世界中を旅しながらファッション写真やポートレイトを通して、人物を撮り続けてきた写真家、高木由利子。GYRE GALLERYで2022年11月28日(月)まで開催中の「高木由利子 写真展 chaoscosmos vol.1 — icing process — カオスコスモス 壱 — 氷結過程 —」では、氷を被写体にした新作が展示されている。写真を通した氷とのセッションには、高木自身が「MMM」と呼ぶ、マジカル、ミステリアス、ミラクルとの出合いがあるという。宇宙を感じさせるミクロな世界に潜む、混沌と秩序の共存をとらえた実験的な作品はどのようにして生まれたのだろうか。
文=小川知子
写真=AKANE
―現在展示中の〈chaoscosmos〉シリーズは、今後も続いていくプロジェクトの第一弾ということですが、どういったきっかけで生まれたのか教えてください。水が氷になる過程で、このような神秘が広がっていると最初から想像されて撮り始めたのでしょうか。
私は以前から漠然と、カオス(混沌)からコスモス(秩序=宇宙)が発生したんだろうなと考えていたんですけど、自然現象を観察するうちに、あれ?っと思って、カオスとコスモスは混在してるんだ!と、そこに潜むメッセージと出合ったんです。それらは同時多発的に常に共存していて、総合的には因果関係もあるんだけれど、その関係は常に入れ替わっていて、同じ形ではなく変容しているんですよね。レンズを通して撮らないと見えてこない、いろんな気づきがある。〈chaoscosmos〉では、その一瞬をとらえられたかなと。その第一弾が、水が氷へと変化する過程を記録した本展です。というのも、もともと透明なもの、特に半透明のものがすごく好きで、凍った海や湖、雪や氷河はずっと撮っていたのですが、もっと氷に近づきたくなっちゃったんですよね(笑)。5年前に軽井沢に移住して、ある夜小さな容器に水を張って氷を作ってみたら、水が氷に変貌する過程を目撃した。そのプロセスでこんなにすごいことが起きているということは、もちろん私も知らなかったし、多くの人はきっと知らないと思うんです。
―自然を対象にすると、その日の気温や条件によってすべてが変わってきますよね。そもそもコントロールはできないと思いますが、どんな条件をもうけているんですか?
コントロールはできないですね。マイナス5℃以下になるであろう夜に水を張って、8〜12時間の間で、水が一生懸命氷になろうとします。でも、もしかしたら本当は彼らはこの姿は見せたくないかもしれないから、私は密儀だと思っているんです。申し訳ありません、ちょっと覗かせていただいていますという気持ちでそのプロセスを焼き付けていく行為を日々やっています。朝氷を器からそうっと出して、墨黒のアトリエの床に置いて朝日で撮るんです。
―4年かけて撮影し続けるなかで、変わってきたことはありますか?
たくさんあります。最初は同じ立方体の容器に水道水を入れることを条件にしていましたが、いろいろと実験したくなっちゃって、プラスチックだったり、メタリックだったり、ほうろうだったり、熱伝導率が異なるさまざまな素材を使い始めました。半外に置くので、夜の風の影響も大きく、氷は外から中に向かって固まるので、一晩じゃ固まりきらなくて。どこかに穴が空いていて、水が出てくる。そこで起きてることは全部透明で、氷の結晶は雲母よりも薄いので、水の中にあるうちはどんな形なのかは目に見えないんですね。固まった部分が空気に触れて、私が見る角度次第でエッジが際立ち、黒を背景にすることで写真に写るようになる。水がすべて外に出ないと見えない、というところが面白いんです。
―まさに氷のラボですね。制作過程でなんとなくの方向性は見えてくるものですか?
