26 March 2026

ハーストの衝撃、ティルマンスの拡張――「テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」キュレーター インタヴュー <前編>

26 March 2026

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ハーストの衝撃、ティルマンスの拡張――「テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」キュレーター インタヴュー <前編> | テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート キュレーター ヘレン・リトル

テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アートのキュレーター、ヘレン・リトル

国立新美術館で「テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」が開催中だ。ダミアン・ハーストやトレイシー・エミン、ヴォルフガング・ティルマンスら約60名の作品約100点を通して、1990年代の英国アートを革新的に再定義した創造性をたどる。ブラーやオアシスに象徴される同時代の空気、雑誌やファッション文化とも交差しながら生まれた表現をキュレーターのヘレン・リトルが読み解く。

ポートレート撮影=江原隆司
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン

肌で感じた1990年代の熱狂

――展覧会の話に入る前に、YBAの時代とあなた個人の関係を聞かせてください。

ヘレン・リトル(以下HL):私は1980年生まれで、1990年代はティーンエイジャーでした。それにイングランド北部の工業地帯の育ちだったので、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(以下、YBA)を憧れの存在として遠くから眺めている一人でした。彼/彼女らが自ら道を切り開き成功していく姿は、私のように創造的に生きたいと願う、ロンドン郊外に生きるその下の世代にとって、先駆者的だったのです。

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ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》1991年、テート美術館蔵 展示風景より

――最初に彼/彼女らの作品に出会ったのはいつ、どんなきっかけでしたか。

HL:10代の後半、教室での友達との会話や雑誌を通して触れていたポップカルチャーやファッションが、彼/彼女らのテーマへとつながっていたのだと思います。トレイシー・エミンやサラ・ルーカスらは、「こう振る舞うべき」「こんな人生を送るべき」という若い女性に向けられる社会の期待に鋭く応答していました。当時の私はフェミニズムを深く意識していたわけではありませんが、後になって咀嚼し、大きな刺激となりました。

キュレーターになったいま批評的に振り返ることもできますが、「生の感覚」も残っています。たとえばスパイス・ガールズは、「ガール・パワー」というラディカルなパンクのスローガンを引用して友情や連帯を示し、少女たちに可能性を開いてくれた。あの空気が私を形づくったのだと思います。

少女期やフェミニズムをめぐる時代の空気のなかで、エミンやルーカスのような素晴らしいアーティストも現れました。告白めいた自伝的な語り口で自分の人生を物語る表現は、私の世代には深く響きました。クラブカルチャーや音楽、ファッションなどが混じり合いながら、この時代の英国文化とアイデンティティを形成していた1990年代の終わり、私はその大きな渦の中にいたんだなと感じます。こうした経験のすべてが、いま私が大切にしている「ごくありふれたものがとても大事である」という価値観を形作ったのです。


サッチャー時代以後の英国社会

――YBAを語るうえでは外せないサッチャリズムや時代背景について馴染みのない読者のために、いくつか重要なポイントを教えていただけますか。

HL:1990年代は平和で楽観的な時代だったとよく言われます。一方で、1991年のサッチャー政権崩壊以降、失業率の高さは深刻で、経済格差も拡大していきました。彼女の残した有名な言葉に「社会などというものは存在しない」というものがあります。「世界で成功したければ自分一人でやるしかない。政府は助けない」という思想で、労働階級や移民も敵視していました。この時期の英国は、植民地主義という不都合な過去とも向き合わざるを得ない状況でしたから、国は完全な不況に陥り、都市環境は急速に変化して、さまざまな物事へのアクセスも変わっていきました。

そうした重い空気のなかに現れたのが、革新的でまるで起業家のようでもあったYBAたちです。彼らは階級、移民、アイデンティティ、そしてエイズといった社会問題やタブーに正面から取り組んでいきます。この時代において「英国人である」とはどういうことなのか、その問いを社会に突きつけていたと思います。

――この世代における個人あるいは国民的なアイデンティティの問題への向き合い方は、それ以前とどう違っていたのでしょうか。

HL:YBA世代は、自身の生きた経験を作品に直接織り込みました。自分たちの置かれた状況や、端に追いやられたアイデンティティをそのまま使うことで強烈なコンセプトを生み出していった。安価な素材や日用品を使ったり、汚れた生活のリアルをそのままアートの文脈に持ち込んだのです。そこにはDIYの精神がありました。

さらにアートギャラリーの仕組みさえも利用した。既存の権威に挑み、それをひっくり返してこう考えるわけです。「この狭くて伝統的なアート界が、自分を受け入れるのを待つつもりはない。自分で自分をブランド化する。他のアーティストたちと面白いコミュニティや対話をつくる」。そうして、廃業した工場跡地などの身近な空間を占拠しては、巨大なスケールで作品をつくった。そして何かを変えたいという熱を持った人たちを巻き込みながら広めていったのです。ほとんどお金もなく、商業的成功もない状態から自分たちの力を見せつけていくのは、あまりに大胆で見事な方法でした。

