2 June 2021

写真を撮る意味とは?
日本のTVに影響された内モンゴル出身の若手
Ryu Ikaインタヴュー

【IMA Vol.35特集】

2 June 2021

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写真を撮る意味とは?日本のTVに影響された内モンゴル出身の若手Ryu Ikaインタヴュー【IMA Vol.35特集】 | 写真を撮る意味とは?日本のTVに影響された内モンゴル出身の若手Ryu Ikaインタヴュー

『IMA』Vol.35 関連記事の第5弾は、IMA ONLINEのみで紹介する中国内モンゴル自治区出身の写真家・Ryu Ikaのインタヴュー。イメージに自分が参加した証拠として演出や操作を行い、禍々しさを充満させるRyuの作品は、強烈なインパクトを見る者にもたらす。「写真とは何か」を常に問いかけ、「現実に対してただシャッターを押しただけの写真は作品といえない」と話す、Ryuが目指す作品制作とは何かに迫る。

文=村上由鶴
写真=ソンジン

―中国・内モンゴル自治区出身のRyuさんは、来日されてから写真を始められたということですが、そもそもの来日のきっかけから教えて下さい。

内モンゴルでは日本のテレビばかり見ていて、テレビの中で生きているような感じだったので、最初はテレビ局で働きたいと思って日本に来ました。武蔵野美術大学の映像学科に入ったのですが、まだ日本語もよくわからない状態だったので、すべての授業がグループワークなのに、しばらくは先生も同じグループの人も何をいっているのかわからないような状態でした。日本に来た目的は、モニターで見て、憧れていた日本で生きる人とコミュニケーションを取りたかったからだったのですが、それが当時は全然できなくてとても悩みました。

―ちなみにどんな番組を見ていたんですか?

バラエティ番組だと『堂本兄弟』(2001〜2014年)、『ロンドンハーツ』(1999年〜)などです。なので、日本人はすごく明るくて面白い、リアクションの早い人たちなんだという印象がありました。でも実際に日本に来たら、全く違っていて(笑)。ドラマだと『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)などの宮藤官九郎の作品、野島伸司の作品、あとは『ロングラブレター漂流教室』(2002年)はよく覚えていて、自分の作品はこれらのドラマからも多少なりとも影響を受けていると思います。

―数ある映像表現の中で、写真を選んだきっかけは何だったのでしょう?

人とどうやって話すのかがわからなかったので、初めは暗室の暗がりの中に自分を隠せるのが心地よかったです。その頃に先生が勧めてくれた内藤正敏『婆バクハツ!』や志賀理江子『螺旋海岸』(赤々舎、2013年)を見たら、分厚い本なのにテキストがほとんどない。でも言葉で伝わるのではなくて、写真が話しているような感じがして、「これだ、これだ、これがコミュニケーションだ!」と思いました。感情がとても伝わってきたので、自分もやってみようと思って写真を始めました。シャッターを押す行為と、パンチともいえるストロボの光を浴びた人のリアクションが、そのコミュニケーションだと認識していました。

Ryu Ika


―Ryuさんは志賀理江子や内藤正敏のほかに、森山大道などの名前も挙げられていましたが、そうした作家のどこに惹かれたのでしょうか。

その人たちの写真からは、何かを破ってみようとする感覚を感じました。きれいだな、美しいなと思う写真ってあると思うんですけど、内藤さんの写真を見ると、やられた感じがする。その「やられた感」というか、観ている側が優位になれない感じが好きかもしれません。

―まさにRyuさんの撮っている写真も、いま名前が上がった作家にも似た攻撃性があると思います。

ただ現実を撮るだけ、というのは苦手です。例えば、ヴォルフガング・ティルマンスが「美しい芝生があったらそこに寝そべればいい。何で撮るの?」といっているように、私も現実はもうそこに存在していると思っています。写真を含むすべての映像作品をやる意味は、現実だけではなく現実をベースにして、何かを「作る」ことが大事だと思っています。「作品」というものの意味がそこにあるんじゃないか、と。

―撮影しただけでは作品とはいえないとのことですが、現在、制作のプロセスで一番大事にしているのはどの段階でしょうか?

どこが大事か、というより、どのプロセスになると作品といえるか?と考えると、写真を撮る段階は自分にとっては素材集めでしかありません。パソコンに取り込んだ生のデータを見てもいい作品だとは思いません。スーパーに行って肉や野菜をたくさん買ってきて、それを冷蔵庫に入れて見ている感じに近いですね。素材を見て、これからどういう料理を作ろうかな?と模索している感覚です。その素材を洗って切って鍋に入れて、味付けをするところが、パソコン上での編集。展示は盛り付けのようなものです。お皿に載せて、盛り付けして、ダイニングテーブルに載せる、というところでようやく作品になると思います。

