写真家のみならず、多くのクリエイターを魅了するブランド・ライカ。放送作家・脚本家の小山薫堂さんもライカ沼に足を突っ込んだ一人だ。小学生の頃から写真にハマり、いまでは東京と京都のライカギャラリーにて個展を開くほどの腕前に。日頃愛用のライカ片手に、常にシャッターチャンスを探しているという。なぜライカで撮るのか?そして写真を撮る理由とは?
文=小林英治
撮影=小山和淳
ライカM7から浸かり始めたライカの沼
―ライカを初めて手にしたのはいつですか?
90年代ですね。ライカというブランドに憧れがあって、銀座のカメラ店・レモン社に見に行ったことがあったんです。ただ、ライカM6だったと思うんですけど、持ったときに重くて使いにくそうだったのと、やっぱり高価なこともあって、そのときは購入しなかったんです。
でも、そうしたらミニルックス(1995年)が出て、これならコンパクトカメラだけど「ライカ」というブランドがついていてカッコいいなと。だから、最初はミーハー心から買った感じですね。それを雑誌の連載でも使っていました。
―でも、そのあとマニュアルの機種が欲しくなるわけですね。
そうです。当時一緒に仕事をしていたプロデューサーが、バルナック型のライカを買ったということで、見せてくれたんですよね。触ったらすごく良くて、しかもそんなに高くないというので、「じゃあ、程度の良いものがあったら僕も買います」と言って探してもらってⅢfを買いました。
それでよく撮っていたんですけど、フィルムを入れるのが面倒くさかったり、確かにきれいに写るんだけど、露出を測るのが面倒くさかったりして、やっぱりM型が欲しいなと思っているときに、ラジオ番組のゲストにハービー・山口さんが来て、M6を見せてもらったんです。
そうしたら「もうすぐM7が出るらしい」という話になって、ライカM7(2002年)が出るのを待って買いました。ハービーさんに見せびらかしたら、「うわ、悔しい」といわれて(笑)。それが、ライカ沼にハマるきっかけになりました。
―今日は、愛用のライカをたくさんお持ちいただきました。
右からライカM7、ライカMPのエルメスエディション、世界に一つしかないライカM(Typ-240)くまモン特別仕様、ライカM10、ライカM10-D。
M7の次に、エルメスエディションのライカMPを買いました(2003年/世界限定500台)。これは、モーターショーの仕事でドイツに行ったときに、フラッと入ったカメラ屋さんで見つけて、現地で買ったんです。
でも、結局使うのはM7ばかりで、もう一生これを使えばいいやと思っていたら、ライカM8(2006年)が出てデジタルになったので買ったんですよね。それでM8を使っているうちに、ライカM9(2009年)が出て、やっぱ最新のM9だろうとまた買って(笑)。
そしたら次に、ライカM(Typ-240)(2013年)が出て、動画も撮れるということで、やっぱり動画だよなって(笑)。しかもこれは世界で一台しかない「くまモン」とコラボしたライカMなんです。くまモンがライカの本社に行って展示用に作ってもらったのを、買い取りました。
―完全に沼にハマりましたね。
ただやっぱり、デジタルになったMって分厚いじゃないですか。そしたら、M10で薄くなるというので、ライカM10(2017年)を買ったんですよ。このM10は今も使うんですけど、そのうちに液晶モニターがないライカM10-D(2018年)が欲しくなって、また買いました。
いま、M10は、すぐ確認する必要がある雑誌の仕事で使っていますけど、プライベートではほとんどM10-Dです。
―モニターがないと撮り方が変わりますか?
やっぱりモニターがあると絶対に見てしまうじゃないですか。その点、ついていないM10-Dだと気にしなくていいですし、昔のフィルムの時代にあった現像するときのワクワク感があるんですよね。
一瞬一瞬のシャッターに対する熱量もこっちの方があるというか、祈りにも似た気持ちで押してしまうような気がするんです。モニターがついていると、失敗してもいいという隙や油断が生まれてしまう気がします。
―デジタルだけどフィルムの感覚で撮れるのが魅力だと。
あと、このレバー(サムレスト)がいいですね。最初は指を引っかけるだけの飾りで、「なんでこんな偽物みたいの作ったんだ?」って思ったんですけど、使いはじめると、ホールドが格段にアップして、すごく使いやすかった。
―レンズにもこだわりがありますか?
