文・選曲=菊地成孔
「デルタブルース」という音楽ジャンルをご存知だろうか?それは合衆国南部、ミシシッピ河流域の三角州(ミシシッピ・デルタ)で生まれた、録音上は最初期のブルースミュージックのことだ。
最初期の録音はちょうど100年前、1920年代に隆盛を極めたが、レコーディングされる前から存在していたであろうことは間違いない。
最初に挫折に関して書くが、筆者は今回、ロバート・ジョンソン、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ブッカ・ホワイト、といった、デルタブルースの神々の録音やライブを漁るだけ漁り、現在定着している「ギターによるブルースの演奏」の定石を大きく超えた、各自に独特の、気が違ったような奏法や動き、そして、世界中の誰もが、一聴だに「これって、古いブルースですよね」と覚知できるであろう、気が違ったような、強烈な一貫性を、片っぱしからペアリングしようと試みた結果、そのほとんどが、一瞬にして最高のペアリングを見せるものの、全てが95%までしか届かなかったので、デルタブルースの追求は全放棄した。
「とどかなかった5%」の正体は、トライ&エラーの20回目あたりを超えた時から明確になった。100年のときの経過である。霊力も魔術も、わずか100年で、生き生きとした復活を成せなくなっていた。霊力も魔術も、永遠ではない。その、永遠ではない、永遠でなさを、本作は徹底的に追求している。霊力と魔術が発生した土地に赴くことで、である。
アレック・ソスの処女写真集であり、最高傑作の呼び名も高い『スリーピング・バイ・ザ・ミシシッピ』の初出は2004年。絶版となったが最近、復刊となった。再発に至る事情を筆者は知らないが、「1920年代の100周年記念」ととらえることも可能である。トートロジーめくが、もう一度書く。現在は、1920年代の100年後の世界なのだ。
路上から路上へ移動し、アメリカ南部で、「まだ眠っている」霊力。それは、とても恐ろしいもので、とても神聖なもので、とても奇妙な姿をしている。ソスはそれを探しにゆく。そして我々は、100年という時間の中で、こうした、原初の恐ろしさや神聖さ、何よりもその「奇妙な姿」を、何とか耐えられるものにまで家畜化し、葬ってしまい、時折、その、原初の姿に出会ってしまった時、呪われる。しかしそれはレコード動画のような再現物なので、呪いも一時的だ。一時的な方が、呪いは恐ろしいともいえる。完全に呪われてしまったが最後、我々はブルースの官能に支配されきってしまい、恐ろしいものや神聖なもの、気が違ったような奇妙な姿さえ、そう見えなくなってしまう。しかし、その呪いも、合衆国の100年間という時の流れの中で、その姿だけが細々と生き残り、霊力はほとんど失われ、失われることで、姿だけをこれでもかと見せつけてくる。スリープしていた者たちをキャメラが揺り起こす。その結果が本作である。
100年を待つまでもなく、本作の初版が発表される36年前、未だに本作の先駆として語られることを止めない、ロバート・フランクの『ジ・アメリカンズ』がパリで初版されている。筆者が検索した限り、本作と、このーー写真文化史上、最高傑作の一つといっても過言ではないーー『ジ・アメリカンズ』を並列関係に置かない批評や紹介は、一つもなかった。これほど「祖先の霊」が、はっきりと取り憑いている写真集は存在しないのではないだろうか?しかもソスはそのことを、重荷に思っていない。祖先の霊を蘇らせる気概が漲っている。
名前からはすぐに連想できないが、フランクはスイス人で、1955年と56年の二年間に、ハイウエイを車で走り、「アメリカ、という、非常に奇妙な姿」を撮影した。それは、広大な国土をハイウエイという血脈を通す試みが活発化した年である。
一般には「州間高速道路網」と呼ばれるが、正式名称は、「ドワイド・デイヴィッド・アイゼンハワー全米州間国防高速道路網」であり、当時の大統領、アイゼンハワーが「アイゼンハワー法」を以って推進した結果である。
1955年と56年は、「アメリカがアメリカになった年」である。イギリスやオランダや、フランスやスペインの、幼稚で豪華絢爛なママゴト世界だったアメリカ合衆国は、その全域に血脈を通すと同時に、ディズニーランド、マクドナルド、ミスタードーナッツ(以上、すべて1955年創業)、エルヴィス・プレスリー(1956年に、「ハートブレイクホテル」で、ロックンロール音楽として初のビルボード1位獲得)を生み出した。あなたは、これら全てがないアメリカ、を想像できるだろうか?
