24 March 2022

菊地成孔の写真選曲集8

アダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリンにGRAY

24 March 2022

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この写真集は、巻末にある英語の解説を読む限り、トゥイステッドな作品であることは分かるが、詳細が今ひとつわからない。筆者の英語読解力の低さも加担しているけれども、そもそもこの解説自体が、アート系の写真集に書き添えられる、時に、読むことを挫折してしまいそうなほどの解説文のマッシヴさと比して、非常に簡潔であり、英字100文字組みで12行しかない。検索によって得られた(やはり、非常に少ない)情報と合わせて、先ずは紹介するべきだろう。

アダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリン『scarti』(TROLLEY BOOKS, 2013)

作者は現在、ベルリンとロンドンで活動中のアート・デュオ「アダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリン」で、共に1970年代生まれ、南アフリカ共和国出身のアダムと、英国出身のオリバーという、所謂「国籍を超えた」デュオだが、いうまでもなく、1994年までアパルトヘイト(悪名高い人種隔離政策)が法制化されていた南ア共和国は、19世紀初頭から1961年まで英国の植民地で、公用語は英語である(因みに、南アを含む「アフリカ連合(旧「アフリカ統一機構」)」は、英領と仏領が過半数を占め、ポルトガル、スペイン等が宗主国も存在するが、英国だけが「AU」と呼ぶ事で有名である=他国は全て「UA」)。

アダムとオリバーは2003年に『Ghetto』を発表、注目を受ける。タンザニアのリュコール難民キャンプ、キューバの精神病院、南アフリカのポールスモア刑務所など世界の12箇所にわたり、所謂ゲーテッドコミュニティの姿を大判のカラー写真で記録した作品である。

その後も、2013年には、戦争などの写真アーカイブと聖書にインスパイアされた作品集『Holy Bible』でICPインフィニティ・アワードを受賞。コンセプチュアルな創作スタイルと、ファッションブランド「ベネトン」の刊行誌『COLORS』のディレクションも行っていたという経歴等も併せ、所謂「お洒落なモダンデザイン」と「政治性も孕んだアート」の境界に立つスタイルといえるだろう。

彼らのブレイクスルー作『Ghetto』は制作に3年かかり、2003年に発表されたが、後に絶版になる。版元はジジ・ジャンヌッツィ(Gigi Giannuzzi)とあり、英国と南アのチームが、イタリアから作品を出版していた可能性を示している。
 
前述、あっさりとした英語の解説にはこうある。

(前略)イタリアの印刷業界には「Scarti di avviamento」という用語がある。これはインクを転写させるドラムをクリーンアップするために印刷の合間にプリンターに通す紙の事だ。この副産物は、本の印刷が終了すると破棄される。しかし『Ghetto』を出版したジジ・ジャンヌッツィは印刷の際に出た「scarti」(イタリア語で「ごみ」の意)を保管しており、2012年にジャンヌッツィ氏が突然この世を去った後、偶然発見された。2回印刷された紙には、神秘的でしばしば美しいイメージの組み合わせが姿を現している(後略)

これを読む限り、本作『scarti』は、ウォーホルが多用したシルクスクリーン(版画の一種)の二重刷り効果のような事が偶発的に生じ、アダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリンがそれを元に再構築した作品、という事なのだろう、とう推測が出来る。

実際、本作に収められた作品は、一点の例外もなく、全て二重刷りであり、元手である<ゲットーのリアル>に対し、全く無関係の画像がペアリングされている。


ドバイ辺りを彷彿とさせる高級マンションの眺望や、台湾もしくはベトナムを想起させるアジア人の少年少女のフォーマルなポートレイト(兵士や警察官のものもある)、アラブ系、スラブ系と思しき成人の何かの制服姿、イスラエルの嘆きの壁の観光写真、家具やホテルの広告写真、もう何が何だかわからない、真っ黒に塗りつぶされた素材、等々、そこに、後から書き足されたと思しき、政治的で詩的なメッセージ(憶測だが、聖書の引用も含まれる)が書き足されているものもあり、霊的とも共産主義の壁新聞的なコラージュ、ともいえる奇妙で美しいダブルイメージが横溢している。出版は2013年だ。