いまはズマロンの28mmをつけて持ち歩くことが一番多いですね。最近よく使うのは、アポズミクロンの50mm。あと、一番最近ノクティルックスのF1.2という超明るいレンズを買いました。これは、例えばディナーに行ったとき、レストランの照明で撮ると、最高にカッコいいんですよ。開放F値が1.2だからピントをどこで合わせるかが難しいんですけど、画のきれいさではダントツですね。
街の中に物語を探すようになった
―撮影するシーンとしてはどういうときが多いですか?
街中でのスナップと、あと人ですね。一緒に会食をした人やお店の店主の方を撮って、あとでプリントして送ってあげることも多いです。例えば、これはイタリア・ミラノのレストランのシェフなんですけど、彼がまたカッコいいんですよね(笑)。これもプリントして本人に送ってあげました。
小山氏がミラノで撮った、モデルのような佇まいのシェフ。© Kundo Koyama
―そういうコミュニケーションを含めてお好きなんですね。
そうですね。喜んでくれるとこっちも嬉しくなりますし。これはライカに限ったことではないですが、写真というのは思い出のブックマークみたいなもので、一枚の写真によって、そのときの時間に瞬時に飛んで、忘れていた記憶が、その前後の時間もあわせて思い出したりするっていうことありますよね?写真は人生のブックマークであるなと本当に思います。
―素敵な表現です。ご自身でも写真を飾っていますか?
はい。購入した作品としては、唯一エリオット・アーウィットの『Hands』というシリーズを一点持っているだけなんですけど、それ以外は、全部自分で撮影したものをプリントして事務所に飾っています。同じ額装にして、アーウィットの作品と混ぜているので、事務所に来た人に「この中でどれがいいと思う?」って聞いて、自分の写真が選ばれたときには、エリオット・アーウィットに勝ったみたいな(笑)。
エリオット・アーウィットの『Hands』はスマホの待ち受け画面にも設定。
―具体的に作品をいくつか拝見させてください。
小山のとっておきの作品。ドキュメンタリーのような強さを感じさせるエスカレーターの少年をとらえた一葉。© Kundo Koyama
これは、MacBookの待ち受けにしているんですけど、ロンドンかどこかでエスカレーターで、すごく切なそうな顔をしている男の子がいたんで、すれ違う瞬間にノーファインダーで撮りました。
―ちょっと「決定的瞬間」のような一葉ですね!ライカを日常的に持ち歩くことで、変わったり身についたりした習慣はありますか?
そうですね、街の中に物語を探したいという思いが増えたかもしれないです。やっぱり、日常の中に作品を探すような気分で撮りますから。これはLAだったと思うんですけど、この灯りが立ち並ぶライトアップされた雰囲気がきれいだなと思って撮り行ったんです。そしたら1組のカップルが偶然そこにいたので、「写真を撮るから、そこで立ってて」といってカメラを構えたら、自然と二人が踊り出したんですよ。
―なんと、『ラ・ラ・ランド』みたいですね!
映画の1シーンのようなLAでの一葉。© Kundo Koyama
「二人は仕込みのモデルでしょ」っていわれるんですけど、全然そうじゃなくて。だから、さっきのエスカレーターの少年もそうですけど、被写体と撮る側の息が合った瞬間みたいな、そういう瞬間をとらえた写真が好きですね。
―モノクロがお好きですか?
そうですね、へたくそでもモノクロで撮ると雰囲気が出るから(笑)。フィルムの時も基本的にモノクロだったんですよ。いつも、六本木の芋洗坂にあった現像専門所のおじいさんに現像してもらっていて、でもその人は最初ベタ焼きしか焼いてくれなくて、その中でプリントしていいっていうカットにだけベタ焼きに丸がついて返ってくるんです。
―あ、すでにセレクトされて返ってくるんですね。
すごい上から目線なんですけど(笑)。でも丸がたくさんついているときは、良い通信簿をもらった気分になって嬉しくて。だから、ある意味で僕の写真の先生は、現像をしてくれていたその職人さんですね。
プロダクトとしての普遍性と愛玩性
―さきほど「沼」とおっしゃいましたけど、ライカならではの魅力はどんなところにありますか?
