銅像を写真に収めると、意外な「景色」が見えてくる。大谷臣史が上梓した新刊『Statues in the Netherlands』はオランダ各地に点在する銅像を撮影・集成した写真集だが、それは単なるタイポロジーではない。卓越した撮影と編集の技術が炙り出すのは、銅像の裏に潜む「オランダの二面性」である。日本で陶芸を修業した後、オランダのリートフェルト・アカデミーで写真を学んだ異色の経歴を持つ写真家・大谷臣史。Unseenを始め数々のアワードで国際的に評価される彼が、異彩を放つ最新の写真集について語った。
インタヴュー・構成=若山満大
写真=高木康行
―まず始めに、今回の写真集制作にいたった経緯について教えてください。
この写真集のきっかけになったのは、オランダ外務省からのコミッションワークでした。2016年、オランダはEU理事会の議長国、つまりホスト役になりました。そこで各国の閣僚が集うメイン会議場を、オランダの歴史をつくった偉人たちの肖像で飾ろうという計画が持ち上がりました。各部屋ごとにテーマが決まっていて、ある部屋にはヴィヴィアン・サッセンのような著名な写真家の作品があり、またある部屋には歴代の国王や政治家の肖像画があるというような設えでした。僕が任されたのは、銅像でしか肖像が残っていない偉人たちの「ポートレイト」でした。
この写真集の前に「parabolic duties」という駐在員の自宅を撮影したシリーズを発表しました。駐在員さんって忙しいので基本的に自宅にいないんですよね。だから自宅はもぬけの殻みたいな状態なんですが、そのかわりオフィスにはいろんな私物があってすごく賑やかなんです。このシリーズをとある外務省の方が面白がってくれて、銅像の撮影依頼が来たというわけです。ただ銅像を撮るだけじゃなく「parabolic duties」のように、ある種の批評性やユーモアを持った「状況」を写真にしてほしいというオファーでした。
このとき25体の銅像を撮影したんですが、この仕事が評価されて出版の話が持ち上がりました。それでEU理事会での展示のあと、美術史家を始めとしたブレーンの協力を得ながら、追加で60体の銅像を撮影しました。今回の写真集にはそのうち46体の写真が収録されています。
―この写真集の面白さは、銅像を取り巻く状況の多様性や意外性でした。雑然と自転車やバイクが並ぶ街中にどんと設置された像もあれば、帽子を被せられた像もあります。どうしてこうなったかはわからないけど、たしかに人や街が銅像と関わっている痕跡がある。静物としての銅像と、それを取り巻くアクティブな人の動きが対比的で面白いですね。
異邦人である僕らはそういう見方をしますが、銅像にまつわる文脈を知っているオランダ人はまた違った楽しみ方をするでしょうね。例えば、バイク置き場の横にあるこの銅像は、アンドレ・ハーゼスの像です。彼はオランダの国民的歌手で、下町のヒーローみたいな存在でした。ですから彼の銅像は、ワーキングクラスが多く住むデ・パイプ地区に建てられました。遺族やファンがお金を出し合って建てたのですが、途中お金が思ったほど集まらなかったので、止むを得ず当初の3/4スケールのものを中国に発注したというエピソードがあります(笑)。デ・パイプ地区の中でも一番雑然とした場所に、小ぶりな本人よりもさらに小ぶりな像が唐突に置かれているのですが、これはこれでアンドレ・ハーゼスという人物をよく表現していると思いますね。
―顕彰というにはやや残念な感じもありますが、こういう「おおざっぱな愛情」が生前の彼にも注がれていたことは想像できますね。像を建てた人々が必ずしも意図しなかった「関係性」や「ストーリー」が浮き彫りになっていて興味深いです。
オシップ・ザツキンが作った戦災復興記念の像「De Verwoeste Stad」にも、特有の文脈があります。これはオランダでも最も重要な銅像のひとつといわれていて、第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃で荒廃したロッテルダムに建てられています。しかし、侵略の教訓や復興の困難を象徴する記念碑であるにもかかわらず、市街地の端のうらぶれた場所にぽつんとあるんですよ。人も通らない場所にこんな大事な像を置くなんて、と憤慨するオランダ人もいるそうです。ディレクターからは「そういうところ」を写真に収めてほしいといわれました。つまり、この像自体が持つアクチュアルな批評性を写真で表現してほしいということですね。それは往々にして社会におけるネガティブな要素をあぶり出しますが、むしろ問題や矛盾を引き出すような写真を積極的に撮ってほしいと依頼されました。
もうひとつ「銅像だけど『人』として撮ってほしい」というのもオファーのポイントでした。オランダはレンブラント以降「ポートレイトの国」という意識が強いですから、ライティングや表情には厳しいんですよ。さいわい僕はポートレイト専門の写真家の弟子だったこともあり、相手が銅像でも正しいポートレイトライティングで撮りましたね(笑)。
―周囲は曇っているのに、被写体だけ妙に明るいことに違和感を覚えました。撮影はどのような手順で行われたのでしょうか?
