ロンドンを拠点に活躍する写真家ソルベ・スンズボーが、シグマ財団のプロジェクトとして写真集『Hanataba』を制作した。自身が長年撮り続けてきた花の写真のみを学習素材とした初期の機械学習モデルを用い、「存在しない花」を生み出した本作は、写真と絵画、現実と虚構の境界を静かに揺さぶる試みでもある。AI時代における創作、そして写真が孕む「真実」について、スンスボーは何を語るのか。
ポートレート撮影=森本美絵
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン
プロジェクトと制作プロセス
――まず、このプロジェクトがどのように始まったのか教えてください。
私はロンドンで30年以上、商業写真家として活動してきました。このプロジェクトは、2018〜19年頃、非常に初期段階の機械学習モデルを使って始まりました。今では何でも「AI」と呼ばれていますが、これはテキストプロンプトで生成するAIではありません。非常に古く、今となっては使われなくなったモデルで、不完全さが逆に魅力的なものでした。もう誰も作っていないタイプのものです。
私は、自分が撮影してきた写真だけを学習素材として使いました。ゲラン、シャネル、ランコムなどのために何十年も撮り続けてきた花の写真です。機械学習モデルに自分のアーカイブを与え、「画像同士の関係性を見つけてほしい」と指示します。すると複数の候補が生成される。その中から自分が気に入ったものを選び、再びフィードバックしていく。つまり、自分の選択によってモデルを“しつけていく”感覚です。
私が魅力的だと感じたのは、その不完全さでした。完璧でも、写実的でもない。摘み取れるような花には見えない。これは私の写真を学習して、それをモデルなりに解釈し、さらに私がそこから何を選び取るかを解釈する、という二重のプロセスです。非常に時間がかかり、遅く、扱いにくい。だからこそ、深く関われる。それがとても良かった。
最近のAIは「人をだます」ために作られているように感じます。でもこれは違う。これは最初から“本物ではない”と分かる。現実に見えないし、どちらかというと絵画のように見える。このプロジェクトは、コロナ禍で時間ができたことで本格的に進みました。今ではそのソフトウェア自体がもう存在しません。だからこそ、このプロジェクトは完結している。これらのイメージは、もう二度と作ることができないのです。
――生成されたイメージは、どのように処理したのですか?
スクリーンショットです。非常に質の良いモニターから画面キャプチャをして、それを別のAI画像のアップスケーラーソフトを使い解像度を上げました。ただ、このプロセスも非常に注意が必要です。本来存在しない情報を勝手に補完してしまうことがある。だから、補完するレベルが例えば100段階あるならば、5段階くらいに留める必要がある。100まで上げると、もう全く別のものになってしまう。
その後、リンネ式分類法に基づいて、すべてにラテン語の学名を与えました。植物学者に協力してもらい、何百もの名前を作り、実在しない花に割り当てたのです。
写真は「虚構」
――あなたは現実を撮影しつつ、同時に幻想の領域でも制作していますね。
私はいつもそうしてきました。現実であっても、それを別の領域へと変換している。私の哲学はとてもシンプルで厳格です。写真は決して真実を語らない。語れないんです。仮に語ろうとしても無理です。写真はすべて嘘です。なぜなら、すべてが「意見」だから。フレーミングした瞬間に、現実は切り取られ、歪められる。白黒写真がカラーよりリアルだと思われがちですが、世界は白黒ではありません。
だから私は、写真においてかなりの自由が許されるべきだと思っています。ただし、それが「現実そのものではない」と見る側が理解している限りにおいてですが。
この作品には、さまざまな花の要素が混ざり合っています。花というのは“概念”ですよね。無数の種類があるけれど、私たちは「花とは何か」を何となく知っている。すべて実在しそうに見えるけれど、よく見ると、やはり存在しないと分かる。
――この写真集はどのようにして完成したのですか?
クラシックなレンズメーカーであり、カメラメーカーでもあるシグマが、シグマ財団の一環としてこのプロジェクトに関心を持ってくれたことを、とても嬉しく思っています。同じく今回のプロジェクトに参加したジュリア・ヘッタの写真集は、非常に伝統的で、詩的で、日本的な美意識を感じさせる作品です。
私はキャリアを通じて、「普通のルールに従うこと」に反発してきました。私以外の写真家たちが普通に従うなら、私は逆をやりたい。このプロジェクトが始まった6〜7年前は、今ほどCGや生成画像は溢れていませんでした。
本には、私とグレガーの友人でもあるノルウェーの作家カール・オーヴェ・クナウスゴールによる引用文も収録されています。彼の有名な連作小説『わが闘争』の冒頭の一文です。存在しなかった、これからも存在しない、ただイメージとしてだけ存在する美しいもの。その詩的な感覚が、このプロジェクトに合っていると感じました。だからこれは、写真というより絵画に近いのかもしれません。
――この作品は、あなたの活動全体の中でどのような位置づけでしょうか?

私の生活は、トップアスリートのようなものです。ルイ・ヴィトンやカルティエなどの大きなプロジェクトに全神経を集中させる。
その一方、広告の即時性から離れ、長い時間をかけて、独自の人生を持つ作品をつくる。それが今は何より満足感があります。商業的には成立しづらいかもしれない。でも、愛のためにやる。それだけです。
私は制約がある方が好きです。今回の制約は「これらの花が存在する。さて、何ができるか?」ということ。写真家は人生のどこかで、誰もが花を撮ろうとする。ホルスト、メイプルソープ、ペン、ナイトなどなど。写真家としての必修科目を自分なりにクリアする方法として、今回のプロジェクトはとても面白かった。
――花のイメージは、布やドレスの一部のようにも見えます。
数年、あるいはひと夏だけ存在して、消えていく花の種類があると知って驚きました。花の進化のスピードは、想像を超えています。本当に美しい。
写真は即時的です。でもこのプロジェクトは違う。非常にゆっくりと、管理され、操作されたものです。だからこそ、今見ると写真よりも距離を感じる。写真なら、匂い、音楽、街の音を思い出せる。でもこれは、コロナ禍のロックダウンという真空の中で生まれました。夜遅く、一人で選択を繰り返し、興奮していました。
創作は、完成した瞬間が一番楽しい。その後、「ああすればよかった」と思い、しばらくしてまた愛おしくなる。これらの花も同じです。ロックダウン中、存在しなくなったソフトウェアの中で、ほんの一瞬だけ存在した。そして今は、この本の中のイメージとしてのみ存在しているのです。
