創造の源泉としてのアナロジー:ふたりのクリエイターが見た「カルティエ、時の結晶」

筧康明と渡邉康太郎によるトークセッション。

6 December 2019

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創造の源泉としてのアナロジー:ふたりのクリエイターが見た「カルティエ、時の結晶」 | 渡邉康太郎×筧康明

現在、国立新美術館(東京・六本木)で開催中の展覧会「カルティエ、時の結晶」。「時間」をテーマに、新素材研究所が会場構成を担当。これまで数々の名作を生み出してきたカルティエの、イノヴェーティブなデザインの世界を掘り下げた画期的なジュエリー展となっている。 去る11月15日に、HCI研究者でありメディアアーティストでもある筧康明さんとデザイン・イノベーション・ファームTakramでコンテクストデザイナーを務める渡邉康太郎さんをお招きして、トークイベントを開催。テクノロジーを媒介に、ものづくりの領域で活躍する二人が本展を通して何を見たのか、デザインの可能性について語り合っていただいた。

構成=若山満大
写真=白井晴幸

「輝き」とは何か:変化する関係性へのまなざし

渡邉康太郎(以下、渡邉):今日は「カルティエ、時の結晶」について、筧さんといろいろお話していきたいと思います。まずはざっくりとした感想の交換から始めていきましょうか。

筧康明(以下、筧):本当に濃密な空間で、とても一回では見切れない(笑)。それくらい魅力的な展覧会でした。見ている最中も「この魅力は何なんだろう」って、ずっと考えていましたね。目の前にあるのは「石」なんだけれど、僕たちはそれにしがみ付くようにして見ている。それはその輝きに惹かれるからなのか、あるいはそれ以上に何か特別なものを感じているからなのか。いずれにせよ、マテリアルそのものというよりは、何らかの文脈を重視しているように思えました。渡邉さんはいかがでしたか?

筧康明

渡邉:展示の背景にある、さまざまな「対比の関係=コントラスト」がとても興味深かったですね。宝石は地球が何億年もかけて作り上げた「時間の結晶」でもあるわけですが、その空間を手がけたのが新素材研究所(杉本博司+榊田倫之)であることが、まずおもしろい。地球の歴史が凝縮されたジュエリーと、現実の一瞬を切り取る写真家という、全く異なるタイムスパンを経験している両者が一つの空間に同居しているんです。もちろん、杉本さんは古代へのまなざしを持っていたり、長時間露光を使っていたりするので、「瞬間」という言葉ではとらえきれないですが……。また別の視点、ジュエリーが掛かっているトルソ。これを支えているのが「原石」だってこと、みなさん気がつかれましたか? 粗雑にも見える原石の上に、美しく彫琢されたジュエリーが鎮座している。荒々しいものと洗練されたものの対比ですね。関係性のデザインが随所に見られて、とても興味深かったですね。

© N.M.R.L./ Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida

© N.M.R.L./ Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida

筧:ジュエリーは当然スタティックなんだけど、しかし動的な変化を伴うものだなと思って展示を見ていました。僕たちがジュエリーに「輝き」を感じているとき、果たして鉱物の結晶を見ているのか、それとも照明による光の変化=環境を見ているのか。あるいは、僕たちは展示空間で歩いているわけで、それも環境が動的に変化する要因になっているわけですよね。そうやって関係性が絶えず変化する中で、ジュエリーそれ自体の見え方も変わる。というか、むしろ関係性の変化それこそが「魅力」なんじゃないか、とか考えながら照明や空間を見渡していました。。

渡邉:それは面白い指摘ですね。石を見ているのか、光を見ているのか、反射を見ているのか、環境全体を見ているのか。しかし実際は、それらが不可分なものとして知覚されていて、何を見ているともいい難い体験になっている。いい換えれば、「輝き」の体験は、僕たちの感覚がさまざまな地点を転々とさまよった結果なんじゃないかと。おそらく同じようなことは、ワインを例にしてもいえると思うんですよ。

ご存知のようにワイングラスには、さまざまな形状があります。例えばブルゴーニュと呼ばれるグラスは、酸味の強いワインを入れることを前提に、フチの部分が少し反り返っている。これは酸味の強いワインを、酸味を感じる舌の部位から最も遠いところに落とすための工夫なんです。すると酸味以外の味を十分に感じた後、際立った酸味を感じることになります。結果としてワインの味わいは「複雑で、深みのあるもの」になるわけです。意外に、「遠回り」をしたほうが本質に近づくということ。

