写真家デイヴィッド・スペロによる約10年ぶりの写真集『Settlements』は、大判カメラで写したイギリス各地のセルフビルドで作られた住居と、そこに住み自給自足の生活を営む人々の姿が収められている。著者が12年の歳月をかけ、6つのコミュニティを訪ね歩いて撮影したという彼らの姿は我々に何を語りかけているのだろうか。256ページにもおよぶこの私家版の大作を、独自の視点を持つ雑誌『スペクテイター』の発行人、青野利光が考察する。
レビュワー=青野利光(スペクテイター編集・発行人)
企画=twelvebooks
広葉樹の森に佇む見慣れないかたちの建築物。屋根は芝生に覆われ、泥で塗り固められた壁や木の枝の柱がそれを支えている。まるで童話の世界から抜け出してきたようなその家はすべてが天然の素材だけで造られており、現代建築に見られる直線的な要素は見当たらない。
『Settlements』は、フロントカバーに写し出されたこのようなセルフビルドの家と、そこに暮らす人々の生活の模様を記録した写真集である。
著者のデイヴィッド・スペロは1963年ロンドン生まれ。イギリスの名門美術大学ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで写真を学び、90年代半ば頃から写真家としての活動を開始している。
2008年に発表した1作目の『Churches』はロンドン市内の建物を4×5のカメラで記録した大判の写真集である。写真集出版社として知られるSteidl社の敏腕編集者マイケル・マック(現MACK社ディレクター)が編集を手がけ、ドイツのSteidlMACK社から出版された。
レンガ造りの家が連続するイメージ群は、一見するとロンドンのありふれた景色を写した風景写真にも見えるが、被写体はいずれも当初は別の目的のために建てられたがやがて役目を終え、現在はそのままのかたちで教会として利用されている、いわば居抜きの教会である。キリスト教のエヴェンジェリカル派(福音派。聖書を本当の神の言葉と信じる保守的な信仰理解に立つプロテスタント)の信者たちが礼拝を捧げるための建物で、こうした居抜きの教会を写し集めることで、日常に潜む「もうひとつの世界」を提示したのが『Churches』である。
いつもの見慣れた景色が並んでいると思ったその先に実は予想もしていなかった世界が広がっている。まるでSF作家フィリップ・K・ディックが小説で表現したようなパラレルワールドの存在を写真であぶり出すことによって、スペロは私達の固定観念を揺さぶってみせる。
被写体に均一に光が当たるように曇天の日を選んで撮影されたフラットなイメージの連続は、ドイツのビルトン&ベラ・ベッヒャー夫妻やスペロが影響を受けたと公言するロバート・アダムスの作品などに共通するタイポロジカルな撮影スタイルを踏襲したもので、人間の行動に起因した物事を採集して並べて見せる手法は考現学的ともいえる。
『Churches』から約10年ぶり、通算二冊目の写真集が本作『Settlements』である。冒頭で述べたような簡素な手作りの家を『Churches』同様に大判のフィルムカメラで丁寧に写し撮った151点の写真によって構成されている。撮影・編集・原稿執筆・本の出版にまつわるほとんどの作業を作家本人が手がけ、2017年に私家版として出版された。六つ切りの印画紙サイズに合わせた横開きの判型で、ページ数は256頁。総重量は1.7キロ。手に持つとずしりとした重みが感じられる。掲載の写真は2004年から2015年までの12年間にわたって撮影されたものである。
「Settlements」は「開拓地」「定住」「集落」などを意味する。イギリス各地の手付かずの土地を取得して開墾し、天然の素材をつかって自力で家を建て、畑を耕すことで日々の糧を得る。このような自給自足的な暮らしが展開されているイギリス国内の主に6つのコミュニティを訪ね歩いて撮影した写真と、コミュニティの代表者が自ら綴った開拓地の概要や歴史にまつわる文章、そして作家による長めの論考が本作には収められている。
コミュニティには数名から20名ほどの血縁によらない老若男女や家族が暮らしているが、彼らが実践している生活様式を一言で言い表すのは容易ではない。エコやサステナブルなど借りてきたような単語で形容してもしっくりこない。
あるいは1960年代後半頃から北米を中心に世界各地で展開されたヒッピーコミューンの現代版と目することもできるかも知れない。地球に負荷をかけず、物質的な生活よりも心の豊かさを求めようとしているという点では確かに共通したところもあるが、本作に登場するコミュニティは大半が設立から10年を越えて存在し続けているところばかりだ。こうした事実に鑑みても、反体制の理念が先走りわずか一年未満の短命で役目を終えた70年代の北米のコミューンとは根本的に違う、新しい生き方の実践例であると捉えるべきだろう。
移住者たちの多くが自分たちの暮らしの根幹にある考え方として共通して挙げるキーワードに「パーマカルチャー」という単語がある。パーマカルチャーとは、永久を意味するパーマネントと農業を意味するアグリカルチャーの造語で、タスマニア島の大学で教鞭をとっていたビル・モリソンと、その教え子デビッド・ホームグレンが1974年に考案したコンセプトである。ビル・モリソンは自著『パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン』(農文協・1993)のなかで「人間にとって恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系」であるとパーマカルチャーを定義する。「自然に流動している比較的無害なエネルギーを用い、豊富に得られる植物や天然資源を用いて、しかも絶えず地上の生物を破壊していくこともなしに、われわれがこの地球の上で生存していけるようにするシステムである」。