方向性は、全然見えてこない。例えば、全く同じ容器を隣同士に設置したとしても、全然違うものができるので。朝起きたら、出っ張った角のような氷があったときは、我が目を疑いました。とうとう宇宙と交信しちゃったかと思ったんですけど(笑)、調べてみたら「逆さつらら」というものらしくて。いろんな条件が整った時に、水が膨張して、上に伸びていっちゃうんですって。4年間で1回しかそれは起きてませんけど、毎回多様性を見せつけられるんです。
―氷が描く模様は、幾何学的でナスカの地上絵のようにも見えますね。
フラクタル的ですよね。まさに、ミクロとマクロの世界が混在している。この距離で見えるところで、こんな不思議なことが起きてるというのがすごいなと思う。設置の仕方によって氷の表情が変わるので、彼らとセッションしてる感じがするんです。先方はそう思ってるかはわからないですけど(笑)。
―対話しているわけですね。
最近はコラボレーションというより、セッションだなと感じていて。セッションって、ちょっと音楽的じゃないですか、一方的ではなく何が起きるかわからない感じ。私は「MMM」と呼んでるんですけど、マジカル、ミステリアス、ミラクルと出合えるんです。
―本展は、すべてデジタルカメラで撮影され、リトグラフ作品以外はデジタルプリントされています。デジタルに惹かれた理由をお伺いできますか?
もともと自分で暗室でプリントしていたので、最初は写真をデータ化するということを素直に受け取れなかったんですね。みんなが写真=データだと思うようになって、撮影したら、「データを送ってください」と言われるでしょう。最初の頃は「写真はお送りしますけど、データはありません」って返していたかわいくない時期がありましたね(笑)。それだけじゃなく、出力したときに、愛おしいと思えるものが私は欲しいので、デジタルプリントに対してどうしても愛着が持てなくて。印画紙のものとしての質感が大切で、デジタルでは、粒子感も含めて焼き付けた感があまり感じられないと思っていたんです。魂が入ってる感じがしないというか。でも10年ほど試行錯誤して悩んだおかげでいろんな人や技術に出合えて、データだからこそできることがたくさんあると気づいたので、いまはデジタルを歓迎してます(笑)。
―今回、撮影したデータをデジタル銀塩プリント(ラムダプリント)や竹和紙への出力、リトグラフ、3Dクリスタル加工などさまざまな方法で出力されているのもまたセッションということなのでしょうか。
そうですね。模索するなかでラムダプリントと出合ったのですが、まさに最新技術と伝統技術のいいところ取りなんです。コンピューターで好きなようにコントロールしたデジタルデータを、暗室で印画紙に焼き付けて仕上げることができる。また、私にとってはいかに黒が締まるか、黒の階層がどれくらい表現できるのかがすごく重要なんですが、ラムダプリントは黒がすごく締まるんです。若干ジェラシーを感じるくらい。私のプリントするより綺麗じゃないと(笑)。
―作品はアルミのフレームや箱に額装されていて、標本箱の台座の高さもバラバラになっています。この展示設計に至ったのは、どのような理由があるのでしょうか?
なるべく流動的で、展示後に一切ゴミが出ずに再利用できるようにしたくて。額もアルミ箔で木枠を包んでるだけですし、木枠自体も4本の柱に解体できる。標本箱は、撮影スタジオなどで使われる箱馬を、床の色に合わせてシルバー塗装しています。高低差を作った理由は、有機的な空間にしたかったから。今はひとつのものをじっくり見る機会がどんどん減っているじゃないですか。そこで角度をつけて見下ろせるように並べると、1点ずつ覗いてくれるんじゃないかとやってみたんです。すべての額装作品にガラスを入れてないので、ものの質感を感じて、ひとつずつ向き合ってもらえたら嬉しいです。
―デジタルデータを竹和紙にプリントしたシリーズはニスが塗られていて、力強い質感を感じさせます。
私にとって写真というのは、切り取って封じ込めるというイメージがすごく強いので、何か封じ込めたかったんですよね。それで、昔からなぜかニスが好きだったので、こんなに大胆にはやったことはないんですけど(笑)、勇気を持ってやってみました。ニスを塗ることで黒がぐっと締まるし、ワイルド感も出てくる。
―どれだけ手仕事にできるかというチャレンジをされているわけですね。
デジタルを否定するんじゃなくて、受け入れて面白がれば、どんどん楽しくなっていく。今回のリトグラフは制作中に梅田明雄さんという刷り師の方と出会って、写真を版画にすることに興味を持ってくださったのでお願いしたんです。6版刷りをした作品は、試行錯誤を経て何日もかけて作ってもらったんですが、パソコンでインクジェット出力したら一瞬でできることを、あえて人間がこれだけ時間をかけてやっているだけあって、奥行きがすごくある仕上がりになりました。魂が封じ込められてる感じがしますよね。
―これまでの作品では人に焦点を当てられていた印象がありますが、〈chaoscosmos〉を通して自然へと向かっていったのは、やはり軽井沢に移住されたことも影響しているのでしょうか?
