10 May 2023

川内倫子の日々 vol.28

つぎのはじまり

10 May 2023

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川内倫子の日々 vol.28「つぎのはじまり」 | 川内倫子の日々 vol.28

つぎのはじまり

滋賀県立美術館の個展の会期が終わる少しまえに娘の卒園式があった。この日のために証書の受け渡しや歌の練習など頑張ってきたようで、本番の数日前に遊びに来た友人に娘がはりきってその歌を披露したら、その友人は感極まってぼろぼろと泣いていた。自分は当日を楽しみにしているからと、その場から離れて聴かなかったのだが、実際に聴いて泣き過ぎたらどうしようかと少し緊張していた。
そして本番。思ったよりもたくさんの催しものを先生たちが企画してくださり、とても充実した内容の式となった。
自分の両サイドに座っていた同級生のおかあさんたちは終始目頭をハンカチで抑えていらしたが、自分は撮影するのに集中してしまい、自分でも意外なほど落ち着いていた。
終わったあと、娘にも「泣かなかったね、なんで?」と言われてしまい、撮影に忙しかったからじゃないかなと言った。
同業者の友人たちにそのことを話すと、自分もまったく同じだと言う。皆学校や保育所の行事ごとは撮影に集中してゆっくり見られないし、感慨にふける余裕もないと言ってうなずきあった。

その後、小学校の入学式までのあいだに必要なものを揃える準備と、娘の日本脳炎とおたふく風邪の追加ワクチン接種と、自分の帯状疱疹ワクチン接種、海外出張の準備、その間に地方出張、などで日々追われるように過ごした。
入学式の翌日に自分が海外出張に行くことになったため、両方の準備を同時並行して進めている最中、ふと自分たちの生活が違うステージにきたのだと感じた。
娘が小学生になり、以前のように海外出張には連れて行ける機会もぐっと減るだろう。それは家族3人がおにぎりみたいにぎゅっと固まって転がるように進んでいった、あの日々が終わってしまうということだ。そう思うと卒園式は泣かなかったが、荷造りしながら寂しさに襲われた。

無事に入学式を見届け、翌朝ひとりで羽田空港へ向かった。ひとりでの海外出張は随分久しぶりで、独身に戻ったような気分で飛行機に乗り込む。
今回の目的はソニーワールドフォトグラフィーアワードで特別功労賞をいただいたので、その授賞式がロンドンであるからだ。そしてサマセットハウスでの受賞記念展の展示の設営チェックと、翌日はブリストルでのマーティン・パーファンデーションでのトークと来年の展示の打ち合わせ、と短い日程のなかに予定を詰め込んだ。
マーティン・パーとは2004年にアルルのフォトフェスティバルで彼がキュレーションした企画展示に招待されて以来の関係だ。
その後の自分の活動を後押ししてくれた、自分にとってとても大きな出会いだった。
海外で展示する際などに出会った人々が、「きみのことを初めて知ったきっかけはなんだと思う? マーティン・パーに教えてもらったからだよ」というようなことを何度となく言われることがあった。彼のおかげで海外での認知度が上がったし、その後さまざまな国で展示する機会も広がっていった。
2010年には彼がキュレーションしたブライトン・フォトビエンナーレに招待され、スティーブン・ギル、アレック・ソスと3人で展示する機会もあった。彼らの活動をいまも目にするたびに、同級生が頑張っているような気がして励まされる気持ちになる。
マーティンは自分にとって写真界の父のような存在だと、勝手に自分は思っている。彼の作風に影響を受けたという意味ではなく、少し離れた場所からいつも見ていてくれているような関係性だからだ。

久しぶりに会ったマーティンは、数年前に病気をして手術をしたと聞いていたが、思いのほか元気そうでほっとした。
マーティンの運転でファンデーションまで向かう道すがら、近況を話したりした。
彼はいつでもはっきりと大きな声で話す。その独特なブリティッシュイングリッシュを聞いていると、出会ってからの約20年、この人にずっと見てもらえていたのだなという感慨があり、同時に安心感のようなものに包まれた。それは自分の写真家としての活動初期に支えてくださったアートディレクターの浅葉さんにも通じる、大きな父性を感じるからだろう。
作品を制作し続けてこられたのは、浅葉さんやマーティンへの恩返しのような気持ちがずっとあることが、ひとつのモチベーションだったのかもしれないと思う。

今回の授賞式でマーティンからビデオメッセージが届いた。
メッセージの最後には「keep shooting, keep taking the pictures, keep going, don’t give up. I know you will. because you’ve got the bug, I’ve got the bug, and we just have to keep going. so, thank you Rinko for all your work」と締め括られた。日本語に訳すと「撮って、撮り続けて、前に進み続けて、諦めないでください。あなたはきっとそうするでしょうね。わたしと同じように、自分を突き動かす「何か」を持っていて、ただ前に進むしかないのです。倫子、これまでのあなたのすべての作品に感謝します」となるようだ。
それを聞いて、写真を始めてからいままで抱えていたさまざまな思いが去来して胸がいっぱいになった。
娘の入学式と同じタイミングの授賞式で、マーティンから背中を押される言葉をもらえたことは、親子で新しいスタートラインに立っているような気持ちにさせ、つぎのはじまりの合図が鳴ったようにも感じた。
大きな個展が終わって少しくたびれていた自分は、また新しい作品が発表できるのだろうかと不安になっていたが、そんなふうに思う必要もないのかと思えてきた。

すっかり独身に戻ったような数日間だったからか、帰りの機内で家族が待つ家に帰るのが不思議なような気分になった。家族がいたこの何年かが夢のように感じて、少し怖いぐらいの気持ちのようでもあった。

自宅に帰ると娘の話し方が出発前よりも滑舌が良くなっていることに気づく。小学生生活が始まって、上級生と話す機会が増えたからだろう。会っていなかった数日で少しの浦島太郎気分だ。
夕飯を食べながら、思ったよりも寂しくなかった、と夫に言うと、横でそれを聞いた娘が○○(娘のなまえ)はさみしかったよ!と少しむっとした顔で言い、抱きついてきた。まだ甘えたい時期は終わっていないのかと思うと浦島気分も束の間、この数日間の出来事が遠くに感じ、ぎゅっと縮まったようだった。

川内倫子の日々 vol.28

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