9 March 2017

Talk
Hitoshi Tsukiji × Ryuichi Kaneko

対談 築地仁×金子隆一
時間を超えて問う「見ること」の意味

9 March 2017

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築地仁×金子隆一「時間を超えて問う『見ること』の意味」 | Talk Hitoshi Tsukiji × Ryuichi Kaneko

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タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムにて、「写真像」の33年ぶりとなる個展を開催中の写真家・築地仁。1960年代半ばより一貫して被写体やコンセプトに頼ることを排し“写真にしかできないこと”へと真摯に向き合ってきた築地は、2015年に『写真像』(CAMERA WORKS)から30年ぶりとなる『写真』(日本写真企画)を刊行した。その書評の中で、写真史家であり『写真像』の編集にも携わった金子隆一はこう評する。“どのような写真表現の変容が歴史として積み重ねられていっても、またどのように現実の状況が変化することがあったとしても、変わらずに「写真そのもの」へとたどり着こうとする意志を持ち続け、実践し、成し遂げている”。次々と価値が移り変わる現代において、30年の間変わらずにある写真への思想はどのように築かれたのか。いま改めて、二人に当時から現在に至るまで、そして『写真像』に込められた思いを聞いた。

構成=小林祐美子
写真=高橋健治
企画=twelvebooks

金子隆一(以下“金子”):まず1984年に刊行された『写真像』に至るまでの経緯をたどると、築地さんとは1976年に「方向量」の展覧会場で初めて会い、築地仁写真集『垂直状の、(領域)』を見たことが最初のきっかけです。そして1979年からCAMERA WORKS(*註)というグループで具体的なプロジェクトを一緒に始めました。

築地仁(以下“築地”):その頃はカメラ雑誌の黄金期で、CAMERA WORKSはその状況へ向けてのカウンターとして、自分たちが写真集の発行元になって納得する写真集を出そうという思いが発端でしたね。

写真集『垂直状の、(領域)』(1975年)より

写真集『垂直状の、(領域)』(1975年)より
Photo: twelvebooks

金子:1970年代末はツァイト・フォト・サロンやフォト・ギャラリー・インターナショナルというオリジナルプリントを扱うギャラリーが始まった一方で、プリズムやCAMPといった自主ギャラリーはクローズして新しい方向性を模索するなど、写真を取り巻く環境が移行していた時期です。その中で自分たちの場をどう作るかを考えたとき、写真集をシリーズで出すことによって自分たちの立ち位置をプレゼンテーションしようというコンセプトが生まれました。当初は最低10人くらいのシリーズを作ろうと計画していましたが、全員が納得する人選が決められないまま時間が経ち、「とりあえず」発行し始めたのが『camera works tokyo』です。初めは読み物を中心にやろうといっていたのですが、築地さんが海を撮った「海光」を発表したり、翻訳を中心にした資料集をまとめたりと、やりたいことを少しずつ『camera works tokyo』で実現していましたが、常に「本番」感はないままでした。冊子や展示での発表の場は確保していましたが、当初の意識は解体してしまい、それにしびれを切らした築地さんが「写真集を作りたい」と訴えたことから、デザイナーの菊地信義さんと3人で『写真像』の制作が始まりました。築地さんと菊地さんはいつ知り合ったのですか?

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築地:高校時代の先輩が多摩美術大学に進学して菊地さんと友人だったことで、19歳のときに初めてお会いしました。写真を見せるといろんなことをいわれたのですが、みんな当たっていたので驚きましたね。そのときに「日本の写真家は被写体主義だけれど、そうじゃない新しい写真を撮るなら教えてやる」といわれて、それから毎月ベタ焼きを持って寺子屋のように通っていました。「いままでにない写真をどう撮るか」「写真を思想としてやらなくてはいけない」というのが菊地さんの言葉でした。『写真像』はそういった写真的な知識、見方、考え方の集大成のひとつです。

金子:築地さんが持ってきたベタ焼きを、菊地さんの自宅兼事務所でセレクトするのを、月1回くらいで1年ほどかけてやっていましたね。僕は自分では写真を撮らないから、一人の写真家が写真を撮るプロセスに直接関わったのは貴重な体験でした。ベタ焼きを一緒に見るのは、一緒に写真を撮りに行くということとも根本的に違う。

築地:菊地さんと金子さんに会ったことは写真的な体験からいうととても大きかったです。「写真はこういうものだ」という意識が開かれていた。二人のインテリジェンスがいるから、毎回「そういう見方をするんだ」と僕はほとんど下を向いていましたね(笑)。ふたつの眼と考えがあって、その差異が面白く、私にとって視覚的な勉強の場でした。『写真像』はハッセルブラッドで計3,000本ほど撮ったのですが、二人がその中から29点しか選ばないことは疑問に思っていました。

金子:セレクトを繰り返すうちに、築地さんがずっとやってきたことから違う世界へ行ってしまったと感じた瞬間があったんです。ならいままでセレクトした200枚を全部捨てて新しい3枚を生かすか、新しいものはとりあえず全部捨てるかしないと、写真集は作れない。でも写真家は行ってしまったら以前に戻って補うことは絶対にできないんですね。その線を引いたときに、こういう写真集を作るというベクトルが見えました。それでも、築地さんは延々撮ってくるんです。写真家はそういうものだと、そのときにわかりました。

築地:6×6という真四角に謎があるから、もっと違うものを撮りたいと思うんです。例えば4×5なら、もっと簡単に「撮れた」とわかるんです。2015年に新しい写真集を作ったとき、なぜ30年も作らなかったのかと聞かれましたが、『写真像』以上のものができないからです。いま6×6をやるならカラーで、デジタルで撮るしかないですね。

*註
CAMERA WORKS:写真史家・金子隆一、写真家・島尾伸三、谷口雅、築地仁によって1979年に設立。1979~1995年に写真同人誌『camera works tokyo』を企画、編集、発行した。1981年には、御茶ノ水にあったマンションの一室を一時的にギャラリーに改装し、連続写真展「CAMERA WORKS EXHIBITION」を企画開催。

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