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YBAのムーブメントとヴォルフガング・ティルマンス

――写真について触れたいと思います。日本の1960年代以降の写真史で世代が変わるきっかけになったのは、商業写真の世界からアートが生まれていったことでした。

HL:その点にはとても共感します。昨年テート・ブリテンで、私は「Photographing Britain」という1980年代の写真を扱う展覧会をキュレーションしました。それは、ドキュメンタリー写真が「現実を写す」という非常に狭い定義で語られてきたことに向き合うものです。芸術としての写真が真実や現実とどう関係を結ぶのか、それは1980年代において非常に切実なテーマでした。コミュニティ写真、そして写真家と被写体のより誠実な関係が探究されていました。写真はアクティヴィズムの道具としても機能していたのです。

――AIが急速に普及し政治も変化しているなか、写真の在り方や、変化を生み出す力をどう見ていますか。

HL:本展の重要な側面の一つは、ブラック・ブリティッシュや英国アジア系コミュニティの写真家たちがカメラを自分自身へ向けたことです。「私たちは自分たちを表現する。それは自分たちでしかできない」。当事者ならではのリアリティが写真を豊かにし、異なる声を捉えることを可能にしました。

そして1990年代のアーティストたちは自ら場をつくり、発信し、時代の議論に即座に応答していました。その姿は、私たちがいまSNSで社会に反応するあり方にも通じます。エイズ危機や人種差別など、彼/彼女らは時代の空気に驚くほど敏感でした。いまアーティストは多様なプラットフォームを通じ、自分の物語に対する意識が高まっていると思います。ただ、この時代は「最後のアナログ時代」であり、多くのアーティストが、立ち上がりつつあるデジタル世界へ慎重に踏み出している段階でもありました。

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――展覧会に出品されているヴォルフガング・ティルマンスは、その象徴的な例ですね。

HL:そうですね。彼は非常に優れた写真家です。アートスクール卒業後、コピー機や初期のコンピュータ、デジタル技術などさまざまな手法を試し、ドラッグストアでプリントすることもありました。単に写真を「撮る」だけでなく「つくり」、さらに「見せる」方法まで含めたこの実践の集積は、写真の在り方そのものを問い直しているのです。

本展では彼を、ファッションや雑誌文化、サブカルチャー、スタイルとアートが交差していく流れを体現する存在として位置づけました。最初の仕事は雑誌のエディトリアルで、作品はギャラリーに並ぶ前に『i-D』誌に掲載されていました。彼はファッションや編集の世界と、ファインアートとしての写真を自然かつどこにも偏らずに行き来していた。その大胆さこそが、いまも称賛される理由のひとつでしょう。

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「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

1990年代におけるジェンダーとフェミニズム

――展覧会に並ぶ作品の時代性を前に、当時と比べて、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる私たちの感覚はいまではさらに繊細で複雑になっていると感じました。だから単なる「過去の表現」として見ることはできない。

HL:まさに、いまも続いている問いだと思います。当時の英国にはパンクやポストパンク的なフェミニズムの運動があり、ブリットポップにも「girls and boys」という空気がありました。一方でカルチャーのメインストリームで持ち上げられていたのは、白人労働階級の男性的アイデンティティと挑発的な振る舞い。女性にとって、状況はもっと複雑だったのです。

「ラデット(ladette)」文化(従来の保守的なジェンダーロールから解放された女性像を指す社会現象)も象徴的です。女の子も平等になれる、ただし男の子のように振る舞わなければならない、という発想でした。エミンやルーカス、ジョージナ・スター、ギリアン・ウェアリングらは、そうした空気に抗いながら、自身を自分たちなりのルールで提示しました。男性と女性に求められる振る舞いのダブルスタンダードに、告白的な表現で鋭く切り込んだのです。1990年代に入ってくる第三波フェミニズムは、1970年代の集団的な運動とは異なり、より個人的な色を帯びていました。それでもなお、この問いは終わった過去ではなく、いまへと続く物語の一部です。

(後編に続く)

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タイトル

テート美術館ーYBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート

場所

国立新美術館/京都市京セラ美術館

会期

国立新美術館:2026年2月11日(水・祝)〜5月11日(月)
京都市京セラ美術館:2026年6月3日(水)〜9月6日(日)

時間

国立新美術館:10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)
京都市京セラ美術館:10:00~18:00
※ともに入場は閉館の30分前まで

休み

国立新美術館:毎週火曜日 ※5月5日(火・祝)は開館
京都市京セラ美術館:月曜日 ※月曜日が祝・休日の場合は開館

料金

詳細は公式サイトをご覧ください

URL

https://www.nact.jp/exhibition_special/2026/ybabeyond/

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