2 March 2022

川内倫子の日々 vol.14

別れ

2 March 2022

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川内倫子の日々 vol.14「別れ」 | 川内倫子の日々 vol.14

別れ

毎年節分の前後は大なり小なり切り替えを感じる出来事が起こることが多いのだが、今年はかなしいことが重なった。

その日は北海道に撮影に来ていて、貸家に滞在していた。夕方、今年は豆まきできなかったな、晩ご飯をどうしようかなと考えながらカメラバックの中身を整頓しているとき、電話が鳴っていることに気づいた。それは何度もお仕事をご一緒させていただいた、グラフィックデザイナーの中島英樹さんの訃報だった。最後に会ったのは3年くらいまえで、そのときも身体のあちこち調子が悪いと言われていて心配だったのだが、結局それからコロナ禍になったこともあり、再度お会いすることはできなかった。

窓の外を見ると雪がしんしんと降り続いていて、それをただ見ながら中島さんと一緒に仕事をしたことや、最後に食事をしたときのことを思い出した。

学生の頃、彼のデザインに憧れていたから、自分の写真集をデザインしていただけたことは無上の喜びで、何度もその本を撫でたり開いたりしたことを思い出す。依頼のお仕事も、ある時期によくいただいた。中島さんの一言一言を聴き逃したくなく、緊張しながら打ち合わせや撮影の場にいつもいたから、あの頃のことはよく覚えている。その言葉の数々と経験は、いまとなっては自分の糧となっているのだなと気がついた。自分の記憶のなかの中島さんの声が、落ちていく雪の粒と同じような速度で降ってきて、もう声が聞けないのかと思うと寂しさが募った。

翌朝、チェックアウトするために荷物をまとめていると、娘の一番のお気に入りのくまのぬいぐるみがないことに気がついた。部屋もレンタカー内もすべて探したがなかったので、昨日行ったお店の駐車場なども探したがやはりなく、諦めて飛行機に乗った。娘には「くまちゃんはもう旅に出ちゃったんじゃないかな」と言ってなだめたけれど、もちろん納得できずに静かに泣いていた。娘にとっては物心ついた頃からの一番のお気に入りで、一人っ子の娘にとっては妹のような、いつも一緒にいる存在だったから初めての大きな喪失体験だろう。それからしばらくはふと思い出してはくまちゃんがいない、、と落ち込んだり泣いたりしていた。不憫になってネットで同じぬいぐるみを探して買おうかと思ったが、「失くしたものはすぐに帰ってくる」と思うようになるのは良くないな、と思い、しばらく様子を見ることにした。

翌週は東大阪で展示があったので、娘と一緒に自分が中、高校生、短い会社員時代を過ごした大阪市内の実家へ帰った。普段両親は滋賀に住んでいるが、大阪にも家を残しているから、時々そこで過ごすこともある。自分は長いあいだその家に帰ることはなく、随分久しぶりのことだった。娘が来るのも初めてで、10代の多感な時期を過ごしたかつての自分の部屋に彼女がいるのは、なんだかシュールであり、感慨深くもあった。

東大阪での展示は2018年から約3年間通った、滋賀県のアールブリュットの才能が集まる障害者多機能型事業所「やまなみ工房」で撮影した写真と映像を、利用者さんたちが制作した絵画やオブジェを、同じ空間で展示するという企画だった。展示初日には高校の担任の先生や学生の頃の友人が家族と一緒に来てくれて、マスク越しながら懐かしい顔ぶれに会え、小さな同窓会のようであった。トークには蔓延防止期間中だったが、たくさんのお客さんにお越しいただけた。自分がやまなみ工房で感じたことを話したりしたが、どれだけ伝わったかはわからない。ただできるだけ感じたことをそのままに話すように努めた。

