19 December 2024

川内倫子の日々 vol.36

新しい家族

19 December 2024

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川内倫子の日々 vol.36「新しい家族」 | 川内倫子の日々 vol.36

新しい家族

10月初旬のある日、家族を置いてひとりで数日京都へ出張に来ていた。初日に夫からLINEがあり、自宅のテラスのテーブルに座っている猫の写真が一枚送られてきた。野良猫が遊びに来たようだったが、翌日娘が笑顔でその猫と並んで座っている写真が届いた。これはもしかして飼いたい、ということなのか、、と思いながら帰宅すると、うちのテラスからずっと動かないようで居着いてしまったということだった。動かないのなら仕方がない、ということであまりにもみゃあみゃあと鳴くので餌を与えたら夢中ですぐに食べたという。

テラスに行くとすでに定位置、といったふうに椅子の上にゆったり座っている。近づくと初対面なのにすぐに身体を寄せ付けてきて、随分と懐っこい。以前人に飼われていたか、餌をもらえる人がいるのかもしれない。

かわいいと思う反面、まだ一緒にいる覚悟ができていない自分は警戒してしまう。以前飼っていた猫と見た目が同じの茶白だというのも手伝って、別れの寂しさを思い出してしまったからだ。その猫は夫が自分と出会う前から飼っていて、結婚してから数年一緒に暮らしたが、いまの家に引っ越してしばらくして亡くなった。ちょうど命日の数日前にうちに現れたということにも、運命的なものを感じる。しばらく逡巡したが、膝の上に乗ってきたときにはこれは受け入れるしかないなと観念した。

 

また猫を飼うことになるとは思わなかったが、いまのところ飼うというよりは1日のうち数時間を一緒に過ごしているという感じだ。最初にうちに来た日から10日間くらいはテラスからまったく動かなかったのだが、この場所にどうやらいてもいいみたいだと安心したのか、最近は半日外に出たり、ときには丸一日帰ってこないときもある。家の中で一緒にいることもあるが、昼間は外で過ごすことが多くなってきた。家の中にいても手持ち無沙汰とう感じもあるので、彼には彼の時間が必要なのだろう。元々彼の居場所は家の中ではないのだし。

 

猫との生活が始まってすぐにまたひとりでイギリス出張になったが、10日間ほど留守にしているあいだは、猫がいるおかげで娘も自分と離れることを納得して落ち着いて過ごしていたようだ。

自分はというといままでで最長期間娘と離れて過ごすことに少し身構えていたが、仕事に集中できたし、久しぶりのひとりの時間を気ままに楽しめた。合間合間に娘を思い出しては、やっぱり連れてきた方がよかったのかな、いやこれでよかったのだ、と何度も同じことを行きつ戻りつしながら思う。どちらがいいということではないし、もうひとりで来てしまっていて選べるわけでもないのに。

ひとり海外で過ごす時間は、日常のルーティンから解放されることで自分に向き合うことができ、かつてずっとそうだった独身時代を思い出させた。ただ家族を持つ以前に海外で過ごした日々と、帰る場所がある前提でのその時間は大きく違う。仕事をよすがにしていた生活が家族中心になったことは、それまでのようにものがつくれなくなることへの不安よりも、基盤ができたことの精神の安定を得たことの方が大きい。焦燥感と漠とした孤独感が掻き立てるものでしか見えない景色もあるけれど、年を重ねたことといまの家族形態によって、より広がった場所に来られた、と思う。

異国にひとりでいることのひりひりとした感覚は変わらないが、帰る場所があることで家族を思い出すとふわりと安心感がたちのぼり、同時に無事でいるか心配になる。そのなかに新しく猫が加わって、大切なものが増えた分失う怖さも大きくなるがそれが家族を持つということなのだろう。

ただ寄り添いあって生活することの強さをこの年齢になってやっとわかったような気がする。でもそのように思えるのもいつの間にか過ぎて、家族それぞれに自分の時間をもつことが増えていき、やがて娘も巣立っていくのだろう。

娘と離れて仕事することに罪悪感を覚えることも、そのうちになくなるだろうこともだんだんと現実感が増してきた。

まだ娘が胎内にいたときの一体感から、生まれてすぐに肉体から離れてしまった寂しさ、授乳が終わってまたさらに一段階手が離れたこと、初めて保育園に預けたときの、自分の負担が少なくなったことの、少しの安堵と罪悪感。あの頃からいつでも両極の気持ちのあいだを揺れ動き続けているけれど、そうやって確実に娘との距離が離れていくことは、季節が移りゆくように自然なことなのだと、ときどき自分に言い聞かせている。

川内倫子の日々 vol.36

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