22 August 2022

みうらじゅんインタヴュー
「“ない”写真の作り方」

22 August 2022

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みうらじゅんインタヴュー「“ない”写真の作り方」 | みうらじゅんインタヴュー「“ない”写真の作り方」

「ゆるキャラ」「マイブーム」「いやげもの」など、世の中に溢れる物事をユニークな感性ですくい、編集し、新たな価値観として発信してきたみうら氏。写真を用いたトークイベントやスクラップ本など、意外にも写真表現を軸に多くの作品を発表している。氏独自の哲学を伺いながら、『ない写真の作り方』に迫った。

ポートレイト撮影=竹澤航基
取材・文=橋口弘

侘び寂びの世界、とんまを撮る

―お仕事で写真を撮るようになった経緯を教えてください。

みうらじゅん

一時期、毎年のように「ザ・スライドショー」という、写真を会場で大写しにし、観客に見せるイベントをやっていたんですよ。相棒のいとうせいこうさんと一緒にね。日本全国を飛び回って何十回もやったと思います。

僕が撮り溜めたとんまな写真が大画面にパッと出た瞬間に、「なに撮ってんだよ」って一瞬にしてツッコミを入れるのがいとうさんの役なんです。そのツッコミありきで観客が、どこだどこだといって見て探し、笑うっていうプレイなんですよ。

当然写真は、おかしくないとダメなわけでね。そこに芸術のオブラートが挟まっているようでは、観客は笑わないでしょう。写真を撮るのは一般人の立場でなければならないし、自分が見た通りに写ってないと、そのおかしさは伝えられないんですよね。

ザ・スライドショーに用いた実際の写真。画像提供:みうらじゅん

ザ・スライドショーに用いた実際の写真。画像提供:みうらじゅん

―みうらさんの写真作品は、東京都写真美術館の「新進作家展vol.4(2006年)」で展示されましたね。

きっとそのとき、学芸員にとんま好きがいたんでしょ(笑)。とんまな写真でも、美術館に並んでいるとアート作品と錯覚しますから。そこがいいんですよね、笑えて。

それを武道館の大スクリーンに大映しにしたこともあったし、客を引き連れてわざわざハワイに行って、披露したりしました。やっぱとんまな写真は、ものすごく巨大に映し出されると、さらにおかしみを増すんですよね。こんなとこで、こんなものをなぜ見せられるんだっていうプレイなんで。最終的に表現する場所が、ズレてりゃズレてるほど面白い。

とんま写真ってバカ写真よりちょっと気が抜けてるもんで、それに気がつく才能が必要になってくるんです。やっぱ、分かりにくい方がいいんですよね。じわじわと気がつく。それは侘び寂びの世界でもあるんです(笑)。

―「般若心経」278文字を、屋外で撮った写真で完成させた『アウトドア般若心経』。「写経(写真経)」のアプローチは、写真史のなかでも異彩を放っています。

コンプリートするのに4年以上かかりましたねえ。

初めは駐車場にある「空あり」というやつを「あきあり」と読むんじゃなく、あえて「くうあり」と読んで、これは仏教の神髄だと自分を洗脳しました。「空なし」って看板もあってね、それは無いことが無いって書いてるわけだから、すごく深い真理が書いてあるんだろうなって。

般若心経の全文字を撮り集めるに当たり、街頭の看板で使われていない漢字が随分あることは分かってたんで、もう278文字コンプリートなんて無理だなと思ってたんですよ。そしたら、兵庫の有馬温泉へ旅行に行った晩に、夢枕に神様のような人が立って「『空』だけは撮るのに、他の文字は撮らないの?なぜなの、じゅん?」っていうんですよ。その声が井上陽水さんそっくりでね(笑)。

やはり、そこは後ろめたさを感じていたんですよね。それで翌朝から温泉の近くを巡って探したんだけど、般若心経の字って無いんですよ。探しても無いって状況に、陽水さんの声もシンクロしてきて、名曲『夢の中へ』が流れてきたんです。

“探し物はなんですか?見つけにくいものですか?”から始まって、“それより僕と踊りませんか?”ってね。そこから見方を変えたんです。必死で探すから見つからないんだって悟ったんですよ。そして無心になって街を歩き回り、最終的に全文字揃えたってわけです。

つまり真理は、『それより僕と踊りませんか?』でね。探したところにはないんですよ、欲しいものは。目的を決めないで行ったときに、たまたま見つかる。狙って行く方が、すごく無駄だってことでしたね。

「くうあり」と読む。画像提供:みうらじゅん

「くうあり」と読む。画像提供:みうらじゅん


週刊誌ペースで発表、「エロスクラップ」

―ファウンド・フォトを用いた、「エロスクラップ」はいまも進行中ですか? 