『a part of you/me vol.2』

『a part of you/me vol.2』

『a part of you/me vol.2』


―料理の喩えはとてもおもしろいですね! Ryuさんが味付けと位置づけている画像の編集も、作家としてのこだわりが見える部分だと思います。

例えば、ZINE『a part of you/me vol.2』(私家版、2020年)では、顔を撮影したすべての写真の一番下のレイヤーに、自分の顔写真を入れています。全くわからないと思いますが。こうしようと思ったのは、日々、「なぜ、こんなにたくさん撮っているのか?」、「なぜこれを撮っているのか?」と思いながら写真を撮っていて、「でも、こんなにいっぱい撮っているのには絶対理由がある!」と感じたからです。理由はわからないけど、私が撮ったものにはすべて、私の一部が入っているから、私と何かの重なりみたいだと思って、自分の顔写真を使いました。写真を撮っていると自分はそこにいるのに、カメラのこっち側にいるから写らない。でも、そこにいることは事実という意味で、自分の顔に写真を重ねる感覚に共通性を感じています。

―つまり、撮影はコミュニケーションであり素材集めということでしょうか。

写真を始めたばかりで、写真を通してコミュニケーションしようとしていた頃は「素材集め」という感覚はなかったです。いまは、撮影後の未整理のデータが3TBもあるのですが、最初はそうではなくて、冷蔵庫がいらないくらい撮った一枚ずつを大事にしていました。当時は、写真に写っているものすべてに意味があると考えていました。

―写真を始めた頃といまでは、どのような変化があったのでしょうか?

単純に撮影した写真の量もあると思いますが、最近では、写真をただのデータのかたまりとして外から見ることで、「写真とは何なのか?」ということを考えたいと思っています。展覧会「The second seeing/第二の観察」(ガーディアン・ガーデン、2020年)では、観た人に、「私が見ていること」や「他者から見られているということ」を伝えたいと考えるようになりましたね。

『The second seeing』

『The second seeing』

『The second seeing』

『The second seeing』

『The second seeing』


―写真集『The second seeing』(赤々舎、2021年)でも、顔の写真が印象的な使われ方をしています。顔を撮ることについて考えていることはありますか。

私から見ると、この世の中の人は常に全員何かの役割をパフォーマンスしているように見えます。このインタヴューの場でさえもそうですね。だから人物が何か動きを行っていたり、感情を見せたりするような写真は、何かの役を演じている人を写している感覚です。一方で、自分が撮った被写体がまっすぐレンズを見ている写真を見ると、私には、その一瞬だけその人が何も演じていないように見える。映画『トゥルーマン・ショー』(1998年)で、主人公はそこにカメラがあることを知りませんよね。カメラを見る瞬間には、その役者が役者ではなくなる瞬間のように感じます。だから、ガーディアン・ガーデンでの「The second seeing」の展示の前までは、作品の中に舞台のような偽物の世界を作ってきたので、役者じゃない人を舞台には乗せられないと思ってカメラ目線のポートレートは一切使えませんでした。

「The second seeing」の展示の様子

「The second seeing」の展示の様子


でも、この展示のときに舞台から一歩引いて、劇場を作ろうという考えになりました。劇場は、舞台もあるし客席もあります。舞台の場合は、強いスポットライトが当てられて華やかですよね。しかも、みんなちゃんとパフォーマンスしている。でも劇場の中には、スポットライトが当たっていない部分があるし、舞台の裏もあるし、客席に座って舞台を見ている人もいます。なので、顔の写真はただ舞台を見ている、演じていない人たちとして置いています。演じてないということは演じている人を見ている存在になるので、写真集や展覧会を見る人を見返す。そういう意味を込めて、初めてカメラ目線のポートレイトを使用しました。顔の写真でも被写体の人のアイデンティティではなく、「見る」という行為を示したいと思っています。「見られている」ストレスや威圧感を作りたいという気持ちがありますね。

―Ryuさんが先程名前を挙げられたのは写真家の方が多かったと思います。一般に、写真家や、アーティストといった肩書きがありますが、ご自身では自分をどのように位置づけていますか。

「写真家」と「アーティスト」の違いって日本では特に区別されていますよね。「写真家」って日本語にしかないジャンルだと思うんです。英訳だと「写真家」は「フォトグラファー」と訳されますが、ヨーロッパに行くと日本人写真家の方々が「アーティスト」と呼ばれることが多く、「フォトグラファー」はもっと広告や商業寄りの感覚になります。私は日本ではもちろん写真家に当てはまると思いますが、英語に訳す場合は、フォトグラファーではなく「写真を使って作品を作る人」の方が正しいんじゃないかと感じています。

Ryu Ika


―今後の展望を教えて下さい。

自分のいままでの作品の場合、写真の内容ではなく「写真って何なのか?」ということは、説明しないと伝わりにくいですよね。写真を境界として自分の脳内のことを現実にどのようにつなぐのかに挑戦していきたいです。現実から素材としたイメージを借りてきて組み替えることによって、一枚の中で「写真とは何か?」ということがいえたらいいなと思います。

Ryu Ika

リュウ・イカ|Ryu Ika
中国・内モンゴル自治区出身。第21回写真「1_WALL」でグランプリを受賞し、2021年3月には赤々舎より『The Second Seeing』を、Newfaveより『Mémos』2冊の写真集を同時刊行。6月に心斎橋PARCOで個展を予定。写真家集団Culture Centreのメンバーとしても活動。
https://www.instagram.com/ikaspart/?hl=ja

  • IMA 2021 Spring/Summer Vol.35

    IMA 2021 Spring/Summer Vol.35

    特集:ミレニアルズからZ世代へ 写真家たちの未来

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