IMAが主宰する「STEP OUT!」とは、日本人の若手写真家を発掘し、世界へ羽ばたくサポートをすることを目的とした多様なプログラム。これまでにポートフォリオレヴューの開催や雑誌『IMA』、グループ展を通して作品紹介などを行なってきた。新たにスタートしたIMA ONLINE版の新連載では、毎回ひとりの若手作家をフィーチャーし、書き手にキュレーターの若山満大を迎え、常に変化してやまない新たな写真表現を掘り下げる。第3回は、高野ユリカ。高野は歴史や土地、建築や空間に紐づく物語を丁寧にリサーチし、多様なメディアを用いて、そこに存在していたものを多面的にとらえる写真家だ。当事者になることはできない事象を、自身の視座を通して真摯に見つめることで生まれる〈REGARDING THE ECHO OF OTHERS〉という作品について掘り下げる。
テキスト=若山満大
自分の理解も想像も絶した存在を、理解し想像する。高野ユリカの表現に通底するのは、およそこのようなテーマではなかろうか。むろん、ここには明らかな矛盾がある。しかし、そこから始めているがゆえに、彼女の作品はおもしろい。
高野が2023年に発表した〈REGARDING THE ECHO OF OTHERS〉は、彼女の故郷、新潟県⻑岡市に落とされた模擬原子爆弾投下跡地をめぐるインスタレーション作品である。スーザン・ソンタグの『他者の苦しみへのまなざし』を引きながら、高野は次のように書く。「この本の中で他者の苦しみを『慮る』ことへの究極の困難さが綴られているように、私たちは遠くで起こった戦争のニュースや過去の記録を見ていても、当事者と同じ気持ちには決してなれないし本質的には理解できない」。この諦念はよくわかる。絶望と紙一重の出発点。こと戦争というトピックに関しては、この諦念から始めることが最も真摯であろうと筆者も思う。ことあるごとに「被害者への共感」を求められ、それに応じるように自分の想像力の限りを尽くして「悲惨な出来事」を仮構したとしても、共感の不可能性やある種の欺瞞を疑わずにはいられない。
人の痛みに寄り添う努力が道徳的に正しいかどうか以前に、人の痛みと自分との距離/関係を正確に認識できているかを、高野は注意深く自戒している。その慎重な手つきを象徴するかのように、本作では写真、映像、音、フィクショナルなテキストといった幾つもの手法が使われている。戦争を経た故郷を多面体として立ち上げつつ、しかし高野はいかなる断定も、主張もせず、ただ「見ている」。理解も想像も絶した戦争/体験については黙して語らない。しかし、それが薄情ではなく誠実さだと言えるのは、彼女が決して理解と想像を諦めていないからだ。彼女の作品においては、あらゆる技術が理解と想像のために動員されている。写真も、その中にある。
高野ユリカ|Yurika Kono
新潟県生まれ。ホンマタカシに師事し、2019年に独立。建築、空間、環境、セノグラフィーの分野を中心に活動。土地や歴史、建築や空間、個人の物語のリサーチから着想し、歴史(history : his-story)に応答するher-storyの視点で、歴史に残ってこなかった無名の人々への想像をテーマに作品を制作している。2019年第20回写真「1_WALL」審査員奨励賞、2021年IMA next「story」ショートリストに選出。2023年には横浜市民ギャラリーで個展「REGARDING THE ECHO OF OTHERS」を開催した。
若山満大|Mitsuhiro Wakayama
1990年、岐阜県養老町生まれ。東京ステーションギャラリー学芸員。愛知県美術館、アーツ前橋などを経て現職。最近の著作に『Photography? End? 7つのヴィジョンと7つの写真的経験』(magic hour edition)、「非常時の家族 — 戦中日本の慰問写真帖について」(『FOUR-D note’s』掲載)、『やわらかい露営の夢を結ばせて —戦中日本の慰問写真に関する断章』(『パンのパン03』所収)など。主な企画展に「写真的曖昧」「甲斐荘楠音の全貌」「鉄道と美術の150年」などがある。