えぇ、ただいま723巻目になりました(笑)。これで死ぬまでに1000巻行く自信がついてきました。1000巻目ができたら、自分で帯をスクラップ帳に巻きたいんですよ。「千刷」って(笑)。そのためだけにやってますからね。こんな時代なので皆さんにお見せできないし、すっごく個人的なものなんですけど。自分の死後、1000冊残ってたら、その事実に人は笑うと思うんですよ。何せ42年間も続けてるわけですし。到達するかなぁって思ってましたけど、いまは週刊誌ペースで作っています(笑)。

このペースだと多分、75歳あたりで行けると思います。そのためにも健康に気をつけなきゃね。このコロナ禍ではっきりしたのは、酒よりカルピスの方が好きだってことですから。

まあ、量があると壮観なんですよね。ネタ自体を超えますよね。質より量。多作だからこその面白さです。

―そのために素材となるエロ写真もコレクションし続けていると?

そりゃ定期的に買いに行ってます。このスクラップは、単に貼ってあるんじゃなくて、見開きでストーリーを持たせてるんで。

お見せできないのが本当に残念ですけど。左にはグラビアを、右にはそれに似たエロ写真を貼って、いわゆるEJ(エロ・ジョッキー)をしているんです。スクラップブックというターンテーブルの上で、エロをミックスさせてるんですよ。そこに文字原稿も添えて、さらにストーリー性を作っていくっていう。そんなもんを1000冊目指しているわけで、やっぱどーかしてるでしょ(笑)。


みうらじゅんの原点は土門拳

―みうらさんは多彩なお仕事をされていますが、写真を撮ることが、仕事に影響を与えることはありますか?

みうらじゅん

そもそも写真を撮り始めたきっかけは、小学4年生のとき、母方の祖父の家で見せてもらった土門拳の仏像写真集なんです。そのとき既に仏像について詳しかったんですが、その写真集がかなり強烈で。東寺の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の甲冑の胸部分のドアップが、見開きでドーンと載ってるんですよ。後は釈迦如来像の衣の部分だけ、とか。まるで仏像当てクイズみたいで(笑)。

それを見たときの衝撃が当時マイブームだった怪獣映画『三大怪獣 地球最大の決戦』のオープニングとかぶってきてね。そのオープニングは、初登場した怪獣キングギドラの鱗の寄りのカットにスタッフや役者の名前が出てきて、その「何だこれは!?」という感じが土門さんの写真と同じで、ぐっと来たっていうんでしょうか。分かる人にしか分からないマニア写真を見せられた気がしたんですよ。

以来、それを真似したくてしょうがなくて、小4でカメラ「オリンパスPEN EE」を買ってもらいました。当時はそれほどお寺も厳しくなかったから、小学生だったのを良いことに仏像に可能な限り近づいて接写ばっかりしました。アップでもどの仏像か分かる自分に、またぐっと来たんです(笑)。やはりスナップを撮りたいんじゃなくて、ぐっと来るものを切り取るっていう行為が好きになったんです。

それが派生して、いまやっている仕事に繋がっている気がしますね。 

―土門拳が、みうら作品の源流なんですね。

ですね。何だかぴったりした表現が無いから「ぐっと来る」っていってますけど。その感じに、またぐっと来るんですけどね(笑)。

文章の方でもこの言葉をよく使っているんですが、「ぐっと来る」としかいいようがないことが世の中にはあるってことなんです。ピュアな感覚なわけだから、きっと万人にあるはずなんですけどね。

それを重要視してる人と、してない人の2タイプがこの世にいるっていうことじゃないですかね。岡本太郎の「何だコレは!?」に近いものかな?自分の常識外に反応しているわけですから。

「ぐっと来る」は、自分の中で消化するまで時間がかかるんですよ。だから、マイ常識はいつも疑ってないとダメだと思うんです。

僕にとって写真はぐっと来るもの。それでみなさんの笑いを取りたいだけのことだと思います。ちなみに、土門拳さんは、『みうらじゅん賞※』を獲っています(笑)。ぐっと来ることを教えてくれた方ですから。

※みうらじゅんが主宰し、みうらじゅんの独断によって選考・贈呈される賞。1994年からスタートし、5年間のブランクを経て、2005年から復活。

みうらじゅん

みうらじゅん|Jun Miura
1958年、京都府生まれ。武蔵野美術大学在学中に『月刊漫画ガロ』で漫画家デビュー。1982年ちばてつや賞受賞。以降、作家、イラストレーター、ミュージシャンなどで活躍。1997年「マイブーム」で新語・流行語大賞受賞。2005年日本映画批評家大賞功労賞受賞。2018年仏教伝道文化賞 沼田奨励賞受賞。著書に『アイデン&ティティ』『色即ぜねれいしょん』『キャラ立ち民俗学』『人生エロエロ』『「ない」仕事の作り方』など、多数。 写真集『アイノカテゴリー』もある。

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