラフィ)である。テクノロジーは勝手に作動する。写真家は制御のむつかしいプロセスに介入して、自らの思想を写真(フォトグラフィ)にする。両者が50年代、それぞれ20代のおわりに建造物をモノクロで撮影した『桂』と『家』は使われたテクノロジーは同じであるのに両極端かと思うほど違っている。その差異を論じるのは私の役ではない。私の20代の終わり頃にちょっと年上とはいえ同世代が、日本列島においてモノクロ写真にこんな幅のひろいスペクトラムをつくりだしていることだった。それ以来の50年間、建築家として私は建築のデザインの側から石元泰博を、建築のアートの側から東松照明の仕事をみるようにしてきた。いまはデザイン・建築・写真まとめて〈芸術〉の領域に繰り込まれているが、テクノロジーを介在させざるを得ないという共通点がある。
《東京都新都庁舎計画(磯崎新)》ゼラチン・シルバー・プリント 1991年頃 ©️ 高知県,石元泰博フォトセンター 高知県立美術館蔵
表現者にとってテクノロジーは手段にすぎない。だが、その手段は勝手に変わる。簡単に制御できない。写真(フォトグラフィ)を自らの思想表現と考えている写真家は、テクノロジーの変化にたいして、その都度まったく違った対処を迫られる。50年代にすでにカラー写真ができあがり、両者ともさまざまな試行をやっていた。発表し流通するメディアにおいて大変換がおきたのが1970年頃だと思われる。50年代にモノクロ写真家としてデビューした両者は、カラー写真でみずからの思想を次の次元へと飛躍させることも迫られていたように私にはみえた。
何かがスッポ抜けたんだ、と『太陽の鉛筆』(1975)が出版されたとき私は感じた。青い空の下に釣り人が太公望よろしく海に糸を垂らしている。南島で東松照明が何ものかと格闘していると伝え聞いていた。彼の内部に変化が起きたのだと私は思った。成熟というのでは通俗すぎる。言葉がみつからずに「年齢のとりかたを学んだよ」といってしまった。機嫌が悪くなりもう口もききたくない!という顔をした。
波照間の海上に雲が浮んだモノクロ写真は東松照明のそんな気分が歴史的な傑作に仕上げていた。表紙の副題に「沖縄・海と空と島と人びと・そして東南アジアへ」とある。基調低音のようになっている「青」はモノクロでは想像にまかされたまんまだ。ひそかに空と海をカラーでたくさん撮っていたことは最近の回顧展のカタログからうかがえる。カラー写真のメカニズムが勝手に撮ってしまった「青」を前にして東松照明はみずからマスターしたモノクロほどの思想たりうるかどうかと思案していたのだろう。作風が変わったというレベルとは違う。「心身脱落」(道元)が起ったのだ。南島の空気とその下でカミと日常的に交換している人々といっしょに生活をはじめたためだと思える。『ナガサキ』においてケロイドの肌を聖痕として記録した人だからやれた「心身脱落」である。
70年代の中期に石元泰博は東寺両界曼荼羅をカラー撮影した。接写レンズをつかって巨大な画面に描かれた何百という仏像のひとつにズームインしている。ドンドン接近して原寸を超えて更に奥まで踏み込んで拡大し、面相筆で描かれた細い線も超えて、千年以上昔に用いられた絵具の粒子までを写しだしてしまった。内側にひそんでいる物質までがひきだされたのである。新即物主義(ノイエザッハリッヒカイト)がたんなるスタイルではなく、写法になっていた。その20年昔に『桂』をモノクロで撮ったのと同じやり方なんだ、と私は思った。あのときは桂がモンドリアンだった。モンドリアンがむしろ桂だったのだと思いなおした。
カラー写真はモノクロにたいして同一面積に何百倍もの情報を運び入れてしまう。そのメカニズムを逆手にとって石元泰博は被写体を解体してしまったのだ。見えないものを見えさせた。筆触といわれるものの息づかいが撮られている。東洋的にいうならばそれは気である。見えないもの、勿論撮らないはずのものを最新のテクノロジーによって見えさせる。視ることの限界突破をこころみたのだった。
その後に私は石元泰博が桂離宮をあらためてカラーで撮影する現場に立ちあった。三脚を立てた位置は30年前のモノクロ撮影のときと9割9分まで一緒だった。較べてみると、ほんのわずかだけ引いている。モノクロのときは線だけに還元することによってあえて消してあった空気がカラーでは写っていた。『家』のムンムンするような空気ではなく、やはり「シカゴ、シカゴ」のような透明な空気だった。
タイトル | 「生誕100年石元泰博写真展 伝統と近代」 |
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日程 | 2020年10月10日(土)〜12月20日(日) |
会場 | 東京オペラシティ アートギャラリー(東京都) |
時間 | 11:00〜19:00(入場は閉館の30分前まで) |
休館日 | 月曜(祝日の場合は翌平日) |
料金 | 【一般】1,200円【大・高生】800円【中学生以下】無料 |
URL |
タイトル | 「生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市」 |
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会期 | 2020年9月27日(火)〜11月23日(月・祝) |
会場 | 東京都写真美術館 2階展示室(東京都) |
時間 | 10:00〜18:00(入館は閉館の30分前まで/木金曜の夜間開館は休止) |
休館日 | 月曜(11月23日は開館) |
料金 | 【一般】700円【大学・専門学校生】560円【中高生・65歳以上】350円 |
URL |
磯崎新|Arata Isozaki
1931年生まれ。54年東京大学工学部建築学科卒業。丹下健三研究室を経て、63年磯崎新アトリエを設立。大分県立大分図書館(現アートプラザ)、群馬県立近代美術館、水戸芸術館など国内の有名建築のほか、ヨーロッパ、中東、アジアなど海外にも建築作品が多い。思想、芸術表現においても常に鋭い批評を行い、写真、アート、映画、音楽など他分野とも積極的に関わる。
石元康博|Yasuhiro Ishimoto
1921年アメリカ合衆国サンフランシスコに生まれる。3歳のとき両親の郷里である高知県に戻り、1939年高知県立農業高校を卒業。同年に渡米し、終戦後は、ニュー・バウハウス(シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン)で、写真技法のみならず、石元作品の基礎を成す造形感覚の訓練を積む。1956年川又滋(本名:滋子)と結婚。1969年に日本国籍を取得。丹下健三、磯崎新、内藤廣など日本を代表する建築家の作品を多く撮影していたことでも知られる。1983年に紫綬褒章、1993年に勲四等旭日小綬章を受章、1996年に文化功労者となる。2006年、高知県立美術館に作品や資料の寄贈が決定。3万5千点におよぶプリント作品のほか貴重な資料が収蔵されている。これら石元コレクションを社会の共有財産として管理し、研究・普及するため2013年に「石元泰博フォトセンター」が発足、現在に至っている。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。