11 October 2022

川内倫子の日々 vol.21

残像

11 October 2022

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川内倫子の日々 vol.21「残像」 | 川内倫子の日々 vol.21

残像

カレンダーに書き込んだ内容を見ながらここ1カ月を振り返ると、通常の仕事と家族の行事の合間の時間はほぼ展示の準備に追われていたのだった。9月も後半になればそれらの作業は終わっているはずだろうと思っていたが、結局搬入日前日までずっと終わらなかったのだった。
でもこれぐらい慌ただしく過ごしていたほうが余計なことを考えずに済んでよかったのかもしれない。時間があると結局、写真のセレクトはこれでよかったのだろうか、映像の編集はまだ手を加えられるんじゃないか、と足掻いてしまいそうだ。というか、映像の編集に関しては実際に足掻いていろいろと作業が終わらなかったのだった,,

9月中旬は図録の印刷立ち合いに大阪へ行った。
1泊2日の工程で朝から夜までほぼずっと印刷工場にいたのだが、駅から工場までの道のりや、昼食をとりに近隣の店へ行くときには少し周辺を歩いた。なんでもない住宅街を歩いただけなのだが、それはどこにでもある住宅街ではなく、大阪にしかない住宅街だった。
その大阪にしかない変哲のなさが胸をぎゅっと掴んでくる。4歳から22歳まで住んだ大阪の自宅周辺も、似たような風景だったのだ。
住宅街のなかに児童公園がある一定の間隔であるように、たこ焼き屋さんも存在するのが大阪らしい景色というわけではないのだが、(それもひとつの懐かしい景色のひとつではある)建売住宅がみっしり並ぶ横に小さなネジの工場があったり、少し歩くと国道沿いにイズミヤがあったり、自転車で移動する小学生が多かったり、それら全部が過去の記憶とともに迫ってきて胸が苦しかった。
自分にとって大阪は、そこで過ごした日々の大半が自分の幼さと生きづらさと向き合った時間だったので、それらの記憶が歩きながら蘇ってきて少し苦しくなった。でも苦しさだけでなく、ほんのりと甘いような気持ちにもなったので、辛いことばかりではなかったのだろう。
両親が若くて祖父母も生きていた、という時間は、それだけでいい思い出なのかもしれない。そう思えるようになったのも時間が経ったことと自分が家族を持ったからだろう。

先日金原ひとみさんのインタビューを読んで、ある一文にはっとした。
ずっと学校へ行くのがつらかった少女期を過ごしていた彼女に、最近になって父親から「子どもが向いてない人ってたまにいるんだよ」と言われ、確かに「子どもであること」が自分にとって合ってなかったと思った、というくだり。
自分もそうだったのだな、と思いながら大阪の住宅街を歩いていると、あの頃の自分の残像が見えるような気がした。

川内倫子の日々 vol.21

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