現在、IZU PHOTO MUSEUMで行なわれている「ヨヘン・レンペルト|Fieldwork — せかいをさがしに」は、ドイツ人写真家ヨヘン・レンペルトの国内美術館での初個展となる。一見してモノクロの動物写真と一蹴してしまうなかれ、そこには生物学的な見解を通してさまざまな世界の見方が重層的にちりばめられている。ゼラチンシルバープリントをそのまま壁に貼るという即興的な写真インスタレーションも見所のひとつ。2014年には国際的に評価の高いドイツ証券取引所写真賞にノミネートされるなど、世界の写真界でも注目を集めている。ひかえめな物腰とはにかんだ笑顔をたたえながら伝統的な写真の方法論を軽やかに超える、レンペルトの制作の真髄を聞いた。
インタビュー・文=IMA
写真=下屋敷和文
―写真を始める前に、シュメルツダヒン(Schmelzdahin)というグループで映像制作やパフォーマンスを行なっていたと聞きました。
高校生の時にはすでにグループを結成していました。最初は遊びで始まったのですが、徐々に制作に打ち込むようになって、さまざまな場所で映像を発表していたんです。物質性をテーマとしたものが多く、たいてい8ミリフィルムカメラの「スーパー8」を使い、現像も自分たちで行なっていました。パフォーマンス寄りの作風で、例えばステージ上で映像をループで流し、その場で化学薬品をフィルムにたらして、フィルムがネガからポジに変換される様子を観客が見るというようなものでした。
―その頃から生物学に興味を持ち始めていましたか?30代半ばに写真へと移行する経緯を教えてください。
映像作品はすでに生物に関わるものが多かったですね。グループ解散後、一人でできることをやりたいと思って写真を選びました。技術的にも映像よりシンプルですから。学校で写真を学んだわけではありません。映像を長い間制作していたので、フィルムなどの素材についてはよくわかっていました。それから写真の伝統や、正しいとされている写真の方法論のことは特に気にしていませんでした。
―幼少期から動物、昆虫や自然に興味があったのでしょうか?
もちろんです。子どもはみんなそうですよね。ドイツでは兵役を受けない場合は社会貢献活動をしなければならないので、学校を卒業した後、ある小さな島に滞在しました。家が一軒だけしかない島で、自然にまつわるプロジェクトに2年間従事しました。おそらくこの経験が、私が生物学を専攻しようと志すようになったきっかけです。20歳で島に行き、22歳から生物学を学び始めました。その後は生物学を学びながら、並行して映像を続けていました。
―代表作のひとつ、「オオウミガラスの表皮」についてうかがえますか?
1990年に撮影をスタートし、まだ進行中のプロジェクトです。大西洋に生息していたオオウミガラスは、1844年に絶滅しています。最後の生息地はアイスランドにありましたが、火山の爆発によってその地域が水没してしまい、最後に残った数匹は近隣の島に逃げました。生き残ったオオウミガラスの剥製が、コレクターたちの手によって世界各地の自然史博物館に収蔵され、現在では約80体の剥製が収蔵されているといわれています。48体の撮影にすでに26年を費やしているので、シリーズ完成のためには、これからかなりスピードアップしないといけないですね(笑)。
《オオウミガラスの表皮》1990−2016年
―撮影のきっかけは?学術的な興味が最初にあったのでしょうか?
はい、生物学への興味から始まっています。撮影を始めたときはシリーズを計画していなかったのですが、4年間撮り続けた時にシリーズ化できると思い、そこからコンセプトを進化させました。鳥類学者にとって、このオオウミガラスという鳥は謎めいていてとても人気で、いまでも数年に1冊はこの鳥についての本が刊行されています。
―貴重なオオウミガラスの剥製を、顔の部分のみ切り取っているのはなぜでしょうか?
私がオオウミガラスを撮り始めた理由のひとつは、顔にある白い斑点がそれぞれ異なる形をしていることが面白かったから。この斑点は、通常、地図上に描かれる白いエリア(スポット)のメタファーでもあるんです。でも分かりにくいなら、このメタファーは成功してないかな(笑)。ドイツ語で「地図上の真っ白なエリア」には、未開の地、未知の地という意味があるのです。
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「見る」プロセスで熟成される写真たち
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