今春、大阪の国立国際美術館で開かれた個展「自画像の美術史」も好評だった森村泰昌。現在、恵比寿のNADiff A/P/A/R/Tで「『私』の創世記」と題した個展を開いている。恵比寿のギャラリーMEM(2・3F)と同じビルにある地下1FのNADiff Galleryでは、彼が現在知られるような、さまざまな人物に「なりきる」手法で制作する前に作られたスティルライフの写真や映像などの初期作品が並ぶ。1Fのブックショップでは「創世記文庫」と題して森村が「昔読んで、また読み返したい本」が集められている。アーティスト、森村泰昌の原点をたどりながら、いまこうして過去を振り返ろうとした意図を聞いた。
青野尚子=インタヴュー・文
新津保建秀=写真(ポートレイト)
―展覧会には70年代から90年代までの作品が並んでいます。この時期を回顧したいというような思いがあったのでしょうか?
森村:現在のセルフポートレイトを核とした作品以前に作っていたもの、つまり私の原点といいうる作品群に次のステップに至る秘密があるのではないか、それらを一度しっかりと見つめ直すことが大事では、という考えからこの個展をすることになりました。また、国立国際美術館での個展も含めて「セルフポートレイト」の作家としてのイメージが固定されないようにしたいという思いもありました。これまであまり見せてこなかった作品もあわせて展示することで、一人の人間の多様な側面を見ていただきたいと考えたのです。
―2・3FのMEMには80年代のモノクロ写真による作品が並んでいます。近年の色鮮やかな作品を見慣れた目には、モノクロームの作品は新鮮に映りますね。
森村:私もいまではコンピュータを使っていますが、当時はアナログのフィルムを自分でプリントしていました。暗室ではネガキャリアの縁を削ってプリントの周囲にぼやけたような影をつけるといった操作もしていましたね。いいプリンターの方と出会ってからはその方にプリントをお願いしています。当時はライティングをせず、自然光で撮っていたので、シャドウ部が潰れてしまったり、白いところが飛んでしまったりもしていたので、「影のところを潰さずにニュアンスを出してください」「白く飛んでいるところの質感を出してください」といったオーダーをしていました。いま展示しているのは2003年にそのプリンターの方にプリントしてもらったもので、以前よりずっとクオリティの高い作品になっていると確信しています。
―3Fの「卓上の都市」と名付けられたシリーズでは人物ではなく、日常的なオブジェを組み合わせた静物写真です。
森村:この頃はいろいろなことをやって、試行錯誤していたんです。外へ出て撮影する、人物を撮るといったことのほかに室内にオブジェを配してひとつの世界を作る、ということをやっていました。組み合わせるという作業自体が面白かったんですね。バウハウスやモホリ=ナジなどのほか、ロトチェンコらロシア・アヴァンギャルドなどの当時好きだったさまざまな作品にも影響を受けていますし、自分の美的な感覚をオブジェで現すことができたように思います。絵を描いたり、彫刻を作るだけでなく、すでにあるオブジェに何かを託して表現することも重要な手段だと思うんです。こうしたダダとシュルレアリスムの中間のようなやり方は80年代当時の時代感覚にも合っていたと思うし、自分自身も好きでした。
―「卓上の都市」のシリーズでは、作品ひとつひとつに付けられたタイトルもユニークです。
森村:タイトルは2006年に青幻舎から同名の作品集を出したときにつけたもので、制作した当初はなかったんです。どこかしら物語を想起させるようなもの、なんとなく都市や街を作っていくような感覚を持ちながらタイトルを付けました。私は写真を始める前、童話作家になりたいと思っていたこともあるんです。空想的な物語の一コマになるようなタイトルになるといいと思いながら考えた覚えがあります。
<卓上のバルコネグロ>森の塔・風が吹く, 1984 年 © Yasumasa Morimura, courtesy MEM
―作品の中にはオブジェの背景に森村さんが写っているものもありますね。
森村:最初に考えたのは人間の体もフォークやナイフ、植物などと組み合わせることができる一つの素材、オブジェになりうるということです。逆にいえばナイフや植物が肉感的な身体のように感じることもある。この頃の作品に「花嫁」というシリーズがあるのですが、そこには人間は出てこなくて、木の台と植物を組み合わせたものなんです。一方で人間の体はオブジェを想起させるから、それらが絡み合いながらひとつの世界を作るというのをやってみたかった。
もうひとつ、自分の姿を私自身の存在証明として作品の中に入れたいという思いも、確かにあの頃はありました。そのままだといろんなものに人ごみに埋もれていってしまいそうで、「私はいまここで生きている」ということをいいたかった。かといって、叫べばいいのか、というとちょっとそれは違う。どんな風にして自分の作る作品に潜り込ませればいいのか工夫した結果、出来上がったのがオブジェの背後に私が写り込んでいる写真です。
<卓上のバルコネグロ>泳ぐ人は魚になる, 1984年 © Yasumasa Morimura, courtesy MEM
―今回は写真作品のほかに映像作品も展示されています。その中でも「星男」は2F・MEMの展示室のほか、1Fのブックショップでもブラウン管のテレビに映し出されていますね。
森村:この作品はマン・レイのプライベートな実験映画や1960年代の日本の実験映画に触発されて作ったものです。学生の頃の私はそういった映画の、わざと画面を荒らしてざらざらした質感にしたり、コマを飛ばしたりするような作りに惹かれていました。
―街中を歩き回る「星男」では、周囲の人々から好奇の眼差しで見られています。
森村:1960年代に、突然何かの行動を始めることで不穏な空気を生み出し、撹乱させる「ハプニング」という表現形態が流行しました。「星男」を作った1990年はバブル経済の最盛期で、60年代的な感覚はすでに失われていた頃です。私はそこに、かつてのハプニング的な感覚を持ち込みたいと思ったんです。
―これら映像作品も含めて、約30年前の作品をいまご覧になってどう思われますか。
森村:いま見ると確かに画質はよくないけれど、だからといってダメだとは思いません。当時の雰囲気や時代感覚が現れていますし、アナログなのでネガフィルムに埃がついてそれがプリントされたりしているのも面白い。昔はそういったシミみたいなものはスポットという修正液のようなものを塗って修正していました。それが触覚的なざらつきになるのもよかったですね。いまのデジタル写真ではもちろん埃などはつかないので、つるっとした感覚になる。
国立国際美術館での個展では先へ先へと進むにつれて逆戻りというか、過去とか子供時代に戻るような感じがしました。先へ進んで行ったら自分の子供時代が見えた、そんな構造だったんです。先へ進むことと過去を振り返ることは結局同じことなんだなあ、とも思いました。それが今回のこの展覧会とつながっているような気がしますね。
タイトル | 森村泰昌展「私」の創世記 |
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会期 | 【第1部】 【第2部】 【第3部】 |
会場 | |
時間 | 12:00~20:00 |
休廊日 | 月曜(祝日の場合は翌日休廊) |
URL |
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。