エレナ・トゥタッチコワは、2014年に初めて知床を訪れて以来、地元の人たちとのネットワークを築きながら何度もフィールドワークを行ってきた。「自分がどう世界とつながりたいかを確認する場所」と位置付ける土地で、歩くことと思考することとの関係性を探求しながら、人間、動物、植物、自然の声に耳を澄まして集めた物語を作品へと昇華する。現在、ポーラ ミュージアム アネックス(東京・銀座)で開催中の、上村洋一との二人展「Land and Beyond|大地の声をたどる」では、トゥタッチコワの終わりのないプロジェクトの現在地を見ることができる。知床との出会いから、歩き続ける理由、人間以外の言語や物語の描き方について話を聞いてみた。
文=IMA
―2014年に初めて知床に行ったきっかけは?
2012年に日本に移住してから西日本に行く機会ばかりが多く、私にとって北海道は“未知の土地”でした。北海道の地図を見ては、いつか行ってみたいと思っていたんです。2014年8月に東川町国際写真フェスティバルに参加した後、初めて知床に行きました。夕暮れ時に知床に到着し、車の外に出ると夏の終わりの草の匂いがして、峰浜にポツンと浮かぶメーメーベーカリーのキッチンの灯りが見えました。知床の最初の記憶として、今でもよく覚えています。それから30回くらいは、知床に行っています。メーメーベーカリーのキッチンでは、地元の人たちと何度も楽しい時間を過ごしました。私が知床を理解する上で、とても重要な場所になりました。
—フィールドワークをする上で、地元の人たちとの関係性を築くことは重要ですか?
自然と人間との関係性をテーマに掲げていますが、まずは人間との関係が重要です。人間がどう世界を見ているか、人間を通して土地の詩学や物語をどう表すのかが制作におけるコアな部分になっています。地元の人たちと接点を作りながら、長時間その土地と関わらないと物語を見つけるのは難しいですね。
―今回の展示では、知床の手書きの地図やインスタントフィルム、ドローイング、押し花、日記なども展示されていて、「歩くこと」と「思考すること」の関係性を掘り下げながら、長い時間をかけてフィールドワークを続けてきた軌跡の一部を見ることができました。知床とは、トゥタッチコワさんにとってどんな場所ですか? また「歩くこと」の重要性とは?
知床は、終わりがなく、ずっと関わり続ける土地だと感じています。自分の作品制作だけでなく、誰かと歩いたり、他の人と一緒に何かを作ったりすることを続けたい。知床は、人間として生きる実感をする場所で、自分の役割を常に更新しながら、新しい発見を求め続けています。
土地の物語は単純な単純な一本線ではなく、いろんな視点が入り混じっています。制作においては、自分が媒介者であり、私の視点ももちろんあるのですが、自分の体も思考も土地との関わりの中でできています。止まらないプロセスの中で、今、私は存在しているのですから。土地から何を受け取り、その経験をどのように表現をするかが、アーティストとしての役割だと考えています。見慣れた風景を毎回違う視点で見る目と心は、どうしたら育てられるのでしょうか? そのためには、実際の経験が必要です。だから私は歩いているのです。
―「歩くこと」を通して、人間以外の視点も取り入れているのですか?
