金子:真四角の魅力という話が出ましたが、6×6のカメラを意識的に持ったのはいつですか?
築地:「海光」で海を撮ったときですね。
金子:なぜ海を撮るのに6×6だったんでしょう?
築地:ハリー・キャラハンの『Water’s Edge』からの影響です。あとはドイツの新即物主義や、ロシアのロトチェンコ、ウォーカー・エヴァンスが6×6、35mm、4×5、8×10とフォーマットを変えて撮っていたのにも影響を受けましたが、カメラが仕事を規定すると知ったのはキャラハンがきっかけでした。あとは中学生のときに写真の研究授業でボルタ判というフィルムを使って、覗くと四角い画面のカメラを使ったことがあるのですが、あのボルタ判は原点として残っていますね。それとダイアン・アーバスは同じ被写体を35mmと6×6の両方で撮っていて、その2冊の写真集を並べて見ると6×6はものすごく深く入っていけるんです。6×6にはそういうエキスというか、効果があるなと感じました。
金子:「写真像」を撮る前の「譜」と「風景の波動」もスクエアでしたね。二眼レフ、6×6、そして中学生のときのボルタ判カメラの真四角。それらは何か結びついていますか?
築地:6×6は子供の目のようなもので、見つめること、撮ることの原点です。撮るときも見るときも、中心に入っていけて、画面の中に入って集中的に物を見ることができる。35mmはもっと動きや身体性があるからアングルを変えたりできるけれど、6×6は素朴に写ってしまうし、表現の方法がひとつかふたつしかない。自分にとって6×6で撮ることは一番大事な原点、座標みたいなものです。縦長や横長とは全然違って作画的には撮りにくいけれど、練習問題を解くように作品を作ることが好きだったんですね。
金子:「練習問題を解く」という表現に表れているように、築地さん写真の撮り方には自分で問題を設定して、解いてみて、簡単に解けてつまらないからやめようとか、なかなか解けないからやってみようとか、そういうプロセスがありますよね。
築地:写真を撮る行為は実験が面白いんです。四角とは何かとか、いまある思考を実験する。そして一回撮って見て面白くなかったら陳腐になるからやめるけれど、世界中が陳腐なものばかりだから静かに挫折していましたね。沈思黙考して、なぜ撮れないのかと考えていました。でも写真史を見ると、写真家はそういう問題をみんな解決しているんです。ダイアン・アーバスの写真はすごく無理をしているように見えるけれど、本当はただこれを撮りたい!と思うものを撮っている。それを見たときに、僕の写真なんてまだスケッチだなと思って、やり続けたいと思いましたね。
金子:後に写真集『Water’s Edge』に収められる写真を含めたキャラハンの展覧会「CITY」が77年にペンタックス・ギャラリーで開催されたとき、その展評を書いたのですが、そこにも「最も写真機的な6×6判二眼レフ」という書き方をしました。けれどキャラハンの写真と比べると「写真像」の方がいっていることが数段複雑です。それは年齢の問題、つまりキャラハンは当時60くらいの大御所であり、築地さんは30代。ある程度やってきた結果として出しているのか、これからやっていくプロセスの中でどれだけ硬質なものを作れるかという課題を抱えての、one of themとして出しているのかの違いでもあります。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。