何がいいたいかというと、人を「複雑な味わい」に直接アクセスさせることって本当はとても難しい。しかし情報の関係性をデザインすることで、特別性を帯びた「ある感覚」を立ち上がらせることは可能なわけです。筧さんが感じた「輝き」もまた、ジュエリーを取り巻く関係性の変化によって演出された特殊な感覚だということもできるんじゃないでしょうか。

渡邉康太郎

筧:そうかもしれません。いまのは非常に示唆に富むお話ですね。光の変化がジュエリーを引き立たせているのか。それとも、ジュエリーの変化が光を特別なものだと思わせるのか。いずれにせよ、光とジュエリーは同じ環境の中で分かち難く結びついていて、一方の変化がもう一方に影響を与える関係にあります。「輝き」というある種の特別さも、関係の変化によって演出されているんでしょうね。


「見立て/アナロジー」が導く思考の沃野

渡邉:今回杉本さんがしつらえた菩薩像の掛け軸の前に、蓮華をかたどった台座に乗ったブレスレットが置かれていました。仏教の象徴的なモチーフである蓮とともに、仏教絵画の特徴的な表現である「後光」を想起させるジュエリーの輝きがある。ここには「見立て」とよばれる働きが介在しています。

© N.M.R.L./ Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida

© N.M.R.L./ Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida

見立ては、本来価値が備わっていないものに価値を与えたり、本来とは違った価値を与えたりする一種の表現です。要するに、新しい関係性を結ぶってことですね。例えば、戦国時代を生きた古市播磨守澄胤(ふるいちはりまのかみちょういん)という僧は、ある「石」を見出したことで有名です。その石はもともと、奈良の町屋の屋根押さえに使われていた、なんでもない石ころのひとつでした。しかし澄胤は、その石の形が「見事な山の景色に見える」といって、貰い受けたんですね。山なりで、黒い石肌に少しだけ白いマダラが入ったその石に、彼は《残雪》という銘をつけて珍重した。これはいまでも西本願寺の宝物として保存されています。この話のポイントは、「個人の眼がそれまで見捨てられていたものに価値を見出した」という点です。伝統とか由緒とか、そういう既存の価値体系に依った価値づけではなくて、価値を測る物差しそのものを作り出した上で価値付けをおこなっているわけです。

筧:なるほど。たしかに、見立てにはそういう側面がありますね。僕はブルーノ・ムナーリが好きで、彼も視覚的類似性の利用が創造の秘訣のひとつだといっていますね。知っているものと知っているものを紐付けながら、新しい関係性を見つけていくことが創造です。知らないものを作り出すことが創造だと思われがちですが、全く知らないものは作り出せません。既知の点同士が新しいリンクによってつながっていくところに、新しい価値が宿る。見立てのすばらしさは、まさにこの点にあると思いますね。類似性=アナロジーの提示によって新しいリンクというか、ぼやっとした「新しい価値の輪郭」のようなものが示される。それを感受した人はそのおもしろさを捉えるために、自分のモノの見方を変容させていくわけですね。いわゆるインタラクティブなコミュニケーションの内側で起こっているのは、このような「未知に対する自己変容」です。

渡邉:予期せぬ関連性の中に新しい価値を見出す、ということ。これは僕も重要だと思っています。より平易な言葉をつかえば「似ているものをつないでいく」ということですね。よくビジネスの現場では「ロジカルシンキング」という言葉が出てきますが、ロジカルなつながり、つまり相関性があるものは今や A.I. がつないでくれます。であればこそ、人間に求められているのは問題空間が異なるもの同士を接続すること、つまり「関係のないもの」をつないでいく能力です。編集する力といい換えてもいいのかもしれません。なぜ「放電場の写真」と「コロラドリバーを撮った航空写真」が似ているんだろう、と結びつけられるかどうか。アナロジーですね。

こういうアナロジカルな思考は、この展覧会のカタログにも活きています。これ、必ずしもジュエリーと関係のあるものを載せているわけではないんです。古今東西のさまざまな作品のビジュアルが、ジュエリーのそれと同居している。ページを繰りながら、アナロジカルなジャンプが繰り返されていくのは楽しいですね。