そして『ジ・アメリカンズ』には、その、生まれ変わりの胎動期が持つ、あらゆる「異様さ」が写し取られ、最初にフランス人に紹介された。そこには、今では当たり前になってしまっている光景、メットガラと存在しない貴族階級によって構成される社交界、チカーノの暴走族、美しいゲイのカップル、移民たち、広大な農場、ジュークボックス、シカゴのギャング等々、100年を待たずして、今や映画やドラマで当たり前にしか見えない、安全で楽しい姿に家畜化された、アメリカの<異様な姿>が、異様なまま記録されて、「路上」で有名なビート詩人、ジャック・ケルアックがテキストを添えている。
本作は、もう二度と蘇らせることが出来ない、この「方法」を、全米ではなく、ミシシッピ河流を北から南に縦断するだけの、つまり聖地の中枢を一往復することによって(ソスは「自分の作品には物語が必要である」といい、それは写真が、それを見るものたちにもたらすリージョンの物語ではなく、具体的な文章=テキストである。このことも、愚直なまでにケルアック=『ジ・アメリカンズ』の伝承になっている)、更に古い精霊、建国時代や、南北戦争時にまで遡るかもしれない精霊に会いに行き、挫折したのかどうなのかを我々に問う写真集である。
最初に書いた通り、この写真集には、この土地で生まれた精霊の声を拒絶した。ロバート・フランクが切り取った、生まれたての怪物の「生」が、ここでは「死」に変換されている。そこにこの写真集の美しさの全てがある。デルタブルースは、アレック・ソスを自室まで招き入れ、結局は出て行って家に帰れと歌う。
このテーマを、生涯をかけて追求している映画作家にデヴィッド・リンチがいる。リンチは「死したるアメリカ」の、<死後の生>に取り憑かれ、フランスの出資で作品を作り続けているアメリカ人だが、筆者は音楽家でもあるリンチの、悪夢的に変容したブルースのペアリングも試してみた。しかし、リンチがしっかりとキャメラに収めた<アメリカの亡霊>は生き生きとリンチの妄想世界を構築しているが、ソスが切り取った<ミシシッピ河流域に点在するアメリカの死体>は、そのリアルな死によって、フランクが撮影した怪物の生としっかり繋がり、キャメラが持つ残酷なドキュメンタリズムを発揮している。
精霊や魔術にも生と死があること、永遠の領域であると考えられがちな霊的世界にも、終わり、つまり死後の姿があることを伝える、この偉大な写真集に最もペアリングする音楽は、デルタブルースでも、リンチの、狂人の幻聴のトレースであろうノイズや囁きでもなく、アンビエントミュージックの開祖の一人である、ブライアン・イーノが、「空港」のために制作した、最初のアンビエントミュージックだった。
多作家であり、多くが長時間音楽であるイーノの環境音楽作品の中で、最もブルースの構造を有しているのが、この「アンビエント1:ミュージック・フォー・エアポート」である。アルバム・ジャケットには、楽曲の解説と思われる奇妙な図表による添え書きが個々の音楽に併記されているが、その意味するところは解説されていない。それは、イーノの脳内にある、アメリカの地図ではないだろうか?ペアリングした瞬間に、音楽は、ニューヨークのラガーディア空港で実際に鳴らされ続けているという職務から離れ、ソスが切り取った雪や農場、誰もいないモーテルの室内、奇妙な壁や壁絵、死んだ精霊たちのポートレイトに、ごくごく自然に憑依した。
今回は例外的に、ソスを招待しながら、結局は家に帰れと諭したデルタブルースと、リンチの歪んだブルースのURLも掲示する。併せてお聴き頂けると幸いである。眠れる精霊を揺り起こし、ギリギリで拒絶された本作の寂寞感と美しさが際立つであろう。
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家・文筆家・大学講師。音楽家としては作曲、アレンジ、バンドリーダー、プロデュースをこなすサキソフォン奏者、シンガー、キーボーディスト、ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり音楽、映画、モード、格闘技などの文化批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々出演多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。著書に『次の東京オリンピックが来てしまう前に』『東京大学のアルバート・アイラー』『服は何故音楽を必要とするのか?』など。