高層ビルから空中へと放り投げられているように見える、すらりとした足と長い黒髪。一瞬合成写真かと疑うような、思わず身がすくむような場所で撮影されたセルフポートレイトのシリーズ「Self-Portrait」で一挙に世界的な注目を浴びた韓国人アーティスト、アン・ジュン。作品の制作期間である2008から2013年は、折しもソーシャルメディアの氾濫や「セルフィー」という言葉の誕生、そして写真合成ソフトの汎用化とも重なり、まさに作品が広まるのに絶好の時期といえた。そんなアン・ジュンの注目の新作が東京のCASE Tokyoでこの度発表された。初めて単独で書籍化した前述の『Self-Portrait』(赤々舎)と新作『One Life』(Case Publishing)、2冊の写真集を昨年に日本で同時発売したアン・ジュンに、作家として大切にしていること、新作に込めた彼女の思いについて聞いた。
インタヴュー・構成=深井佐和子
写真=高橋マナミ
20代の5年間を制作に費やした前作「Self-Portrait」において、アン・ジュンはある日高層ビルの屋上からニューヨークの街並みを見た際、眼下に広がる都市の光景が未来そのものであると感じたという。「いまここ」に立っている自分を考えたときに、「過去」と「未来」のちょうど狭間に立っている、たった一瞬、意識した瞬間に消え去ってしまう「現在」の儚さを改めて意識したことからこのシリーズは生まれた。その一瞬の美しさと自分の存在をイメージに収めるため、高い場所に立っている自分を撮影してシリーズを完成させた。その作品から5年、彼女の作品モチーフは大きく変化した。
新作「One Life」では、さまざまな背景の前で、空中に浮かぶリンゴがハイスピードシャッターで撮影されている。2013から2018年の間、ソウルを皮切りに、日本、トルコ、アラブ首長国連邦、イギリス、アイルランドなどの場所で撮影が行われた。画面には写らないが、実際にリンゴを投げているのはジュンの夫、そして家族である。叡智や罪など、さまざまなメタファーを有するシンボルとしてのリンゴが空中に浮かぶ一瞬の美しさに、見ているこちら側がハッとなる。シンプルかつ強いイメージはどのように生まれたのか。
「One Life」シリーズ制作のきっかけのひとつが、結婚を機に10年ぶりに戻った韓国で、美術大学の授業を受け持ったことだった。作品の構想について「(このような作品を)作って良いですか?」と生徒から事前の相談を受ける度に、「なぜ何かを生み出す前にそんなことを聞くのか」と不思議に思ったという。生徒たちと語るうちに韓国の若い世代が持つ予測不可能な未来に対する漠然とした不安、「現在」を犠牲にしてでも未来への安心を手に入れたいという心理を知った。予見できない未来を前提とした「偶然」の尊さ、それはどんなにテクノロジーが発達しようとも人間が知り得ない「運命」とも重なる。その唯一性、美しさを表現するためにこの作品に取り組んだという。
2013年に制作を開始した当初、作品タイトルは「Gravity」であったが、2014年を境に「One Life」と改題した。その背後には、その間で彼女の人生に起こったさまざまな出来事がある。長く本国を離れていたジュンは、2012年に結婚をきっかけに本国に戻り、2014年には最愛の祖父が亡くなる。他者と新しく「家族」となり、その結婚式に参列した祖父がそれからあっという間にこの世を去ったことは、否応無く生の無常さを作家に痛感させた。どうすれば生と死を目に見える形に置き換えられるのかを探求した結果、家族も参加するパフォーマンスとしての「One Life」の形にたどり着いた。生きているということは、まるで空中に放り投げられた物体のように、いつかは落ちる運命を予測できずにそこに存在することである。
とりわけセンセーショナルに取り上げられた前作「Self-Portrait」では「アジア人女性アーティスト」という点を強調した記事も多く見られ、そのことに対しては違和感を感じていたというジュン。「私はリベラルな家庭で育ち、またアメリカで長年学んだこともあり、特に女性だから、女性ならではという立場から作品制作について意識していません。私はあくまで1人のアーティストであり、性別や国境を超えた視点で作品を作りたいと思っています」と語る。