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クリエイティブの原点:偶然の中に何を感じ取れるか

渡邉:「問題空間をジャンプする」という点において、見立てはクリエイティブな行為だというお話をしてきたわけですが、本展では「偶然性」というファクターもクリエイティブの契機として言及されていますね。1967年に生まれたカルティエの「『クラッシュ』ウォッチ」は、ある顧客が事故で変形してしまった時計を修理に持ち込んだことがきっかけで誕生したといわれています。

筧:偶然性だけではクリエイティブの契機にはなり得ないと僕は思っていて。偶発的な事象に相対したとき、そこから何かを読み取る眼や感受性がないと、それは単なるアクシデントで終わってしまう。ただ、この「偶発性から何かを感じ取る能力」って一体何なんでしょうね? 常々考えています。学生に教えるときも「考えてもわかんないから、とりあえず作ってみようか」ということが多いんですが、これも偶発を期待している節があります。

渡邉:いつも通っている家から駅までの道のりなら、考え事しながらでも、スマホ見ながらでも、歩けちゃいますよね。「いつものこと」はそれくらい意識化されにくいんだけど、逆に「いつもと違うこと」には人間すぐに気がつきます。これについてある脳科学者は、脳は視覚から受容される情報よりも遥かに多い情報を「自分で作り出している」というんですね。つまり「予測」によって、膨大な情報処理をしなくて済むようにしている。そうして、その予測と外界からの刺激を比較して、不一致があったところだけが知覚・意識されると。

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ものづくりにおける「アウトプットの先行」が効果的なのは、脳内で思い描いていたものと出来上がったものの「大いなる不一致」が常に起こり、そのズレに創発の可能性が含まれているからだと思います。あるメンタルモデルから出来上がったものが、そのメンタルモデル自体を変えていく。そういう相互的な作用があって初めて、おもしろいものが出来てくるんだと思います。

筧:日本のメディアアートの第一人者として活躍されている岩井俊雄さんは、「つくる」って言葉をあまり使わないんですよね。代わりに「気づく」って言葉をよく使っている。要するに作品とは、気づきの具現化だというわけです。僕も最初は、その言葉遣いの意味にそれこそ「気がつかなかった」んですが(笑)。岩井さんにとって「つくる」ということは、いま、ここに、すでにある何かの存在に気づいて、それを取り出してくることなんでしょうね。

アウトプットとメンタルモデルのズレを契機として、自らを変容させていく能力。これはたしかに重要だと思います。加えてもう一つ重要なこと、特にアートにおいて重要なのは、やはりこの「気づく」能力だと思いますね。

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渡邉:「常識を疑う力」ともいえるかもしれませんね。あるイノベーションが賞賛されるとき、その理由は「これまでの常識を打ち破ったから」とされがちです。しかし本当に賞賛すべきは、彼が「誰も疑わなかった常識を疑ったこと」ですよね。常識をひっくり返す前段階には「気づき」があった。気づくも、作るも、英訳すると「realize」です。自分の内と外を行ったり来たりすることで、何かに「気づき」、何かが「実現する」ということなんでしょうね。

筧:クリエイターはアイデアの枯渇を恐れるものですが、実際は、アイデアが無くなるからではなく「気づけない」から作れなくなるわけですね。一方で、すでに「作るべきもの=あらゆる関係性」は自分の身の回りに溢れているんだと考えると、気が楽になる面もあって。問題は自分の気づく力を高めていくこと、その一点に尽きますね。

渡邉:マハトマ・ガンジーは「あなたの行動で世界を変えることはできない。しかし、行動し続けなくてはならない。あなた自身が、世界に変えられないために」という言葉を残したといいます。彼はまず「世界は変わらない」といい切る。聞き手にショック与えると同時に、気負う必要はないよと安心を与えもする。そして、そこからさらに「しかし…」と続けて、相手を焚きつけ、奮い立たせようとします。この言葉には「心地よい矛盾」があるように思えるんです。何かが現実化しても状況は変わらないけれど、それでも変わらずやり続ける。この実践は一見すると無意味です。しかし実際は、世界に従属せずに、世界の大きな流れに小さく抗っている。矛盾がすなわち合理になる瞬間が、本当に美しいなと。