こうした考え方の根底には、資本主義や効率優先主義の社会が生み出したさまざまな弊害から人と自然の両方を救済し、より良い共生型社会を実現しようというビジョンがある。環境に与える負荷を軽減し、地球上の生き物すべてが本当の意味での豊かさを取り戻すには自然の力を活用した自給自足型の暮らし方が最も理にかなっており、そのための持続可能な生存システムを自前で構築しようという考え方がパーマカルチャーの基本原則だ。
これを実践するには単なる田舎暮らしを越えた、生態学や天候や建築技術など多岐にわたる知識が求められる。例えばニワトリを飼育することで畑の虫が駆除され、そのおかげで野菜がよく育つというように、生態系の仕組をまるでパズルのように組み合わせることでムダのない暮らしをデザインするのがパーマカルチャーの要諦だ。
本書の写真の中には、こうしたパーマカルチャーの考え方を取り入れたインフラをいくつも見つけることができる。廃棄食材を肥料として利用するためのコンポストシステム。雨水を有効利用するための排水システム。蒸散作用を利用して真夏の直射熱を防ぐ柴屋根。太陽光発電用パネルや太陽光温水器。かつては一部のオルタナティブな生き方を志向する人々にしか知られていなかったこれらアナログな農的暮らしの作法が現在では都心の住宅にも組み入れられるようになった。進歩と退歩。産業革命以前と以後。エネルギー型社会と人力社会。本来は対局に位置する価値観が交錯する瞬間を我々は本書を通じて体験することになる。
スペロが本作の被写体に興味を抱くようになったのは、1995年にイギリスの野外音楽イベントの会場で開催されていた、雑木を使って家を建てる技術を披露するワークショップに触れたことがきっかけだという。都会の暮らしでは触れる機会のなかったセルフビルドの建築法や、それを生み出した「もうひとつの世界」の暮らしの実践者に対する興味の種は作家の中で時間を重ねながら徐々に芽をのばしていった。そして、本作にも登場するコミュニティが主催する週末の農業ボランティアへの参加をきっかけに本格的に写真撮影を開始したのは、それから10年近くが経過してからのことである。
セルフビルドの家の写真を集めた写真集は過去にも少なからず存在したが、その多くは建築デザインに重点を置いたものだった。本書のように被写体と真っ向からしかし深入りしすぎることなく冷静なスタンスで向き合い、その存在意義について深い考察を交えながら作家本人の言葉で語ってみせた写真集というものは、これまであまり見たことがない。
この見慣れない建物はいったい何のためにつくられたものか?
ここにはどのような人たちが、どんな思いで暮らしているのか?
12年もの歳月を費やして彼の地へ通いつめ、住民たちとの親密なコミュニケーションやさまざまな経験を重ねるうちに自分の中に湧き上がってきた疑問。それらと真摯に向き合った写真家の姿勢や思考が250ページを超える本文ページの中に記録されている。
スペロは現場へ何度も足を運び、そこにしばらく滞在しながら撮影を進めていくうちに、より被写体の本質に迫りたいという思いを抱くようになり、撮影の仕方を途中から変更している。それゆえ作家が得意とするミニマルでタイポロジカルな表現とはやや趣の異なる、ドキュメンタリーとコンセプチュアルが入り混じった雑多な印象も受けるが、この表現方法の大胆な転換が全体に新たな視点と角度を加え、深みのある内容へと結実したのではないか。商業資本主義から少しでも距離を置くためか、あるいはコミュニティの住民の自立自存の精神に倣ってか、出版社に依らずにあえて自費出版の道を選んだ英断と合わせて高く評価したい点である。なお、本作掲載の写真のうち約30点がイギリス国立ヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵されている。
タイトル | |
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出版社 | 私家版 |
価格 | 8,800円+tax |
発行年 | 2017年 |
仕様 | ハードカバー/240mm×290mm/256ページ |
備考 | https://www.twelve-books.com/products/settlements-by-david-spero |
デイヴィッド・スペロ|David Spero
1963年生まれ。イギリス、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで写真を学ぶ。現在ロンドンを拠点として活動し、写真関連のプロジェクトに数多く携わる。作品はヴィクトリア&アルバート博物館やブリティッシュ・カウンシルなど多くの美術館や機関に所蔵されている。
http://www.davidspero.co.uk
青野利光|Toshimitsu Aono
1967年茨城県生まれ。スペクテイター編集・発行人。明治大学政治経済学部卒業。大学卒業後二年間の会社勤務を経てカルチャー・マガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフ。1999年、『スペクテイター』を創刊。2000年、新会社エディトリアル・デパートメントを設立し、『スペクテイター』の編集・発行人となる。2011年から活動の拠点を長野市へ移し、出版・編集活動を継続中。『スペクテイター』最新41号「つげ義春」特集が発売中。
www.spectatorweb.com
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。