今回、音楽のペアリングに要した時間は10分間ほどであった。何点かの作品が(実際はそれほど似てはいないのだが)バスキアの作風に近く、かつ、バスキアが強烈にもつ、あのバスキアン・メッセージが全くなかった事、しかし、捻れた共振感があり、前後が矛盾するようだが、「ほとんど後継が存在しないバスキアの、数少ない異種後継のひとつ」といえるかも知れない。と思ったからである。

そこで、「バスキアが生前結成したバンド」「バスキア唯一の音楽活動」として伝説的な存在となっている「GRAY」の音源を片っ端からペアリングしてみた。

ヒップホップ黎明期の功労者であるマイケル・ホルマンとバスキアはニューヨークでGRAYを結成した。一時期はビンセント・ギャロの在籍も伝えられたりしたが、長い間プロダクツはなく(バスキアがデザインしたフライヤーやライブ写真、酷い音/画質のライブ映像の断片だけがあった)、音楽誌もアート誌も、口を揃えて<80’sインダストリアル、ニューヨークパンク、フリージャズ、ノーウエイヴを凝縮させたようなサウンドだったらしい>と書くしか無かった。

2010年に突然、正規アルバム『Shades Of….』がCD化され、その全貌が聴けることとなった。果たしてそれは、伝説の通り、<インダストリアル、パンク、フリージャズ、ノーウエイヴ、ポエトリーリーディング>といった80年代ニューヨークのカルチャーの坩堝でありながら、音楽的に独立して作品視することは難しいようなパフォーマンス活動という方が相応しい、無邪気で先鋭的な遊びのようなものだった。

これが後に廃盤となり、一昨年に再発されたが、重要なのは、『Shades Of….』が、バスキアが演奏に参加した音源そのままではなく、残されたメンバーが加工や追加トラックの多重録音を施して完成されたという点である。現在いう所の「リミックス」とはとてもいえない。

それは、残された乱暴な音源に、塗り重ねるように多重録音を加えて出来上がったもので、『scarti』の、偶発的なシルクスクリーン効果の原点、といった趣もある。前述、『scarti』はゴミという意味だが、<インダストリアル、パンク、フリージャズ、ノーウエイヴ、ポエトリーリーディング>の、無邪気で乱暴な演奏、は、アートの文脈からしても、ミュージックの文脈からしても、全てがゴミを意味している。

そして、その中には、意外なほどメロウな(現在のR&B的な)ナンバーが多く、霊的とも、共産主義の壁新聞をルーツのひとつに持つ、NYグラフィティ・アート的な音楽ともいえる。筆者は「様々な符号」に、大きな価値は見出していない。符号に価値を見出し過ぎる者たちは多く、陰謀論やオカルトの誘惑に負けるし、ペアリングの本質は、符号から導き出される物ではない。

しかし、今回、符号を元手に行ったペアリングのトライは、驚くべき効果を上げてしまった。霊的でゴミのような(メインのギターリフは、有名な映画『男と女』のモチーフをゴミ化した、素晴らしいものだ)、美しくハイテックなガラクタ。二重刷りのヘヴンリーなサウンドと、文字や言葉の攻撃的介入。10年前の英国/南アと50年前のニューヨークを繋いでしまうスカムなホーリー・ゴーストが、あらゆる自由から程遠くなってしまった硬直した現代に、一瞬だけ来訪する。

*今回、ペアリング曲に続けて、GRAYの同傾向の楽曲も添えておく事にする。起きるペアリング効果は全く同一のものだ。

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家・文筆家・大学講師。音楽家としては作曲、アレンジ、バンドリーダー、プロデュースをこなすサキソフォン奏者、シンガー、キーボーディスト、ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり音楽、映画、モード、格闘技などの文化批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々出演多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。著書に『次の東京オリンピックが来てしまう前に』『東京大学のアルバート・アイラー』『服は何故音楽を必要とするのか?』など。

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