ひとつは普遍性ということが大きなポイントとしてあると思います。個人的に長い時間に耐え得るものを好む傾向があって、自分の仕事もそういうものを作りたいと思っています。そのお手本でありお守りみたいなものがライカなような気がしますね。
―プロダクトとしての魅力には、デザイン面もありますか?
ありますね。例えば、カメラに限らず普通はデジタルに変えるときに、絶対にデザインも刷新するじゃないですか。自動車でも、電気自動車は明らかに「電気自動車」にして形を作ってくると思うんですけど、ライカのデジタルカメラはまったく未来感を出さないまま出してくるところに惚れますね。
あと、この重さというか、持ったときの感じですね。とりあえず、ずーっと触っていたくなるんです。そこに理屈はないんですよ。人には美しいものを触りたくなる本能みたいなものがあると思うんですけど、ライカを持っているとそれに近い心地よさがあるんですよね。シャッター音もそうですけど、この人の心の揺さぶり方が、プロダクトとしてすごく上手いなと思います。
―いまの薫堂さんも、触っているというより、愛でていますよね。
そう、愛でている感じ。お抹茶茶腕も好きでいくつか持っているんですけど、茶碗を触るのとライカを触ることは、通じるものがありますね。
ヤスクニさんの写真の教え
―お仕事などでご一緒する中で、影響を受けた写真家はいますか?
一番好きな写真家は、有名な方ではないですけど、飯田安国(いいだ・やすくに)さんですね。いつも飲んだくれている人なんですけど(笑)。20代の頃に雑誌の仕事でご一緒してからの縁です。
安国さんはへんてこな人で、昔は当然フィルムでしたから、仕事でどこかに行ってきたときに、ときどき現像しないフィルムをスーツケースの中に放り投げてキープしていたんですよ。何故かと聞いたら、「ワインも熟成させたら美味しくなるように、おれのへたくそな写真だって熟成させたらいい写真になるかもしれないだろ」って(笑)。
それで、その山盛りの未現像フィルムの中から何か1本現像してみよう、という企画をラジオ番組にしたことがあったんです。そしたら、タクシーの中から撮った女性の顔が写っていて、それを見た瞬間に、「思い出した!ベルリンに行ったとき、交差点の横断歩道に立っていた女性です」って、そのときの記憶が甦ったんです。
―まさに写真の「ブックマーク」性を物語るエピソードですね。
そうそう。その姿を見たときに、「ああ、写真っていいな」って改めて思ったりして。そういう写真の素晴らしさをたくさん教えてくれたのが安国さんですね。
安国さんからは海外からよく手紙が来るんですけど、ポストカードに何の意味もない言葉が書いてあるんです。「いま、僕は酔っ払ってバーにいます」みたいな。でもその風景が思い浮かぶような言葉が、へったくそな酔っぱらった字で書いてある。「ねえ、落ちるところまで落ちようか」とか(笑)。
飯田安国さんからの手紙はファイリングしてある。
事務所のスタッフも楽しみにしていて、手紙が届くと、「安国さんから来ましたー!」ってみんなで見たりしてね。そういう、人間味のある写真家で、僕の写真の心の師匠ですね。
小山薫堂|Kundo Koyama
放送作家、脚本家。1964年熊本県天草市生まれ。大学在学中に放送作家としての活動を開始し、『カノッサの屈辱』『料理の鉄人』『東京ワンダーホテル』『ニューデザインパラダイス』などヒット番組を数多く企画・構成。京都の老舗料亭「下鴨茶寮」の主人でもあり、経営者としての一面も持つ。これまでの主な作品は、『おくりびと』(脚本)、『くまモン』(プロデュース)など。2017年より京都芸術大学副学長。