Interview
Kenshu Shintsubo

私と愛機 vol.3 新津保建秀〜旬のフォトグラファーとカメラの関係〜
センサーとソフトウェアの集合体としてのデジタル機器をどうとらえるか

24 October 2019

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新津保建秀インタヴュー「センサーとソフトウェアの集合体としてのデジタル機器をどうとらえるか」 | 新津保建秀

ポートレイトやランドスケープを独自の視点で表現するだけでなく、建築、電子音楽、複雑系科学、情報デザインなど、さまざまな領域との恊働しながら多くのプロジェクトを手掛けている新津保建秀。時代とともに変容する写真のリアリティを探る彼に、現在のカメラがもたらすイメージの変化とその認識の関係を聞いた。

文=小林英治
写真=清水はるみ

ミラーレスとライカレンズ

―仕事でデジタルカメラを使用するようになったのはいつ頃からでしょうか。

それまで仕事でPhaseOneなどを使っていたのですが、2008年ごろ、音楽家の渋谷慶一郎さんからピアノによるアルバムをDSDレコーディングする様子をドキュメントして欲しいと言われたときからデジタルカメラの使用頻度が多くなりました。その撮影ではフィルムや中判のデジタルカメラで撮るのはと難しいなと思ったので、キャノンのEOS5Dを購入しました。また、ちょうど同時期に彼からソニーの方の紹介を受けて当時のデモ機を貸してもらいました。それ以降、もともと持っていたハッセルやコンタックスのマニュアルフォーカスのレンズに変換リングをかませて複数のメーカーのデジタルカメラを併用しています。

―今日お持ちいただいたのはソニーのミラーレスカメラα7Rです。

これは出たのが2014年ぐらいでしたでしょうか?(2013年11月発売)。地方にロケハンとか撮影に行くとき、プリズムファインダーのボディだと重いので軽いものがあるといいだろうなと思ってこれを購入しました。レンズは純正ではなくて、変換リングをつけてライカレンズを使っています。

ソニー ミラーレスカメラα7R

―このレンズはライカなんですね。

数年前に亡くなった義父は新聞記者だったのですが、趣味でフィルムカメラをたくさん持っていたんですよ。それで、「使うといいよ」と、生前コンタックスのレンズやライカを譲り受けた中のひとつがこのレンズです。ライカのレンズは28mm、35mm、90mmと他に4本くらいあるのですけど、常用しているのはこの50mmです。このセットで手に持ったときの軽い感じが好きで、しっくりきています。あと、レンズには個体差があるので、自分が一期一会で巡りあったレンズが、ほかにない味を出すんですよね。

―実際の作品を見せていただけますか?

はい。この7Rとライカレンズのセットで、渋谷さんや池上(高志)さん、石黒(浩)さんたちのチームが製作したアンドロイドを、試作段階にあった2016年に撮りました。このアンドロイドは、昨年上演されたオペラ作品『Scary Beauty』のために作られたものです。この時は人間でもなく機械でもない、その中間の存在のポートレートを撮ってみようと思ったんです。あと、これは『美術手帖』でのバルテュスの特集のために、オマージュ作品の依頼されたときに撮影したものです。ほかにも、「目[mé]」という現代アートチームが資生堂ギャラリーで個展をやったときの記録や、子供の頃に住んでいた町に行って撮った風景写真。これらもすべて同じボディとレンズのセットです。三脚に据えて撮ると結構ビシッと撮れますよ。

《Portrait_ALTER》(2016)

「目[mé]」(2014)

《Garden》(2015)

《Epiphany》(2014)

―カメラを使い分ける際のポイントは何ですか?

ボディの操作感もさることながら、アナログカメラで、フィルムを変えるような感覚で、各社のセンサーと画像生成エンジンがもつ個性の違いで使い分けています。カメラというより、フィルムを何にしようかな?という感覚に近い。あとは使い慣れたマニュアルフォーカスのレンズと機材の組み合わせによって生まれるリズムです。手に馴染んだレンズとの相性で(カメラを)選んでいるところがあります。最近はPanasonicのボディと自分が持っているライカレンズの組み合わせが気に入っています。

―例えばこのアンドロイドの場合はどうして7Rを選んだんですか?