人間の言葉だけが言語ではなくて、いろんな生き物がそれぞれの言語を持っていると思います。動物や植物、自然の言語を聞き取り、どのようにして人間の言語や、言葉以外の表現方法に置き換えるかを考えています。重要なのは、すべてを対等に見ること。例えば、知床の流氷には魂や意識はないかもしれないけど、その存在には価値があり、人間のためにあるものではありません。動物には動物としての知恵や知識があり、それが人間のものと比べて劣っていることはありません。自然の中に命が宿るという昔ながらの考え方は、現代人にとってはおとぎ話のように聞こえるかもしれませんが、人間だけではなく、動物や植物もいて、みんなの経験の積み重ねが土地を作っています。歩くことで体を使ってその土地の経験を積み、人の言葉や人ではない言葉に耳を澄ますようにしています。
Photo by Hibiki Miyazawa (Alloposidae LLC)
―人、植物、動物の視点を通して、土地の物語を描く過程を教えてください。
具体的な話ではないのですが、土地を俯瞰して見ようとするときに、地図を描くことがあります。知床の場合は峰浜を起点にすることが多いのですが、地図の大枠を描き、歩きやすい道、そのあとに畑の中、森の中、海沿いや海中の道が足されていきます。最初はひとりで歩いていた道に、徐々に知床の人たちや知床に一緒に来た人たちと歩いた道、犬や子どもと歩いた道が加わっていきます。頭の中の地図上には、いろんな足跡が増え、ネットワークがどんどん広がっています。そのネットワークは糸のようなもので、ある糸を引っ張るとある物語が出てくるので、織物を織るように、その糸を交差させていく感じで作っています。
―新作の映像作品「たねと大潮」では、地元の人たちと森や海の道を歩いたり、話を聞いたりしながら、植物をフィーチャーしていましたね。
約30分の映像の中には、さまざまなレイヤーがあります。例えば、前半に登場する絵本作家のあかしのぶこさんはくるみの木に丸い穴を見つけたら「ネズミが食べたのかな」とか、複数の動物の足跡を見つけたら「狐が小動物を狙っていたのかな」と想像し、動物の心理を読み解ける方です。彼女と一緒に歩くと、動物や植物の声をよく聞くことができます。
後半に登場する羽田野さんの祖父は、知床を最初に開拓した人たちのひとり。彼自身も地域の郷土史や植物に詳しく博物的な思考を持っています。また、サハリンに生息するカムチャッカナニワズという、日本に分布されているか不明とされていた植物を日本で初めて見つけた方でもあります。作品の中で、羽田野さん個人の話や、旧道の話、カムチャッカナニワズを見つけたときに歩いた道について聞いたり、羽田野さんが約50年間、ほぼ毎日書いている日記を朗読してもらったりしています。そして、カムチャッカナニワズが日本に分布したのは、大陸がまだつながっているときからなのか? それともサハリンと交流があって人が運んできたのか? それとも風で運ばれてきたものなのか? という問いから、植物が教えてくれる土地の物語に出会うことができました。同じ土地でも、毎回新しい発見があります。
―“プロセス”と”作品”の間に境界線はあるのでしょうか?
どこからどこまでが作品なのかという問いも、知床で思い始めたことです。展示として見せるものだけが作品なのか? プロセス自体も作品の一部になるのか? でもプロセスという言葉は曖昧で、ただ歩いたり、遊んだりするときも作品を作る”プロセス“といえるのでしょうか? でも、変に分ける必要はないのかなと思っています。制作も生活であり、生活が制作であるので。日々のアートというものがあると考えています。
―今後の予定を教えてください。
今後も知床でのフィールドワークを続けたいと思っています。9月末には知床にある古い森で、木の物語をたどるイベントを開催する予定ですし、ペインターと映像作家の方と一緒に知床でフィールドワークをし、いつか発表しようと構想を練っています。また、この秋にSCAI PIRAMIDEで開催される、蓮沼執太さんたちとのグループ展に参加します。
タイトル | 「Land and Beyond|大地の声をたどる」 |
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会期 | 2021年7月31日(水)~8月29日(日) |
会場 | ポーラ ミュージアム アネックス(東京都) |
時間 | 11:00~19:00(入館は閉館の30分前まで) |
URL |
エレナ・トゥタッチコワ|Elena Tutatchikova
ロシア、モスクワ生まれ。人間の風景認識や物語創造、歩行と想像力の関係に関心を抱く。さまざまな土地で、歩き、人とかかわりながら、土地に秘めた物語を探り、写真、映像、文章、ドローイングなどで表現する。作品制作、執筆活動を行う一方で、近年は「歩行」という世界の道づくりを表現方法としてとらえ、ウォーキングや地図作りのイべントを行う。モスクワでクラシック音楽や日本の文学を学んだ後、2012年より日本へ渡る。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現領域博士後期課程修了。博士(美術)。単著(作品集)に『林檎が木から落ちるとき、音が生まれる』(torch press、2016)がある。近年の主な個展に「Days With the Wind | 風の日は島を歩く」高松アーティスト・イン・レジデンス2020(女木島、高松市、2021年)、「Walk in Progress」(Kousagisha gallery、京都、2020)、「道は半島をゆく」(知床半島内の複数会場、2018)、「On Teto’s Trail」(Gallery Trax、山梨、2017)、フェスティバルには「茨城県北芸術祭」(2016)などがある。