筧:よくわかります。それと、気づきについて考える上でもう一つ。共有と誤読の問題について思うところがあります。自分に何かしら気づきがあり、アウトプットすることで、その気づきは誰かとシェアされていきますよね。しかし、その誰かが自分と同じように「気づき=誤読」を続けると、共通の概念そのものが成立しないことになってしまう。自分の描いた絵を誰も「図」として受け取ってくれず、「地」のほうばかりが注目されてしまったとしたら、それは絵が認識されたことにならないですよね。みんなが「間違った読み」を続けることはたしかにクリエイティブだけど、一方で「正しく読まれた」共有可能なものも必要です。そのあたりの塩梅をどう考えるかが大事だなと。

渡邉:本当にそうですよね。共有と誤読が同時に達成されている例として、長谷川等伯の《松林図屏風》がありますね。松よりも遥かに多い「余白」がまず誤読のきっかけをつくる。あの作品の優れた点は、その余白に「湿度」「奥行き」「霞」「温度」といった意味を読み取るのに十分な、緻密な導線設計がされていることだと思います。十全に設計された余白は一定の「共有」を可能にするんじゃないでしょうか。

筧:共有されているって、それ自体がすでに奇跡みたいな状況だと思います。ジュエリーに関していえば、冒頭にもお話ししたように、僕たちは「物質」を見ているのか、「環境」を見ているのか、「歴史」を見ているのか、あるいはそこに「身体」を重ねているのか。さまざまな仕方で価値を見出していることが予想されます。しかし一方で「これは良いものだ」という一点だけは共有されている。だからこそ、今回の展示空間は成立しているわけです。まったく違うものに美しさを見出しているであろう人々を、これほど多く、いつの時代も、魅了し続けるって本当にすごいことだと思います。「コンスタントに偶発を創り出している」ともいえるでしょうか。何かを気づかせるような、豊かな「余白」を持った作品こそ、多くの人の感性を時代を超えて刺激し続けるんですね。考えるきっかけをたくさん与えてくれた、本当に興味深い展覧会でした。

タイトル

「カルティエ、時の結晶」

会期

2019年10月2日(水)~12月16日(月)

会場

国立新美術館(東京・六本木)

時間

10:00~18:00(金土曜は20:00まで/入場は閉館の30分前まで)

休館日

火曜

入場料

【一般】1,600円 【大学生】1,200円 【高校生】800円

URL

https://cartier2019.exhn.jp/

筧康明|Yasuaki Kakehi

筧康明|Yasuaki Kakehi
インタラクティブメディア研究者/メディアアーティスト
東京大学大学院情報学環准教授
博士(学際情報学)。慶應義塾大学SFC、株式会社プラプラックス、MITメディアラボ等での活動を経て、2018年度より東京大学にて研究グループを主宰。先端技術を駆使し、色・形・硬さなど物理素材の特性を動的に変化させるインタフェース、ファブリケーション研究や、インスタレーション作品を制作する。工学としてのアウトプットのほか、Ars Electronica、SIGGRAPHをはじめとする国内外での展示などアート・デザイン領域を横断する活動を展開する。ACM CHI Best Paper Award、科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞、Good Design Best 100などを受賞。
http://xlab.iii.u-tokyo.ac.jp

渡邉康太郎|Kotaro Watanabe

渡邉康太郎|Kotaro Watanabe
Takram コンテクストデザイナー/マネージングパートナー
慶應義塾大学SFC特別招聘教授
東京・ロンドン・ニューヨークを拠点にするデザイン・イノベーション・ファームTakramにて、事業開発から企業ブランディングまで幅広く手がける。「ひとつのデザインから多様なコンテクストが花開く」ことを目指し活動。主な仕事にISSEY MIYAKEの花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」、1冊だけの書店「森岡書店」、日本経済新聞社のブランディングなど。慶應SFC卒業。在学中の起業や欧州での国費研修等を経てTakramの創業期に参加。趣味はお酒と香水の蒐集と茶道。茶名は仙康宗達。大日本茶道学会正教授。81.3FM J-WAVE 木曜日26:30-27:00の番組「TAKRAM RADIO」ナビゲーター。国内外のデザイン賞の受賞多数。また独iF Design Award、日本空間デザイン賞などの審査員を務める。