まずはリサーチをします。その銅像が過去にどのように撮られたのか。とはいえ、銅像写真の事例なんてそうそうあるものではないんですが。それでも数少ない事例を参考にしながら、どうやったら銅像の個性が出るか、従来の写真と差別化できるかを考えます。それはつまり、ライティングをいかに工夫できるか考えるということです。
ここで問題になるのは、オランダ特有の気候です。とにかく風が強い。雨も降ります。そんな環境なので、スタジオライティングを野外に設営することは難しい。どうしようかと悩んでいたときに、土門拳の『古寺巡礼』を見たんです。彼は仏像を撮るとき「ノミで像の表面を削るようにフラッシュを焚いていった」という旨のことを書いているんですが、これは今回の撮影にも応用できるなと。一人で最大限の効果を上げるために考えたのが、リモートで焚けるストロボ二灯を自分で持って像を周囲から照らしつつ撮影するという方法でした。20カットぐらい撮って、それをデジタルマニピュレーションで合成します。写り込んだ自分自身含め、人の往来もデスクトップ上で消去しています。
―写真集の中で「オラニエ公ヴィレム」の写真が二回登場するのはどうしてなんでしょうか?
オラニエ公ヴィレムはオランダの初代国王です。彼の銅像は二種類あって、これにまつわるエピソードがオランダらしくて面白いんですよ。一体目のヴィレム像は宮殿の前にあります。ロイヤルファミリーが施主になり、1845年に建てられました。国祖らしい威厳のある像なのですが、当時の民衆はこれが気に入らなかったらしいんですね。なので、300メートルくらい離れたところに「自分たちがイメージするヴィレム」の像を建てちゃったんですよ(笑)。この二体目のヴィレム像が建ったのが1848年、一体目が建った3年後です。
オランダは1980年代くらいまで、街中に無許可で銅像を建てても良かったそうです。一般市民がパブリックな土地を買い上げて、自分たちでお金を出し合って銅像を造る文化があったんですね。右翼の一派が銅像を建てたら、左翼の一派がその隣に銅像を建てた。当座のお金が無いからとりあえず鉄で像を作って、あとから銅っぽく調色した。本当は実在しない人物なんだけど銅像を建ててしまった。そういうエピソードはいっぱい残っています。
―そのときそのときにくだされた民衆の場当たり的な判断がエピソードになり、結果として銅像の個性を作り出していますね。銅像がオランダ社会と密接に結びついていることに、あらためて気付かされます。銅像は権威の象徴であるとともに、民意をヴィジブルにする「民主的なメディア」だったんだなと。
なんというか、「とりあえずやってみよう」みたいなマインドがいいですよね(笑)。像のクオリティとか時代考証の正確さなんかは、二の次三の次という感じで。それよりも、市民の声や意志を体現することに意味があるんだと思います。
―ヤン・ピーテルスゾーン・クーンの銅像にだけ「サンタ帽」が被されていたのが気になりました。
彼は軍人で、オランダ東インド会社の総督も務めた人物です。東南アジアにおけるオランダ植民地の本拠地・バタヴィアを築いた功績で評価されていますが、アンボイナ事件の虐殺を指揮したことで失脚に追い込まれた経歴も持っています。オランダの栄光に寄与しながら、同時に殺人と略奪を犯した戦争犯罪人でもあるという二面性があるんです。その銅像にサンタ帽が被せられているのは、ある種のアイロニーなんです。
―写真集を拝見して、まずタイポロジーではないことはすぐ理解できました。しかしサンタ帽を被ったクーンの銅像だけは、装飾や過剰さという意味で特に異質に感じました。
実際、僕も現場で困りました。サンタ帽を被らせたまま撮っていいのかと。ただ、銅像の状況を写真でとらえるというディレクションもあったので、ひとまずそのまま撮りました。それをディレクターに見せたら大絶賛されて(笑)。彼の中ではこれが一番のお気に入りだそうですが、それはつまり、この像が歴史におけるオランダの二面性や、オランダ社会の多様性をよく表しているということなんだと思います。
―非常にクリティカルな編集ディレクションだと思います。国家がプロデュースする事業でありながら、必ずしも歴史を肯定するわけではないんですね。国としての寛容さが、多様な意見が生まれる土壌になっているのでしょうか?
