再訪
5月は細々とした依頼の仕事の作業を日々こなし、そのあいだに筍はあちこちで顔を出し続けた。自宅の敷地内にも例年よりも早く筍が現れ、毎日こつこつと食べ続け、実家からはさまざまな種類の豆が届き、豆ご飯を数回炊いた。その合間に山椒の実の掃除をして塩漬けにし、近所の人からいただいた野菜も消費する。毎年のことだが一斉に現れるこの時季の恵みを享受することに忙しい。結局ことしは好物の蕗の葉の煮物をつくる余力はなかった。
6月に入ると出張が続き、毎週飛行機に乗った。
機内で読むため、積読のなかから数冊本を選んでいつも持っていくが、城崎へ行く際には前日に届いたいしいしんじさんの新刊文庫「マリアさま」を持っていくことにした。いしいさんとはおりにふれて会うことがあるのだが、今回も城崎で久しぶりに会えることになっていたこともあり、久しぶりに彼の世界に浸かりたかった。
この本は単行本で読んでいたが、文庫化にあたり書き下ろしの短編も入っていたので、機内でその新作から読むことにした。読み進めるにつれ、懐かしい感覚が襲ってくる。ある時期集中していしいさんの本を何度も読み返していた頃を思い出したせいかなと思っていたが、それだけでもないような気もした。クライマックスを迎え、最後の1行を読み終えたときにはぐぐっと感情が昂まり、込み上げるものがあった。自分がいつも近づきたくて近づけない場所に連れていってもらえたような感覚だった。
いしいさんは4歳で「たいふう」という物語を書いてから50年以上生きても変わりなくこの世界のかなしみと向かい合っていて、そのことの誠実さに胸を打たれた。自分はそこから少し離れた場所にしばらくいたのだと気がつき、子どもを授かるまえの自分に戻った感覚があった。それは出産後に何度か感じたことではあり、一度目は授乳が終わったタイミングで、それまで娘と自分の境目がないほどの近さを感じていたが、半分くらい自分に戻ったように思えた。二度目は娘が小学校にあがった頃だったが、今回は完全に自分の中心に帰ってきたような感じがしたのだった。
「光あれ」というタイトルが腑に落ち、いしいさんはある光にどんどん近づいているのだなと思った。自分はその道から少し外れてしまっていたように思い、少しの焦りのような気配が背後にあるような感じもしたが、それはいやな感じではなかった。
城崎では「本と温泉」という、地元の出版レーベルから昨年依頼された本の完成記念トークイベントに出席するために訪れた。昨年も何度か訪れ、そのとき撮影した写真を志賀直哉「城崎にて」の英語版の文章に合わせて一冊の本にまとめたのだ。
いしいさんも来年「本と温泉」から出版予定ということもあり、今回ご招待されたと聞いていたのだった。
いしいさんとは久しぶりにお会いしたので最初少し緊張したが、しばらく話しているうちに解けてきた。主催してくださったみなさんと一緒にトーク後に食事会をともにし、カラオケも何年ぶりかに行って温泉街の夜を愉しんだ。
帰り際、いしいさんに「ふと気がついたんやけど、倫子ちゃんとは約束して会ったことがなかったよね、いつも自然になにかの流れで会うんだよね」と言われてそういえばそうだと気がついた。ふたりでしばらくにこにこしていたら、いしいさんの物語のなかに入ったように眩しく感じ、いま会えたのは自分の流れが間違っていないような気がして嬉しかった。
城崎の翌週はマルセイユとアルルだった。
アルル国際写真フェスティバルという最古の写真フェスティバルがあり、それに参加するためというのが目的だったのだが、せっかくなので少し早めに入って近くのマルセイユに住んでいる友人家族と一緒に過ごそうということになった。
フランス人と日本人のカップルである彼らと初めて出会ってから15年以上経つが、彼らがロンドンに住んでいた頃から途切れずに交流はあったが、お互いに子どもを授かってから共通の話題も多くなり、より近しくなったように思う。