7Rの絵は、自分のレンズと組み合わせるとデジタル的でのっぺりした印象になります。余分な癖と情感がないので、客観的に記録撮影をしたいときに使います。この「目[mé]」も展覧会の様子を撮影した時は、純正レンズで撮るとシャープすぎるという感じがしたのでこのセットで撮りました。デジタルカメラの画像に、使い慣れた古いライカのレンズによって生まれる身体性と不安定な偶然性を少しだけ取り込んでいる感じです。


デジタル時代のリアリティ

デジタルカメラって、フィルムのカメラとちょっと違うというか、外見はカメラなんですけど、もっとソフトウェアとかセンサーの集合体のような気がします。だから、どこまでいっても、仮住まいというか、あんまり思い入れが出てこない感じです。「カメラ」と言ってはいるけど、フィルムカメラのときとは別の、カメラ自体を含んだ情報環境の中で人間が使われてるような気もします。それがどんどん過激になってきてるのが、いまなのではないでしょうか。

―若い写真家たちにフィルムで撮る人が増えているのも、その反動なんでしょうか。

ちょっと違うリアリティに回帰したいっていうのがあるかもしれないですね。今年のはじめ、アシスタント希望の学生がフィルムをデジタルスキャンして制作した作品を見せてくれました。1995年に生まれたという彼の場合、親が撮影した子供の頃の自分の姿はフィルムによる写真で、ある時期を境に、親がデジカメを入手してから家族写真がデジタル写真になったことで、子供の頃の記憶と自己像はフィルムの風合いと、思春期以降はデジタルの画像と結びついているというようなことを話に実感がこもっていて面白かったです。さまざまな世代で「写真」や「画像」というものの今日的な在り方や意味を探っているのだと思いました。

ソニー ミラーレスカメラα7R

―フィルムカメラの方が愛着度は高かったですか?

写真を始めたとき、フィルムカメラは鉛筆や筆を使うみたいに、自分が観察したものを手の延長として、フィルムや印画紙上に像を定着していくような感覚があったけど、デジタルカメラはもっと別のアクセスできないブラックボックスという感じがする。そもそも電気ないとまったく動かないし(笑)。でも、使い込んだマニュアルフォーカスのレンズとボディの組み合わせによって生まれる操作感にはとても愛着はありますよ。

―デジタルで撮った写真には、いわゆる味みたいなものは一切ないですか?

いや、デジタル特有の「味」っていうのはあると思います。それが何なのかなと考えていますが、長時間デジタル画像と戯れていると分かってきます。ある時期、複数の知人から、JPGやTIFF、あるいはRAWとPNGデータを操作するときに体感する質感の違いについての話題が出ることが多かったのですが、これも「味」のひとつかもしれない。それが写真以外の専門性をもつ人たちから話題に上がったことが面白いと思いました。

―その感覚は世代や人によって差があるような気がします。リアリティの違いというか。

そうですね。先日、磯光雄さんのアニメ作品「電脳コイル」を12年ぶりに見たのですが、作中で描かれる日常の中でメガネ型の情報端末を使う近未来の日本の子供達の描き方が素晴らしかった。 そして自分の横でそれを一緒に見ている娘がどのように身の回りの世界を捉えているのかを考えました。娘はいま10歳なのですが、初代のiPhoneが2007年発表だから、生まれたときから情報端末が身近にあります。ゲームをしていて大事なスコアが取れた時、スマホの画面をスクリーンショットするときも、「写真を撮る」と言うんですよ。彼女にとって、スマホやタブレットの画面に映るものは全部地続きで、それは自分が10歳の頃にはなかった実感ですね。最近は、スマホの中にある父親が撮った自分の幼いころの写真をよく見返し、スクリーン上で触りながら、自分がしっくり来るようにアプリを使ってものの数秒で画面の一部分を動画化したりしています。いまの子供、って一般化はできないかもしれないけど、自分の娘を見ていると、現在目の前にある風景も、他者が作った画像も、あるいはゲームとかの風景も、はたまた父親が撮った自分の過去の姿も一緒のレベルにある。それらを引っ張り出してものの数秒で加工してできた像、それは僕自身では絶対にやらない色調だったりするんだけど、そこに10歳なりの、学校の作文や図画の作品に出てこないものの見方が表れているようで新鮮でした。リアリティというのはその時代の機器と密接に関係しているのだなと、と思います。

新津保建秀

新津保建秀|Kenshu Shintsubo
1968年東京都生まれ。写真・映像・ドローイングなどによる制作を行う。主な展覧会に「北アルプス国際芸術祭」(大町市、長野、2017)、「Object manipulation」(statements、東京、2017)、「文化庁メディア芸術祭 海外メディア芸術祭等参加事業 シンガポール企画展「Landscapes: New vision through multiple windows」(Japan Creative Centre、シンガポール、2017)「カメラのみぞ知る “The Camera Knows Everything”」(タリオンギャラリー、東京、2015)など。