国際的に評価の高い写真家・深瀬昌久。この3月、彼の半生を描いた映画『レイブンズ』が公開される。監督を英国人マーク・ギルが務め、深瀬を浅野忠信が演じる。深瀬のクリエイティビティー、家族との関係を濃厚に描いた本作。狂言回しとして象徴的なクリーチャーが登場するのも興味深い。なぜ今深瀬を取り上げたのか?プレミアに際し来日したギルに映画について聞いた。
ポートレート撮影=郭勇志
取材・文=菅原幸裕
RAVENS(またはSolitude of Ravens)という写真集、そしてFukaseという写真家の名前は、少し前までは日本より海外の写真愛好家の間で知られた存在だった。2000年代に写真集収集家でもあるマーティン・パーが『A Photobook : A History』シリーズにおいて多くの日本人写真家の写真集を取り上げたことなどが契機となって、日本の写真家たちの認知度は、飛躍的に高まっていった。そんな潮流の中で、Fukase、深瀬昌久の名も広く知られていく。2010年には、『A Photobook : A History』の共著者であるゲーリー・バジャーも選者に加わった、British Journal of Photography が選ぶ過去25年におけるベスト写真集の次点として、深瀬の『RAVENS』が選ばれている(ちなみにベストはナン・ゴールディン『THE BALLAD OF SEXUAL DEPENDENCY』)。
その後日本においても、深瀬の写真は、展覧会や、写真集の再発売といった形で紹介されてきた。記憶に新しいところでは、2023年3月〜6月東京都写真美術館で開催された写真展「深瀬昌久 1961〜199 レトロスペクティブ」。1992年に転落事故で活動を停止するまでの深瀬の作品を時系列で紹介した回顧展で、2014年に深瀬昌久アーカイブスを設立したトモ・コスガが企画者として名を連ねている。同展で深瀬の写真を本格的に見たという方も、少なくないだろう。
そんな深瀬を題材とした映画が、この3月、日本でも公開される。彼の最も知られている作品集と同タイトル、『レイブンズ』と題された本作で描かれているのは、深瀬とその妻だった洋子との関係、深瀬と父親との関係、そして深瀬とその分身であるカラスとの関係である。監督を務めるのは、『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』で、異才アーティストの成功前夜を生き生きと描いた、英国人のマーク・ギル。ギル監督が深瀬を知ったのは、ある新聞記事からだったという。
写真集『Silence of India』(赤々舎)
「2015年ぐらいだったと思います。英国の新聞記事で、初めて深瀬さんの存在を知りました。その記事は彼と洋子さんとの関係にフォーカスしたもので、13年間妻の写真を撮り続けた男、といった内容の見出しでした」
その記事には、窓から路上の洋子を撮影した写真が併せて掲載されていて、それがギル監督の興味をひいたという。その後監督は他の写真も見て、リサーチを始めるが、当時まだ深瀬は幻の写真家ともいわれ、資料も多くはなかった。やがてアメリカの研究者フィリップ・チャリエが書いた「Becoming the Raven」という論文に行き着き、チャリエからロンドンのマイケル・ホッペン・ギャラリーを紹介され、そこから深瀬昌久アーカイブのトモ・コスガにコンタクトできたという。
「トモさんはすごく協力的で、やがて洋子さんもご紹介いただきました。深瀬さん自身のエッセイを読み、さまざまな方へのインタビューを通じて、私の深瀬さん像は当初とは大きく変わりました。家族、特に父親との関係などもリサーチを経て理解できたことです。そうした深瀬さんのバックグラウンドについての理解が深まるにつれ、彼の行動や振る舞いの理由も、わかってきたのです」
そうしたリサーチを通して知った事実と、作品づくりとの関係について、ギル監督は次のように語る。
「事実という、柱となるナラティブが存在していて、それをどのように通過していくか、どう解釈するかは、また別の話と考えています。ドキュメンタリーではなく、エンタテインメントという意識で脚本や映画づくりを行っているので、事実は大きな枠組みとして捉えつつ、物語を進めていくという姿勢です。そこで軸となっているのが、深瀬さんと洋子さんの関係をどう描くかということです。ふたりの関係をガイドとして、この作品をつくっていきました」
さらにギル監督は、洋子と離婚後に編まれた写真集である『鴉』について、以下のように表現した。
「彼の心が傷ついているところが、よくわかります。僕はどうしようもないロマンチストなので、全ての心は壊れるものだと、思っているのです」
本作のもうひとつの柱となっているのは、深瀬と、深瀬の父、助造との関係性である。父と息子の確執については、普遍的なものであると、ギル監督。
「すべての父親と息子は、何かしら問題を抱えていると思うんです。昌久さんと助造さんを隔てているのは、戦争だと思います。戦争で仲間たちが死に、助造さんは生き残ったことに罪悪感を抱いている。同時に婿養子として家業を継がなければならない。それに対して息子の昌久さんはアメリカの影響が強く、助造さんを裏切ることになります。そこに葛藤が生まれるわけです。『父の記憶』という写真集をつくるまでは、深瀬さんも父親に対してかなりネガティブだったと思います」
その一方で、2人のシーンには日本らしさが反映しているとも。
© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
「劇中、助造さんが昌久さんに、修理されたカメラを渡すシーンがあります。それは父親が息子に対して表現できる最大限の謝罪であり、そこに言葉はありません。その感じは日本ならではのユニークさであって、私がとても好きなところです」
またこの映画には、深瀬にしか見えない存在として、「ツクヨミ」というカラスをもとにしたクリーチャーが登場する。この存在もまた、ギル監督の日本文化への理解から導かれたものという。
「英国人のクルーも呼びやすいように、ヨミちゃんと名付けました(笑)。なぜヨミちゃんを登場させたかといえば、それは表現上必要だったからです。頭の中で聞こえる声、というものはみなさんあると思いますが、そんな声、深瀬さんの心の裡を、どのようにスクリーンで表現しようか悩んでいました。また、日本的な文化とそのイメージが好きだったこともあって、ストーリーを考え始めた当初から、天狗的な存在、キャラクターを持ち込もうとも考えていたんです。カラス天狗の存在は知っていましたし、アニメやマンガでも見てきたイメージでした。日本人のプロデューサーもいいアイデアだと言ってくれたので、脚本に書き込んだところ、すごく楽しくなってきたんです」
© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
このヨミちゃんは英語で話す。それは監督の言葉のようにも感じられる。
「そうかもしれませんね。私の中のカラスが、ヨミちゃんとして話をしていたところがあるのかも。その一方で、深瀬さんの世代は、戦後すぐの日本の若者であり、アメリカ文化を必要としていたと思っています。深瀬さん自身も、アメリカで認知されたいと考えていたようです。そうしたことを踏まえて、カラスが英語で話すというのは、誘惑される感じを、表現してもいるのです」
そしてギル監督は、映画自体を次のように表現した。
「写真を撮って、フィルムを巻き、次の写真を撮影する。そういうカメラを巡る一連の動きを、映画全体で表現しようとしていた気がします。それは決してあからさまなものではないのですが、映画という一連のフィルムのリズムとして反映されているように、思っています」
『レイブンズ』
監督・脚本:マーク・ギル
出演:浅野忠信、瀧内公美、ホセ・ルイス・フェラー、古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀
2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン合作映画/116分/アークエンタテインメント配給
3月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほかで全国公開