日本人デザイナー田中義久が手がけた写真集『One Life』はオブジェとしても成立するアーティスティックな一冊を念頭に、布地に空中に浮かぶリンゴをかたどった箔が押された美しい仕上がり。裁ち落としのイメージで包まれたインパクトの強い『Self-Portrait』と、対象的な作りとなっている。アートディレクターとのコラボレーション的要素が強かった前者と、日本と西洋の造本の違いを強調したユニークな作りを編集者と並走しながら完成させた後者。まったく異なるプロセスを経た2冊が同時に日本で刊行されたことは、自分にとっても大きな出来事だったと語る。「日本は私にとって憧れの国です。2冊同時に刊行が決まった後もしばらくは信じられなくて(Case Publishing代表の)大西さんに何度も本当に?本当に?と聞いていました」。
アメリカで美術史を学んだジュンは特にジャクソン・ポロック研究に長い時間を費やし、その流れで写真はアートにおける表現方法のひとつであり、また写真をパフォーマンスとしてもとらえている。「Self-Portrait」では「自撮り」というパフォーマンス、そして「One Life」では家族を巻き込んだパフォーマンスの結果としてイメージが生まれている。写真という時を止めるメディアを恣意的に選択することで、逆説的にリニアという映像の性質を利用しているともいえる。
リンゴを投げるという単純なパフォーマンスから生まれるイメージの背後には、祖父の投げたリンゴや、腕の力が弱まった祖母の投げるリンゴも写し出されている。空中に瞬間滞在した後に地面へと落ちていく「運命」を知らぬリンゴの姿には確かな「死」の予感があり、そして同時に美しさがある。
撮影しなければ空中に消えていく「現象」を、イメージとして残すのが自分の役割だと語る彼女は、可視化されない確かな「現在」と「未来」の境界、「自分」と「世界」を分ける境界を写真化している。
【写真集プレゼント】
写真集『One Life』『Self-Portrait』をそれぞれ1名様にプレゼント。締切は2019年2月6日(水)まで。 受付終了
▼展覧会 | |
---|---|
タイトル | |
会期 | 2018年12月15日(土)~2019年2月2日(土) |
会場 | CASE TOKYO(東京都) |
時間 | 11:00~19:00 |
休館日 | 日月曜、祝日 |
URL |
▼写真集 | |
---|---|
タイトル | 『One Life』 |
出版社 | |
価格 | 7,000円+tax |
発行年 | 2018年 |
仕様 | ハードカバー/250mm×326mm/128ページ |
URL |
タイトル | |
---|---|
出版社 | |
価格 | 4,500円+tax |
発行年 | 2018年 |
仕様 | ハードカバー、両面ジャケット/364mm×233mm /88ページ |
URL | http://www.akaaka.com/publishing/-ahn-jun-self-portrait-20181115.html |
アン・ジュン|Ahn Jun
2006年 南カリフォルニア大学(ロサンゼルス)美術史学科卒業、2012年パーソンズ美術大学(ニューヨーク)写真学科修士課程修了後、2017年弘益大学校(ソウル)大学院写真学科博士号を習得。 主な個展に「On The Verge」(Photographic Center Northwest、アメリカ・シアトル / 2018)、「UnveiledScape」(Keumsan Gallery、韓国・ソウル / 2017)、「Self-Portrait」(Christophe Guye Gallery、スイス・チューリッヒ / 2014)など。主なグループ展に「Space; Crashes in Street Life」(Triennial of Photography Hamburg、ハンブルグ、ドイツ / 2018)、「Asia Woman Artists」(Jeonbuk Museum of Art、韓国・完州郡 / 2017)などがある。2018年、写真集『Self-Portrait』(赤々舎)、『One Life』(Case Publishing)を同時刊行。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。