29 June 2022

花代『Keep an Eye Shut』還元する技術としての写真、あるいは曖昧を肯定すること

29 June 2022

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花代『Keep an Eye Shut』還元する技術としての写真、あるいは曖昧を肯定すること | 花代『Keep an Eye Shut』還元する技術としての写真、あるいは曖昧を肯定すること

昨年刊行された、花代の写真活動30周年を包括する写真集『Keep an Eye Shut』は、300ページ超えのボリュームで、90年代から2010年代までの彼女の写真をぎゅっと閉じ込めた1冊。中学校で写真部に入部した花代は、父親から古いカメラを譲り受け、1989年頃から自分の身の回りの事象や出会った人たちを写真に収めるようになった。19歳で半玉になり、その傍らも写真を撮り続け、ロンドンへ渡った1996年に『ハナヨメ』で写真家としてデビュー。1999年にベルリンへ移住し、2010年の帰国後はモノクロ写真に取り組み、現在は東京を拠点に精力的に写真を発表しつづけている。写真家という言葉では括りきれない花代の写真表現をまとめた本書を、キュレーターの若山満大が読み解く。

文=若山満大(東京ステーションギャラリー)

90年代という時代

花代の活動期間と筆者の年齢はほぼ同じだと、あるとき気が付いた。平成2年に生まれた筆者にとって、平成という時代は特別である。こと90年代は非常に不思議なもので、自分は確かにその時代を生きたはずなのだが、ほとんど何も覚えていない。湾岸戦争も地下鉄サリン事件も阪神・淡路大震災も、あくまで活字を通じて得た「情報」であって、経験された現実とは言い難い。「あの時代の不穏な空気」は筆者にはわからない。要するに、90年代を生きたという実感がないのだ。

10歳にも満たなかった当時の自分は、90年代について何も覚えていない。否、語弊がある。覚えてはいる。それは庭先から小学校までの半径2キロで経験した世界。極めて個人的な、ごく細い時間軸上の出来事。それだけはぼんやりと覚えている。いわば筆者の「平成史」は、大きく太い一脈の歴史としてのそれではなく、それを細く細く割いて残った一筋の糸のような時間の流れである。この写真集もまた、似たようなものではないかと思っている。

Keep an Eye Shut


ピンぼけした写真が提示するもの

「はじめてコンタクトレンズをはめた日、あまりに世界が汚くて吐きそうになった」。花代からその言葉を聞いたとき、彼女のぼんやりピンぼけした写真が、くっきり見えたような気がした。見たくないものを捨象するように写真を撮る。それは技術的には可能だが、そう考えてカメラを使う人はおそらく稀だろう。いちおう社会通念上、ピントは「合わせるもの」ということになっている。しかし、花代の写真はピントが合っていないものが多い。彼女の写真は、「普段見ている世界」と「カメラが表現する世界」のギャップを、可能な限り埋めようとした結果だと言ってよいのかもしれない。カメラのレンズが甲斐甲斐しく拾ってくるディティールは、彼女にとって馴染みがなく、過剰で、とにかく不要なのだろう。あるいは多くの人にとっても、それは同じなのかもしれないが。

世界の様子が鮮明に見えるがゆえの戸惑い、見え過ぎるがための疲労。思えば、そういうものを感じない日はない。現代のレンズやセンサーの分解能は、もはやどんなに粗末なそれであったとしても、充分すぎるほど高い。それによって人は世界を分節し、認知できるものを増やし、認識できる範囲を広げてきた。しかし、ときたまそれに抗いたくなることもある(見えるということは、それ自体がとてもしんどい)。花代の写真には、そういう気分を肯定してくれる感がある。

父から貰ったオリンパスPenを使って花代は写真を撮っている。カメラは中学生の頃から変えていないという。この写真集は、彼女がカメラを持って間もない10代の半ばに撮られた写真で始まる。以降、東京・ロンドン・ベルリン・パリ・ニューヨーク、あらゆる場所の大小さまざまな経験が写真となって連なり、1冊の写真集を構成している(花代の30年におよぶ移動の軌跡、それぞれの写真の詳細については、本書所載の伊藤貴弘の論考にゆずりたい)。


自分の世界がなにか/どこかに還元されていく

ハーフサイズカメラは自然に構えれば縦位置の写真が撮れる。塔、ビル、人、木。みな縦位置の画角と親和性が高い。すっきりと収まり、周囲の景色から切り離されている。同時に、自分の視線も寸断される。左から右へスムーズに流れるはずの本を読む視線は、思いのほかいちいち各頁に留め置かれる。とはいえ、不鮮明な被写体と正面から向き合うのは負担である。どう解釈してよいか戸惑い、動揺してしまう。ゆえにそこから逃げるように早々とページを繰っていく。写真集を読むことはしばしばあるが、ここまでハイペースで最後のページに辿り着いたことはあっただろうか。少なくとも302ページあったとは思えない。アレやブレがもたらす疾走感に同調してというよりは、ただ単に居た堪れなくて出口まで駆け抜けたと言った方が、この写真集の読後感を正しく伝えられる。

本書のノドの部分には写真の撮影年が書かれているが、それらは過去から現在に向かって規則正しく並んでいるわけではない。やや前後する。くわえて微妙に合わないピント。だんだん「遠近」が狂っていく感じは、片目でモノを見ている状態に似ている。その不安定さ、陶酔感がやけに思い出されて、いまだにずっと引っかかっている。

花代の写真を初めて見たときから、なぜかノスタルジーを感じている。彩度は高いが仄暗く、ぼんやりしているのに妙に触覚性がある画像が、自分の記憶のあらゆる断片に働きかけるからなのか、どうなのか。見たこともないその景色に感情移入してしまうのを、我ながら不思議に思う。カメラのレンズは物の輪郭・境界線を明らめるよう働くが、彼女の写真においてそれらは不鮮明である。前者が世界を多様化させていく働きだとすれば、彼女の写真は世界を一元化しているように見える。自分の世界がなにか/どこかに還元されていくような感じがある。自分の過去はこの写真集の中にあるかもしれないし、未来すら写り込んでいるかもしれない。あまりに不条理で空疎な感興だが、彼女の写真が持つ一種の寛容さは、そう思ってもいいのではないかと、自分を少しだけ寛容な心持ちにしてくれる。

Keep an Eye Shut

タイトル

『Keep an Eye Shut』

出版社

torch press

出版年

2021年

価格

6,380円

仕様

ハードカバー/230mm×160mm/304ページ

URL

https://www.torchpress.net/product/3237/

花代|Hanayo
東京とベルリンを拠点に活躍するアーティスト。写真家、芸妓、ミュージシャン、モデルなど多彩な顔を持つ。自身の日常を幻想的な色彩で切り取る写真やコラージュ、またこうした要素に音楽や立体表現を加えたインスタレーションを発表する。パレ・ド・トーキョーなどでの個展、展覧会多数。写真作品集に『ハナヨメ』(1996)、『MAGMA』(2004)、『ベルリン』(2013)、『点子』(2016)、音楽アルバムに『Gift / 献上』『wooden veil』などがある。

若山満大|Mitsuhiro Wakayama
1990年岐阜県養老町生まれ。東京ステーションギャラリー学芸員。専攻は日本近現代美術史・写真史。愛知県美術館学芸員、あいちトリエンナーレ2016キュレトリアルチーム、アーツ前橋学芸員などを経てフリーランスとして活動後、現職。近年の企画展に「台風と秩序」(スタジオ35分、東京、2018)、「写真的曖昧 The blur in photographs」(金沢アートグミ、2018)など。

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