はい、寛容さと旺盛な批判精神は裏表の関係にあると思いますね。国家主導で銅像を撮るとなったら、ともすると単なるナショナリスティックな事業になりかねません。そういう事態に陥らないのが、民主制を深く内面化したオランダのいいところです。そもそも、何でこの仕事が日本人の僕に来るのかも、普通は疑問に思いますよね(笑)。でも、そんなことは関係ないんですよ。彼らが気にするのは仕事のクオリティだけです。それは歴史的に見てもやはりそうです。例えば、ドイツ人医師のシーボルトは長崎の出島で「オランダの外交官」を務めました。能力があって実務を遂行できるならば、人種や肩書きは問わないという徹底した合理主義があるということですね。今回の話が僕のところに来たのも、これまでの僕の仕事がこの事業に適切だと判断されたからだと思います。
―最後に、大谷さんが選ぶ「この写真集を象徴する一枚」を教えてください。
ヴィム・カンとコリー・フォンクの像ですね。ふたりは夫婦であり、戦後のキャバレーを舞台に人気を博したコメディアンでもありました。この像がある場所は普段は何もないところなんですが、冬になると移動式のスケートリンクができるんですよね。当然、像は動かせないので、これをよけるように冷却パイプを這わせます。つまり、冷却パイプがテーラーメイド化されてるんですよね(笑)
―面白いですね。一見すると「なんだかよくわからい風景」なんですが、写真に収めて客観的に眺めることで、そこに重なった思惑をひとつひとつ見つめることができます。
誰が、何のためにそうしたのかわからない風景というのは、やはりおもしろいですよ。でも、単なる滑稽なものとして見るのではなくて、そこに重なってる思惑のレイヤーをひとつひとつ見ていくことに意味があると思うんですよね。そういう意味で、この冷却パイプの「気を使っている感」は象徴的です。つまり、像が建っている風景の現状を肯定しつつ、否定しなければいけないという矛盾した感情がせめぎあっている。そういう微妙な葛藤の存在を示唆するには、写真それ自体はもちろん、編集の手腕が問われます。その点この写真集を作るにあたって、優れたディレクターやエディター、デザイナーと仕事ができたことは幸いでした。各々の意見や視点が折り重なった写真集になったと思いますね。
タイトル | 『Statues in the Netherlands(Standbeelden in Nederland)』 |
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出版 | VISSCH+STAM |
価格 | €250.00 |
発行年 | 2018年 |
仕様 | 320mm×400mm/106ページ/限定50部/オリジナルプリント付き |
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大谷臣史|Shinji Otan
写真家。1972年滋賀県生まれ。アムステルダム在住。日本での陶芸作家活動ののちオランダにわたる。 2007年ヘリット・リートフェルトアカデミー写真科卒業。Epson Art Photo Award(ドイツ)、Steenbergen Stipendium(オランダ)、Raymond Weil Photo Award(スイス)などの入賞歴を経て、2012年 第1回 Unseen Unpublished Dummy Award(オランダ)グランプリを受賞、デビュー作 「The Country of the Rising Sun」を出版。2015年からはオランダ人写真家Johan NieuwenhuizeとのデュオプロジェクトOtani Nieuwenhuize名義でも活動を始める。G/P gallery, Gallery 916、POST(東京)、太宰府天満宮宝物殿(福岡)、Ibasho(ベルギー)を含む個展、オランダ写真美術館、Foamアムステルダム写真美術館を含む多くのグループ展に参加。
http://shinjiotani.com/
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