この展示に合わせて、写真集「やまなみ」を出版してくださった信陽堂の丹治さんも、一緒に登壇していただいた。彼の文章が写真集に差し込まれているのだが、それがとても誠実にやまなみ工房で過ごした時間を綴られていて、それは「混沌が調和する場所」と題されている。「混沌」とは人間であり、世界そのものでもあると言えると思うのだが、対義語である「調和」という言葉を用いることで、やまなみ工房のあり方を端的に表していると思う。ひとりひとりの人間が抱える孤独と混沌がそのままそこに在り、それは利用者さんとスタッフさんとの関係性によって「調和」されている。だから訪れる自分たちにとっては居心地の良さを感じる場となっているのだろう。編集者としての目線だけでなく、彼の人間としての世界への向き合い方がやまなみ工房を通して感じることができ、長年の友人でもあるこの人と、この本が作れてしみじみよかったと思った。

トークの最後の質問タイムでは、最初の質問で「障害をどう思いますか」と言うようなことを聞かれた。とっさに「個性かなと思います」と答えてから、優等生みたいな答えのような気がする、これは自分の本当の言葉ではないのか?と自問し、いや、ある意味でやはり個性と言える。でもそれはいわゆる障害者とはカテゴライズされない自分が言っていいのだろうか、と考えた。それで横に座っている丹治さんの顔を見るとうなづいてくれたので、その話の補足のようなことを話したのだが、それはうまく話せたような感じがしなくて、なんだかもやもやしたものを抱えたままつぎの質問に移った。

数日後、ダウン症のお子さんを育てている方のインスタグラムに、展示とトークの感想が丁寧に綴られてあった。そのなかでこの質問「障害とは」とのわたしの答えについて、彼女はとても前向きに捉えてくださったが、そういうふうに捉えない方がいることも知っている、とも書かれてあった。その通りだと思い、彼女が好意的に受け取ってくれたことに安堵もした。そうして改めて日々、さまざまな障害を持ち、その人たちを支える家族や支援者の方々のことを考える。当事者じゃない自分が写真集を出したり言葉を書いたりすることに対して後ろ向きな思いをする方もいるかもしれない。ただ自分が「やまなみ工房」で過ごした時間に感じたことが、本を手にとっていただいた、展示へ足を運んでくださった人たちへ少しでも伝わるといいと思う。

数日前からロシアのウクライナ侵攻が始まった。ネットで記事を読むたびにぎゅっとした気持ちになり、なるべく気持ちを切り替えようと仕事に集中したりしても、また気持ちが重くなり、もやもやとしている。ほんの一部の人以外は戦争など良くないとわかっているのに、なぜ止められないのか、複雑にからみあった歴史と世界のシステムの上に自分がいると思うとやりきれない気持ちになるが、娘を目の前にするとしっかりしないと、とも思う。コロナで1回目の自粛期間でも、同じように塞いでいた自分にとって彼女の存在が大きかった。彼女の未来をいまよりももっと良くしたいと思うことで落ち込んでばかりいても仕方がないと思えたし、彼女の存在そのものが、光明を感じさせてくれた。

娘は数あるぬいぐるみの山から、去年動物園で買ったしろくまのぬいぐるみを持ってきて、「この子をくまちゃんの代わりに大事にするね。同じようにふわふわでかわいいし」と言う。先週、寝る前にくまちゃんがいないと大声で泣いたときに、あまりに泣き止まないので、似ているくまちゃんを探して買ってあげるよ、とつい言ってしまったので、「買わなくていいの?」と聞くと、「だって似ててもあのくまちゃんじゃないし、もったいないからこの子で大丈夫」。急に成長したなあと嬉しいようなさみしいような。じゃあくまちゃんと同じように首にリボンをつけてあげるよ、とピンクのリボンをしたら喜んで廊下をスキップをしていた。全身で喜びを表わす姿がまぶしかった。

ところが翌日布団に入ると、くまちゃんがいない、、とまた落ち込んでいる。しろくまを持ってきて「この子をくまちゃんの代わりに大事にするんだよね?」と言うと、うなずいて抱きしめて眠った。やはり簡単に喪失の悲しみは消えないよね、、と思いながら、いまこの瞬間にも、ウクライナで誰かの大切な人が亡くなっているかもしれない、と思うと、またぎゅっと苦しくなり、娘としろくまを一緒に抱きしめた。

川内倫子の日々 vol.13

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