その友人の長女と自分の娘が同じ日に生まれたのだが、到着して数日後がちょうど誕生日だから合同誕生日会をしようと計画していた。友人が手作りのケーキを2種類焼いてくれ、ユニコーン型のくす玉を子どもたちがつくり、全員で部屋の飾り付けをした。
フランス式の誕生日会は初めての体験だったが、そのすべてに生まれてきた日を祝福したいという思いに溢れていて、手が込んでいた。それに比べていままでの自分主催の誕生日会がいかにおざなりでしょぼかったかと反省した。
友人が持ってきてくれた大きなバックを開けると数えきれないほどのドレスが入っていて、シンデレラのようないわゆる典型的なプリンセスやマーメイド風という感じのドレスから、ハリーポッターのコスチュームまで幅広い品揃えだ。そのなかから好きなのを選んで着る、ということらしく、友人の長女は白雪姫のデザインのドレス、次女はプリンセス風、ほかに来てくれた彼女らの友人のお子さんたちもそれぞれに選んで着ていた。娘は初めになぜか真っ黒なコウモリを選んで着ていたが、途中で暑がったので虹色のドレスに着替えた。
そして友人が焼いたケーキはチョコとキャロットの2種類。昨日昼間も一緒に海水浴に行ったのに、夜中に焼いてくれたようだった。それが両方とも衝撃的に美味しくて、またしても自分はいままでなにをしていたんだろうと目を覚まさせてもらったかのようだった。
盛大に乾杯し、8年まえの今日、お互いに母になったんだね、と友人と抱き合い、労い合った。
アルルのフェステイバルに参加するのはちょうどぴったり20年ぶりで感慨深いものがあった。当時ヨーロッパでの展示は3回目ではあったが、それまでで一番規模の大きなものだったし、マーティン・パーのキュレーションで招待されたということもあり、海外で自分の作品を知ってもらえるとてもいい機会になった。
今回は日本の女性写真家を紹介する本がアメリカのaperture社から刊行されることを記念し、そのなかから26名の作家の展示をするというグループ展だ。
20年ぶりだといろいろな人に会うたびに言うと、なにか変わったと思うかとそのたびに聞かれ、記憶が朧げだから違いがわからない、街は変わってないように見えるがフェスティバルは大きな規模に成長したように見える、と返した。実際、街は変わっていないように感じた。古い建物のさまざまなパステル色の鎧戸が可愛らしく、小道を歩いているとどこか別の次元に繋がっていきそうな気配がある。
以前自分の作品を展示した、ゴッホが入院していたという病院の中庭の美しさも変わっていなかった。そこここに20年まえの自分の生き霊がいるようにも感じ、なにかにいつも追いかけられるように焦っていて息苦しかった、あの頃の自分を弔うような気持ちにもなった。
それはちょうどいしいさんの本に助けられていた頃だ。その後もずっと読んでいたけれど、あの時期は自分のなかに吸い込むようにして読んでいたことも思い出した。あまり食事を取らずにお酒ばかり飲んで、本を読むことで気持ちを落ち着かせていた頃。いつのまに旬の食材を食べる喜びを知れたのだっけ。全部娘が生まれてからのことのように思う。
海外から戻るとテジュ・コールさんからいま準備している新刊に寄せて書いてくださった文章が届いた。わたしに宛てた手紙形式で書かれたもので、そのなかに「倫子がこれまでに発表したどの写真よりもgentler(やさしい/穏やか)に感じられます」と書かれていた。
自分でその意識はなかったが、たしかにそうかもしれないと思う。本のなかに収められている写真は、娘が2〜5歳くらいのときに撮影したものだった。
娘がわたしに世界は穏やかだと思わせてくれたのか、世界がやさしく自分たちを包んでくれていると思い込むことで自分たちを守っていたのか、そのどちらでもあるのかもしれない。
いずれにしてもそれは娘が見せてくれた景色であり、自分ひとりのまなざしではなかったからだろう。
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