3 March 2025

市田小百合インタヴュー「静寂と神秘性の中で探すアイデンティティ」

3 March 2025

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市田小百合インタヴュー「静寂と神秘性の中で探すアイデンティティ」 | ICHIDA_2025

イギリスで活動する写真家・市田小百合の現地で初めての個展となる「transiənt」がDAIWA ANGLO-JAPANESE FOUNDATIONで開催されている(3月7日まで)。市田は昨年、若手アーティストを選出するロンドンのアワード「Jerwood/Photoworks Award」を受賞した。自らの可能性を追って日本からアメリカ、現在はイギリスへと拠点を移し制作を続ける市田が歩んできた道は、女性として、移民としてのアイデンティティの中で決して平坦なものではなかった。20代、30代を通して異国の地で培ってきた独自の視点とこれからの展望を聞いた。

取材・文=IMA

バレリーナを撮影した《Mayu》(2017-18)で注目を浴び、2018年のFotofilmic18の入選を皮切りに数々のアワードのショートリストに名を連ね、ライカマガジンの表紙も飾った市田。ダンサーの身体性を捉えた作品は、目の前の風景をカメラで切り取りながら、その背景にある状況や被写体の心象の抽象表現を試みた意欲作だった。今回の展示でもそんな市田らしさはさらに磨き上げられ、作品に現れている。

《Mayu》©Sayuri Ichida

《Mayu》©Sayuri Ichida

《Mayu》©Sayuri Ichida

《Mayu》©Sayuri Ichida


「父親が工場勤めで、幼い頃からよく連れて行かれました。そのせいか、ジオメトリックでシャープなラインに惹かれるんです」と言う市田。これまで20世紀初頭のロシアの構成主義の作品や、それに影響を受けたバウハウス作品からインスピレーションを受けることも多かったという。今回展示される、《Absentee》と《Ctrl Shift + J》という二つのシリーズはどちらも親や家族など帰属する場所がテーマに据えられ、市田らしいジオメトリックなモチーフが多く見られる。

《Absentee》©Sayuri Ichida

《Absentee》©Sayuri Ichida

《Absentee》©Sayuri Ichida

《Absentee》©Sayuri Ichida

2020年にコロナ禍でロックダウン中のニューヨークで制作された《Absentee》は工場などの建築物と対比する形で自身の身体を被写体とした作品。シャープで幾何学的な人工物と曲線的な女性の体という全く違うモチーフがコントラストをなす作品だが、裏テーマとして20歳の時に経験した「母親の死」があるのだという。コロナ禍で「死」を身近に感じることで再び呼び起こされた寂しさや悲しみに、あえて距離を置くという意味を込めて、「欠席者」と言う意味のタイトルをつけた。

一方で《Ctrl Shift + J》では、祖父のパスポート写真や家族写真の中の誰かわからない親戚、ランドスケープ、建築物、セルフポートレートを通して自身のアイデンティティを模索している。

《Ctrl Shift + J》©Sayuri Ichida

《Ctrl Shift + J》©Sayuri Ichida

《Ctrl Shift + J》©Sayuri Ichida

《Ctrl Shift + J》©Sayuri Ichida


「私は幼少期から引っ越しを何度も経験していたので地元という地元もなく、日本に一時帰国しても、どこにも属する場所がないような感覚になるんです。その感覚を抽象的に表現しようと試みたのが《Ctrl Shift + J》です」(市田)

このシリーズでは、ほとんど全ての作品にジオメトリックなラインやフォームが取り入れられており、それは幼少期から幾度も移動を経験し、現在もイギリスで移民としての毎日を送る市田の心情を比喩的に表現したものだ。タイトルのCtrl Shift + Jとはパソコンの入力言語を英語から日本語に切り替えるショートカットキーに由来し、移民という自身のアイデンティティを記号的に表現した。

市田が日本を離れた16年間で、アートにおけるジェンダーを取り巻く状況は大きく変化した。そんな時代の当事者である市田も風向きの変化を感じているという。

「女性に特化したコンテストやサポートプログラムが沢山出てきて、女性のパワーをより一層感じるようになってきました。さらにその中でも、ニューヨークのアパチャー財団が日本人女性写真家にフォーカスした『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now.』を出版したり、昨年のアルル国際写真フェスティバルでも日本人女性写真家を取り上げるグループ展が開催されたりと、日本の女性写真家には特に注目が集まっていると感じます。私がイギリスで受賞したJerwood/Photoworks Awardも、アジア人では初めての受賞らしく、そうした周囲の環境があってこそ審査員がより広い視野で審査をしてくれたのかなと思いました」

市田は日本を離れた後、ニューヨークで活動し、その後ロンドンへ拠点を移し、勉強し直す。写真分野においても最大のマーケットであるアメリカを後にし、ヨーロッパへ拠点を移したことには、大きな意味があった。曰く、ヨーロッパは若手作家に対してオープンな環境があるという。

Installation view

Installation view

Installation view

Installation view

Installation view

「イギリスを選んだというより、ヨーロッパ圏内に行きたいと思っていました。というのも、以前UnseenのIMAのディレクションで『LUMIX Meets BEYOND2020』展の機会をもらった際に、アメリカより若手作家に与えられる機会が多いように感じたんです。その時に、当時無名だった私の作品を実際に購入してくれた方が多数いたことも大きな自信と経験になっています。
アメリカは、ある程度知名度がないとやっていけないように感じます。実際に当時は、まだキャリアが浅かったこともあるのですが、アメリカでは特別な機会に恵まれることもなく、ニューヨークは成功した人が成功を拡張する場所だと思ったんです。一方でヨーロッパは、Unseenでの展示の際に現地の人は若手作家に対してとてもオープンで、もう一度勉強するならヨーロッパの学校に行こうと決意し、ウエストミンスター大学の修士に入学しました。
その卒業展で《Absentee》を発表したのですが、フィナンシャル・タイムズでフォトエディターを務めるエマ・ボーケットが卒業展を観に来てくれて、インスタグラムで作品を紹介してくれたんです。それをきっかけに、様々なところから連絡をいただけるようになりました。アメリカで知り合いたかった人にもイギリスに来てから繋がることができました」

アート業界のみならず、社会において女性であることや、移民であることはこれまで少なからず逆境と呼べるものであった。さらにそんな状況で世界を襲ったコロナ禍。市田はこれまで歩んできたキャリアを、「暗闇の中を手探りで歩いてきたようなもの」と表現する。

暗中模索の時期を超えて熟成されたのは、国外から自国や自身の家族を見つめる眼差しである。自身のアイデンティティをテーマに制作を続ける市田の作品は、私的な表現と誰しもが持つ普遍性を併せ持つ。市田の近作は、どこか子どものひとり遊びのような静寂と神秘性を感じさせるのだ。独自の視点と美学を探求し、熟成させてゆく市田に国内外の写真関係者が熱視線を送っている。

タイトル

市田小百合「transiənt」

場所

Daiwa Anglo-Japanese Foundation(13-14 Cornwall Terrace Mews, Outer Cir, London NW1 4QP イギリス)

会期

2025年1月29日(水)~3月7日(金)

時間

9:30〜17:00

休館日

土・日曜日

料金

無料

URL

https://dajf.org.uk/exhibitions/transi%C9%99nt-by-sayuri-ichida

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