ヌードのシリーズやファッションなど、2、30年くらい同時並行して続けているプロジェクトがあるんですが、私にとっては全て同じ川の流れにあるものですね。人間も自然の一部なので、私の目線自体はあまり変わっていないというか。ただ、軽井沢の自然の中に住んでいると、気づきが多いんです。以前は、旅をして非日常の空間にいないと写真が撮れないと思っていたんですが、コロナもあって海外に行かなくなったのもひとつのきっかけになり、身近にも「MMM」があると知りました。それは、コロナに感謝かもしれない。こんなことが起きてるの? もしかして、それってビジュアルにとらえられる? という本当に小さな気づきは東京にいた頃からあったのですが、軽井沢で氷を撮った1枚の写真を見たときに、だんだん深みにハマっていったんですよね。意識も持ちようというか、自分の意思さえあれば、日常にある小さなことにパッと気づけるようになるんだなと。
―自然を相手にすると、答えがないから、延々に続けられてしまいますよね。
そう。終わりのない旅に入っております(笑)。発見はあるけど確かな答えはないし、何か気づきがあったとしても、次の答えが欲しくなるから止まらない。発見してわかる!と思うのは一瞬だけで、わからないことが99%じゃないですか。始まりは何らかのきっかけがあっても永遠に終わりはない。それこそ、〈chaoscosmos〉なんです。混沌と秩序が自分の中に混在していて、セッションをするのが楽しいし、ひとりぼっちじゃない感じがありますね。レンズを覗いているのは自分だけだけど、他者がいないと成立しないものなので。
―また国外を旅行したいという気持ちもありますか?
今後もチャンスがあったら旅には行きたいなと。ただ、海外には17年間住みましたし、歳を重ねれば重ねるほど、日本の美意識にものすごく魅力を感じています。自分が日本人だということに誇りがありますし、古代からある美意識は私たちのDNAに残っていると思うんです。始まりと終わりでもなく、その過程や曖昧さといった抽象的な概念が定着している。そういったファジーさやバランス感覚が好きで、みんなの中にもある日本の美意識を少しでも引き出して伝えることも私のミッションのひとつだと思っています。
―最後に、本展を見る人たちにどう楽しんでほしいかということを、今後の展望も含めて教えてください。
VOL.1は、水が氷になっていく途中の水の記憶を私がセッションしながら記録したものなので、その水の記憶と向き合って見てもらえたら一番いいですね。すごく抽象的な作品なので、見る人それぞれの中でミクロなのかマクロなのか、それぞれ自由な受け取り方ができるし、どういう風にイマジネーションを働かせてもいい。それがすごく面白いと思っています。VOL.5くらいまで全然違うものを同時に撮っていて、内容はまだ秘密なんですが、いずれ発表できると思います。
タイトル | 高木由利子写真展「chaoscosmos vol.1 — icing process —カオスコスモス 壱 — 氷結過程 —」 |
---|---|
会期 | 2022年10月7日(金) 〜11月28日(月) |
会場 | GYRE GALLERY |
URL | https://gyre-omotesando.com/artandgallery/yurikotakagi-chaoscosmos-vol1/ |
高木由利子|Yuriko Takagi
東京生まれ。武蔵野美術大学にてグラフィックデザイン、イギリスのTrent Polytechnicにてファションデザインを学んだ後、写真家として独自の視点から衣服や人体を通して「人の存在」を撮り続ける。近年は自然現象の不可思議にも深い興味を持ち、〈chaoscosmos〉というプロジェクトでは映像を含め新たなアプローチに挑戦し続けている。